Ce monde existe pour l'avenir des enfants.2014/08/20 00:16:58

この間、地蔵盆を開催した。

まちにはいたるところに「お地蔵さん」がある。ふつうは町内会ごとに祠がひとつ建てられていて、町内会ごとに自主的に管理している。町内会ごとにルールがあり、そのルールはけっこう頑固に厳密に運用される。A町がこうだからといってB町はけっして A町のやりかたになびかないのだ。各町内会ごとのお地蔵さんには、各町内会ごとに歴史があり、住民と深く関わってきているので、その信仰の在りかたもさまざまであるのだ。

ウチの町内会の場合、「お地蔵様を奥まった路地に移したら七人も死者が出た」という言い伝え(というより事件。そんなに古い話ではなくほんまに起こったこと。今90代の長老たちが幼少の頃に経験した。……らしい。笑)があり、以来、何をおいてもお地蔵様より偉いものは存在しないのである。車が増え、駐停車などの便宜を図りたいがゆえに人目につかない路地奥に移動されたお地蔵さんの祠は、ばたばたと死人が出たことに驚いた住民によって、再び表通りへ移された。こうした移転のたびにその費用は住民が出し合う。小さな額ではないが、お地蔵様のためならエンヤコラ、なのである。
数年前、長らく表通りの定位置に居られたお地蔵さんに危機が訪れた。ちょうどお地蔵さんの真後ろにあった染め工場が敷地を売却して移転することになった。それじたいは構わないのだが、売却の際の条件が「お地蔵さんをここからどけてくれたら」ということだったらしい。緊急に開かれた町内会の会合の席で、染め工場の主人は半泣きになりながら生き残るための苦渋の選択を詫びた。「すんまへん。みなさん、すんまへん。お地蔵さんにも、すんまへん。そやけどほかに道がなかった。わかってもらえへんやろけど、ほんま、もうしわけおまへん」
染め工場の主人を責めることなど私たちにはできなかった。
工場の移転と再建、事業の立て直しを進めていけば資金はあっという間に底をつく。土地をできるだけ高く売るためには、お地蔵さんの移動という鬼のような条件を呑むほかなかった。

しかたがない。
しかたがないが、お地蔵さんの行き先を決めなくてはならない。
腕のいい大工さんに、祠を建ててもらわなければならない。
手提げ金庫じゃあるまいし、ここはアカンの、ほなあっちに置いとくわと、ほいほい持ち運びするようなものではないのである。

跡地にはどでかい分譲マンションの建築が決まっていた。
「マンションの出入り口に祠を建てさせてもらうわけにはいかんのか」
こうした意見はごく自然にみなの口をついて出た。市内にはお地蔵さんを設えたマンションが何軒も建っている。おそらく町内会との話し合いの結果、地蔵様の安置場所を変えずに従来の位置を維持したケースなのだろう。
しかし、「それは絶対に受け容れられんといわれたんです」と件の染め工場主が再び泣きそうな顔で、消え入りそうな声で述べた。
マンションのアプローチにちょっぴりモダンなお地蔵様の祠が建つ。ほんの一瞬、皆がイメージした絵。しかし文字どおり「絵」にもならなかった。「お地蔵さんをどける」条件で契約が成立している以上、もうやいのやいの騒いでも始まらないのである。

(町内には大きなマンションが幾つも建ったが、いずれも、売り主つまり元の住人はひと言も周囲に漏らさずある日突然、土地売った、引っ越す、マンション建つしよろしく、ほなさいならとトンズラするのである。なぜそんなに秘密主義なのか。引っ越すのも売るのも勝手だが、跡に建つものについて私たち旧住民との相談の場を設けることはそんなにも罪なことなのか? それほどまでに買う側つまり不動産会社や土建屋は怖いのか?)

どこへ移そう?
何本かある路地のうちのひとつに、空き家があった。その家の手前部分をつぶして地蔵様を祀るというのはどうだ?

しかし、この意見はたちまち例の「言い伝え」によって却下された。それだけではない。ウチの町内の場合、お地蔵さんを信じ敬い朝な夕なに拝む人はけっこう多いのである。いうまでもなく高齢者の面々だ。杖や歩行器なしでは歩けない人々だ。そんな人々を思えば、お地蔵さんを路地奥へはやれない。

それに費用はどうする?
町内会費の積立が少し残ってるけど?
秋の行楽レクレーションを取り止めてお地蔵さん再建に遣うか?

この問いには満場一致で「町内会費で再建しよう」にたちまち決定した。

……と、ことほど左様に町内会のなかであーだこーだと議論しているのが仲介不動産業者の耳に入ったようであった。
「古い祠のお取り壊し、新しい場所での再建、お祓いお清め、いっさいの費用を弊社が負担させていただきますっ」

(当たり前やろ最初からそう言えアホ。……と思ったのは私ひとりではないはずだ。笑)

金銭面のハードルが低くなっても、移転場所の決定は難航した。誰かが住居の一部を提供するしかもう方法がなかった。
とうとう、ある人が手を挙げた。「ウチの軒先でよかったら……大それたこと申しますけど……」

「よろしいんでっか、ほんまによろしいんでっか」
「ありがとうございます!」
「おおきにおおきにおおきに!」
満場一致で感謝感激大賛成。

そんなわけで無事に落ち着き先が決まったお地蔵さん。きれいにお召し替えもできて、住民の地蔵信仰は否が応にも深まり、愛着が強まり、帰属意識は高まったのである。

そして今夏の地蔵盆。
今年の当番組は私たちだった。
例の染め工場跡に建った巨大なマンションに住むいくつかの家庭が町内会に加入し、それらの子どもたちも参加しての、賑やかな地蔵盆となった。子どもたちが無邪気に遊ぶ姿を見るのってこんなに癒されるのか、なんて、あたしも年をとったもんだなあなどとのどかな安寧に浸ると同時に、こんなに屈託なく無心に遊ぶ子どもたちを間近に見られる幸せが稀有なものになりつつあることに、不安も禁じえないのだった。スーパーボールをたくさんすくえたと居合わせる大人ひとりひとりに自慢して回ったり、くじ引きで欲しかったものが当たらなかったと悔し涙を流して町内じゅうに轟くほどの泣き声を上げたり。嬉しいこと楽しいこと悔しいことを全身で表現するのが子どもたちだ。世界は子どもたちのために在り、世界に未来が在るとしたらそれは子どもたちのために用意された未来に他ならない。子どもたちの未来をつくらずして世界の存在意義はない。


それなのに、現在の世界の非情なこと。
地蔵盆と前後して届いた写真月刊誌が、厳しい現実を幾つも掲載していた。瓦礫のなかを歩く子、爆撃で家族とともにひとたまりもなく吹き飛ばされた子、銃撃に遭い路上に倒れたまま放置された子、惨状のショックに言葉を失い回復しない子、甲状腺癌が体のあちこちに転移し息絶えた子……。笑うのを忘れた子。泣くのも忘れた子。ガザ。ベイルート。イラク。チェルノブイリ。


子どもたちに洋々たる未来が用意され、子どもたちがその輝く未来に向かって長く生き延びますように。お地蔵様には、ただただそれを願うのである。「世界中の」というと若干荷が重くてらっしゃるようだが少なくとも我が町内の子どもたちの未来は、見守って応援してくださるはずなのである。
よろしくね。