Il faisait horriblement chaud... HORRIBLEMENT CHAUD!!! ― 2013/08/20 00:47:13
90歳になろうとする伯父が危篤である。
3年前、伯母の葬儀で会った時はもう私のことがわからなかった。誰のこともわからなかった。少々足元が覚束なかったが、体は元気そうであった。よく食べるし、好き嫌いも言うし、手に負えんわほんまに、とよく伯母が笑っていた。
伯父は長らく公立学校の教員で、校長まで務めた実直な人である。家族にすればたぶん頑固で融通の利かない人だっただろうが、ウチの親父みたいなちゃらんぽらんなおっさんと暮らす立場から言うと、まじめでまともで正直で事の善悪の判断のきちんとつく常識的な教育者なんて神様より偉いと思える。一家に一人いればどんなにか家の中が秩序正しく整理整頓され、公正で清貧で美しい生活を送れることだろうかと涙が出そうだ。まじめでまともで正直で善悪の判断ができて常識的、ってウチの父には一つもなかった美徳だ。ないものねだりにすぎないが、ゆえに私はこの伯父が大好きであった。母の13歳上の兄であるこの伯父は、私も弟も可愛がってくれ、私の娘のことも気にかけてよく手紙をくれた。弟が学者になったことも教育畑を生きてきた人間としてとても誇らしいらしく、顔を見るたびに褒めてくれた。
伯父には息子が二人いて、それぞれ結婚し子どもに恵まれている。伯父夫婦は次男一家と同居している。長男は、なぜか結婚を機に実家から遠のいてしまった。何があったのかよくわからないが、長男のほうから一方的に断絶してしまったそうである。便りひとつも電話一本も交わさない関係になってしまったのだそうだ。私にとっては、若い頃は二人とも頼りになる優しい従兄の兄さんだったので、そして今も次男のほうは相変わらずとても頼りになる存在のありがたき親戚なので、この長男との断絶は残念で仕方ない。というか、ちょっと大人げなくないかい兄さん、と思う。何があったのか知らんけど、そりゃ親を許せないと思う気持ちはなかなか消せないもんだけれど、あんただってそろそろ孫がいたっていい年になりかけててさ、親の気持ちがわからんわけじゃないだろうにさ、いつまで拗ねてふくれてんのさ、って感じなのよね。
伯父は認知症が出る前から、いろいろ健康に不具合も出てきて、ここ数年は病院の世話にばかりなっていた。生きてるうちに一度会いに来いよと次男のほうから長男には手紙を出してみたというが、なしのつぶてだそうだ。バカか、あいつは。
家族の物語はその家族に固有のものだ。世の中はよく世代で切り分けたりグループ化してラベルを貼ったりして、ある種の定型化をしたがるが、同じようなパターンで移りゆく家族の物語が無数にあるとしても、ひとつひとつは唯一無二のものだ。伯父の家は、長男のことさえなかったら、傍目には誰もが羨む仲良しの、二世帯住宅に暮らす三世代家族だ。長男のことだけが伯父と伯母の表情に翳りをつくっていた。明日をも知れない状態になる前に、父と子の和解にいたれなかったのは本当に残念だと、私も思う。
でも、もしも長男との断絶がなかったら。
うまくいかないことがあるなんて。思うようにならないことが身内に起こるなんて。そんな経験をした人だから、伯父は人間味あふれる素敵な人だったのかもしれないとも思う。そうでなかったら、尊大で鼻持ちならないただのくそジジイだったかもしれない。
時の流れは傷も癒すが、確実に人を老いに向かわせ、命の終焉にたどり着かせる。残酷である。しかしこの残酷さがなかったら、人は、時間に抗って限界まで努力するとか工夫を凝らすとか、大切に過ごすとかそんなことを考えなかったことだろう。時間はテンポを変えず無情に過ぎていき、あることを優先して間に合わせた結果、あることはもう絶望的なまでに手遅れになってしまう。もう、笑うしかないほどに。
わっはっはという豪快な伯父の笑い声をいま耳の奥に反芻している。もっと話をしたかったよ、伯父ちゃん。