とある夏の夕。
御苑の西の空。
冬は、退社時刻にはもうあたりは漆黒の闇に包まれるので危なくて入れない御苑だが、夏は薄闇の頃まで、犬の散歩やジョギングなど思い思いに過ごす人々を見かける。
母の食事の支度をしなければならなくなったので、明るいうちに帰路に着く。7時前に会社を出ないと、母は腹ぺこに耐えられない(笑)。
でも、それがなかなかできない。昼間のほとんどをクライアントのご機嫌取りと取材に費やしていると、原稿書きに向かうのはやっと7時や8時頃になる。その頃になってようやく会社にかかる電話の数が減ってほとんど鳴らなくなるので、心静かに自分の仕事ができるのである。現在の勤務先ではずっとそんな働きかたをしていたので、帰宅が9時10時、が日常のことであった。
しかし5月、退院した母を迎え入れてから私の生活は一変した。
ひと月の入院生活は彼女の脚から筋力をすっかり奪ってしまい、まったく歩行ができなくなってしまったのである。その事実は本人にも衝撃だった。病院ではベッドにいればよかったが、家では何でも自分で取りに行かなくてはならない。なのに、脚が動かないのである。
いや、脚が思うように動かないのは本当は今始まったことではない。骨粗鬆症と膝の関節炎を患って以来、歩行は年々困難になっていた。ひどい外反母趾でもあるので、足指は曲がって変形してしまっている。そんな状態だから、むしろ足腰の筋力を維持するためにも、運動代わりに買い物に出かけたり、台所仕事や洗濯物の取り込みなど体を日々動かすことが彼女の生活には必須だったのだが、まったくそれをしない日々がひと月続いた。そのことがこんなに力を奪われることになるとは、本人も周囲も想像していなかった。
とにかく、両手で体を支えて、杖や手すりにしがみつくようにしてしか移動できない。つまり二本足だけでは自立できないのである。したがって、台所仕事に立って食器を手にすればそれだけで転倒しそうになる。物干し場へ上がることなど夢のまた夢。
しかし、そうは言っても四六時中彼女にくっついてはいられない。
昨年暮れ、介護サービスを受けるために申請をし、要支援と認定された。浴槽につける手すりや室内用の4点杖などをレンタルし、我が家のような高齢者に優しくない(笑)家でも母が楽に動けるように整えていきつつあった。そんな時にわかに体調を崩し入院生活を余儀なくされた。食欲不振で食事が喉を通らず栄養失調でひからびそうになったので、点滴を受けるため入院し、体力のある程度の回復を待った後、検査が続いた。それで胃に大きな潰瘍のあることが判明した。微熱が続き、食欲が減退していたのもこのせいだろうということだった。母には軽度の糖尿病もあって、私の娘が生まれる前から血糖値のコントロールのため服薬していたが、糖尿があると疾患は増悪作用を起こすそうだ。
そんなごっつい胃潰瘍もってたのに、胃が痛いとかなんか違和感とかなかったん?
全然なかった。
入院先の担当医師によれば母の胃には過去にできて自然治癒した潰瘍の痕跡もあるらしい。食べることが好きな母しか知らないので、今回のような食欲不振は驚きだったが、過去にも胃潰瘍をつくっていたらその時は辛かったはずだけど、思い当たらない。本人も思い当たらない(笑)。自分の身体の異常を感知できないなんて困ったことだが、多少の痛みや不調は後回しにするしかないような、そんな生活をたしかに誰もがしている。今の私がそうだし、もちろん周囲の人々も、みんなそうだ。病気は静かに巣食って少しずつ体内で大きくなり、ある日突然牙をむく。そうならないよう、普段から自分の身体の声を聴かないといけないが、なかなか聴いてやれないんだよね。
潰瘍は薬の服用で少しずつ小さくしていくという治療をすることになり、したがってまだ母の胃には潰瘍があるのだが、今はもちろん食欲は旺盛である。旺盛だが、自分で買い物も料理もできないので母にはもどかしいことだ。三度の食事は私頼みなのである。デイサービスに通うことにして、その日だけは「外食」だが、それ以外は昼食時にも帰宅していた。退院当初は何をするのも危なっかしかったのでとりあえずできるだけ「見る」ようにした。夕方は学校から娘がいったん戻って洗濯物取り込みがてら様子を見てくれる。そしてやりかけの仕事を放り出して退社して、夕食の仕度。そうこうしているうちにひと月、ふた月経ち、動かない脚の状態に慣れたのか、不自由しながらでも家の中のことを少しずつするようになり、食事も、用意をしておけば自分で食卓に並べて食べられるようになってきた。今はデイサービス火金、私の帰宅水、月木はひとり昼食である。でも夕食はよほどの時以外は必ず一緒に食べる。その後入浴介助や足湯マッサージなどメニューてんこもりなので、どっちにしろ早く帰らなければならない。だから毎日宿題お持ち帰りで、すべて片づけてから夜中に仕事をする。夜中まで会社にいて午前様で帰宅してバババッと家事を片づける生活と、睡眠時間量はそう変わらない。変わらないが、現在のほうが体力消耗度は大きい。育児と違って高齢者の世話は対象が重いだけに体力を使うし、こう言っちゃなんだが達成感がない。今できないことはきっともうずっとできないままだ。はいはいからよちよち歩き、というような進歩がない。同じように体力を消耗しても疲労感は全然違う。
そうこうしながら退院後3か月が経過し、少しずつ少しずつそれぞれが現在の生活に慣れてきてそれなりに動けるようになってきた。6月、いつもの仕事の大波にぶっ倒れそうになり、クライアントの雷も落ちてきたが、聞こえない振り寝た振りをしてやり過ごした(笑)。8月また大波が来るのでそれを乗り越えないとならない。
そんなわけで、私は今本当に疲れている(笑)。
成長した娘に手がかからなくなり、いろいろ手伝ってもくれるようになって、毎日顔を合わせて会話する時間は少ないながらそれが喜びだったのだが、9月からそれがなくなる。
可愛オモロい我が娘に毎日会わない。そんな状態に耐えられるのか、はたして(笑)?
何か他に生き甲斐が必要だぞ、と自分を客観視して心底そう思う。このままではマズいぞ。さて、どっしよっかなー。
ブルーベリーが色づいてきた。初の収穫は7個の予定。上出来じゃ。……新しい生き甲斐はプランター菜園か?
いや、世話する生き物をこれ以上増やさないほうがいいだろうな。