Tout blanc... ― 2015/01/01 17:54:06











La neige est devenue des glaçons qui pendent des toits... ― 2015/01/03 22:29:54











Je suis Charlie ― 2015/01/11 12:05:38
急ぎパリの友人たちにメールを送ったけれども、誰に対しても、同じような、たった3行しか書けなかった。私の友人は、幼児期に生き別れた父はアフリカ人だとか、配偶者が移民だとか、母親をチェルノブイリの影響で死なせているとか、パレスチナから留学してそのまま居着いて結婚したとか、両親はアルジェリアから引き上げたユダヤ人(仏国籍)だとか、あるいは左派の知識人だとか、そんな人が多くて、いわゆる由緒ある貴族の末裔とか財閥や世界に冠たるブランド企業の一族だとかそんな人とは縁がない。友人たちはみんなほぼ例外なく、(投票はしたけど)オランド政権に不満を持っており、人種差別を憎んでおり、ナチスを憎んでおり、ガザを攻撃するイスラエルを憎んでおり、中東を空爆する欧米の軍隊を憎んでいる。対イスラム国で正義の味方ヅラしてスクラムを組む列強にうさん臭いものを感じている。しかし、それ以上にテロを憎んでいる。だが友人たちの、ある対象への憎しみ、ある対象への共感はおそらく少しずつ温度差があるだろう。彼らそれぞれとの親密さの度合いとは別に、日本に住む日本人である私はあまりにも部外者だ。軽はずみに「Je suis aussi Charlie!」などというメッセージを送るのはためらわれた。あなたに何がわかるのよ、と言われたら何も言い返せない。何もわからない、正直。隣人がテロリストかもしれない、いつ銃撃が始まるかもしれない町に住む、その恐怖。
しかしそれでも、「Je suis Charlie」と言おう。週刊紙シャルリエブドの毎号一面を飾る強烈な風刺画は、現代の、生温い報道にしか接していない一般日本人には理解に苦しむものに映るかもしれないし、手が何本も生えたゴールキーパーの写真で放射能汚染を放置する日本政府を批判したフランスのテレビに「ひどい」「傷ついた」なんてカワイく反応する国民性だから、毒のある風刺画を「いきすぎ」という人がいたりする。だが間違えないでほしい。シャルリエブドは反イスラム主義でもなんでもない。シャルリエブドの風刺の対象は政府や権力、大国の横暴、極右など偏向思想、人種差別主義者、戦争やテロリズムだ。だからこそ、フランスじゅう挙げて誰もが「私はシャルリ」「私たちはみんなシャルリだ」「パリはシャルリだ」と叫んでいるのだ。
風刺画の役割はいくつかある。世知辛い世の中、低所得や失業に苦しむ庶民の心に一滴の潤い=笑いをもたらすためである。笑い飛ばさないとこんな世の中でやってけないぜ、そうだろ。また、平穏に見える日常に、実はいくつも問題があるよとそれぞれの足許、心の奥底で自問させるためである。モハメッドをちゃかした風刺画、ムスリムとシャルリエブドが相思相愛だと描いた絵、バイブルもコーランもトーラーもトイレットペーパーにして「流してしまえ」と揶揄した絵。これらを見て痛快な思いをするか、不愉快になるか、心がどう揺れるかで自分の深層心理がどの位置にあるかを気づかせてくれる。人は誰でも自分は差別なんかしないと思っている。だがほんとうにそうか? むしろ、大なり小なり差別感情を抱えているのがふつうの人間だ。平穏で退屈な日常に流されて本来持っている意識に自分自身で蓋をしているのだ。それは時に呼び起こされなければならない、何か起こったときに毅然とした態度を取るために。
フランス人たちは、全員が積極的にシャルリエブドの風刺を支持していたわけではないだろうし愛読者でもなかったはずだ。だが、今回の襲撃は、風刺(ユーモア)に食ってかかる大人げない行為であり、ひいては正面から正々堂々と批評するという行動への冒涜だ。シャルリエブドの風刺画家や執筆者たちは、実名を名乗り、ペン以外の武器は持っていなかったのだ。丸腰だったのだ。それを問答無用で銃撃し殺害したという行為は、なにがどうであっても許されない。
「こんな絵、描いたらあかんやろ」「そら殺されるわ」みたいな反応がナイーブな日本のお子ちゃまたちに見受けられる。日本では、形が違うだけで言論テロはすでに水面下で行われている。おそらくそんなことにも無頓着なのだろう。嘆かわしい。
Je suis Charlie.
極右政党の「国民戦線」のジャンマリ・ル=ペンは「ま、お悔やみ申し上げるが、私はシャルリじゃないよ」とはっきり言った。こいつもまったく、筋金入りの極右なわけだ。シャルリエブドにはさんざんけちょんけちょんに描かれてきたからザマアミロと思っているに違いないけど、はっきり言っちゃうところがどこかの国の極右傀儡政権のおぼっちゃまボスとは大違い。
テロリズムは許せない。10歳の女児を自爆テロさせたという報道があったが、若い命をもてあそぶ、純粋に信じるものにまっすぐ向かう若い心を手なずけて命を捨てさせる原理主義組織は断じて許せない。
しかし、である。
この殺戮の連鎖の最初の石は誰が投げたのか。
テロリストは中東への空爆をやめろというだろう。
ガザでの虐待、迫害をやめろというだろう。
お前が最初に殺したんだ。
互いにそんな台詞を投げ合っているのだ、世界は。
そのことをもう一度考えずには、何一つ解決には向かわない。
追悼集会にはイスラエルのネタニヤフも出席するという。前大統領のサルコジも(ま、こっちは当たり前だけど)。どんな顔して参加するんだ。
欧米はユダヤコネクションを憎んでいる。その根は長く、深い。
しかし、ユダヤコネクションに牛耳られてしまっていて、身動きできない。
ほんとうはユダヤ排斥を叫びたいけれど、大戦後はそんなことは露ほども言えなくなった。政治経済をがっちり支えているのはユダヤ人たちだからだ。ナチスに酷い目に遭ったのはほかでもないそのユダヤ人だからだ。イスラエルの振る舞いを見て見ぬ振りをせざるを得なくなった。その果てにイスラム教徒の反感を呼んだ。
しかし、石油権益のためにイスラム世界にもゴマを擦らなければならない。
憎悪と利権のスパイラル。出口は、ない。
このあと数十年もの間、私たちはただ、言い続けることしかできないだろう。描き続けることしかできないだろう。世界のあちこちで人々が殺し殺されていくのを横目で見ながら。
Je suis Charlie.
Je suis Charlie (2) ― 2015/01/12 02:53:26
パリの友人たちからぽつりぽつりと返事が来た。例外なく皆驚き、悲しみ、そして恐ろしさに怯えている。いつも冷静で皮肉屋のある友達が、いつになく取り乱していたことが伝わってくる。一人暮らしで、いかにもパリジェンヌらしい個人主義を貫いている女性が、「みんなとともに在りたいもの」なんていう。ふだんは「隣は何をする人ぞ」的なフランス人が、自由という旗印の下に連帯するとこれほどのパワーが発せられるのか、と、レピュブリック広場からの中継や、フランス全土各都市にも波及した追悼デモのレポートを目に耳にするたび感心する。群衆が集まってシュプレヒコールを挙げるフランスの様子を眺めるのは、直近では大統領選挙のときかな。その盛り上がりがうらやましいと思ったものだ。今回も、このマニフェスタシオンそのものについてだけ言えば、「国民よ結束せよ」という(支持率が激落ちしてる)大統領の呼びかけに呼応して老若男女、出自を問わず、ぐわあああっと集まるパワーは素晴しいし、やはりうらやましいと思う。
しかし、彼らがこれほどまでにパワフルなのにはわけがある。
約200年前、フランス人は血で血を洗うようにして「自由」「平等」「兄弟愛」を勝ち取ったのだ。彼らにとって「自由」は何にも代え難い、掛け値なしの、正真正銘の、「命がけで勝ち取った」「なんびとも生まれながらに保持する侵されざる権利」なのである。自由は天から降ってきて空気のように当たり前にそこに在るもの、みたいに感じている日本人とはエライ違いなのだ。
「表現の自由」の象徴たる新聞社(週刊紙)への銃撃は、まさに「自由」を踏みにじり冒涜する行為ゆえ、フランス人は立ち上がった。シャルリエブドの編集長、シャルブは「ひざまずくくらいなら立って死ぬ」と言っていた。どこからでもかかってこい、逃げも隠れもするかい、言いたいことがあれば言え、と公言していた。そして真正面から、名を呼ばれて、撃たれた。
いちいち言いたくないが、でも言うが、すでに日本の新聞は、週刊紙もテレビもラジオも、「表現の自由」の象徴などでは全然ない。ひざまずけなんて言われてないのに自らかしずいて、おいしいご褒美もらってせっせと貢いでいる。
Libertéという名のパン屋が近所にあるが(美味しいパン屋さんだけど)、訪ねるたび店名が空虚に響く。日本に、リベルテの概念は、実在しない。言葉の意味があるだけだ。あ、いや、パン屋さんに罪はありません、断じて。
フランソワ・オランドの掛け声に集結した、英独の首脳はじめアフリカや中東から首脳が集まり、みな腕を組んで横に並び、一緒に歩いている。こんな風景、初めて見る。なんだ、みんな、仲良くできるんじゃないか。せっかく集まったんだからちゃんと話し合ってよ。そして、とふと思う。アジアでのこの風景は可能か? 誰が掛け声かける? そこからもめそうだ。誰が誰の隣に並ぶかでまたもめそうだ。どこかの極右傀儡政権のソーリだと、たぶん誰も駆けつけてはくれないだろう。というより、集まってもらうような案件が起こりそうにない。攻撃してもたいしたダメージを与えられないところは、テロの標的にはならない。たとえばどこかの極右傀儡政権のソーリは「あ、沖縄ならいいですよ、いつでもドーゾ。東北でも全然オッケーよ。テロ、ウエルカム」とか言いそうだ。冗談でなく。しかしテロリストは、歓迎されるようなところは襲わないのだ。
パリ150万人、リヨン25万人、トゥールーズ15万人。ボルドーやディジョン、グルノーブル、メッツでも数万人規模、私の第二の故郷モンペリエでも7万人。
ロンドン、マドリッド、ローマ、ベルリン、コペンハーゲンなどでもデモ行進。ミュンヘンはどうなんだろうかと少し気になる。
行進する人々の様子を見ていると、家族連れ、友達どうし、カップル、さまざまに連れだって、いやひとりで参加した人も、おそらく隣り合わせた人と手を取りあって、Je suis Charlieの横断幕とともに、その言葉を大声で叫んでいる。ペンを掲げる人もいる。鉛筆のかぶりものをもってくる人や、色鉛筆を何本も手に持って両手を突き上げる人も。私はイスラム教徒だがシャルリだ。私は黒人だがシャルリだ。私はユダヤ人だがシャルリだ。そんなメッセージを書いたボードを首から下げる人、背中に貼って歩く人。
さっき、ラジオからはグランコールマラド(Grand Corps Malade、シンガー)の声が聞こえていた。歌詞に「Je suis Charlie」が組み入れてあった。
だれもが「シャルリ」を名乗った日。
Je suis Charlie.
お祭り騒ぎにまぎれて、また酷いことが起こらなければと思う。
捜査状況も報道されているが、犯人は3人とも射殺され、うち一人の内縁の妻は消息を絶っているとあって、彼らがいかにして襲撃するに至ったのか謎のままだ。その内縁の妻の身柄を捕獲しなければ、真相は闇のままだ。しかし、自死する可能性も高い。なんてことだろうと思う。恐怖は、居座り続ける。
返信メールをくれた友達の一人が、リンクを張ってくれていた。
2006年の映像だが、シャルリエブド編集部のミーティング風景だ。
http://iloveyougeorgiahubley.tumblr.com
この人たちは、もういないのだ。
ほぼみなが、銃弾に倒れた。
どれほど無念だったろうか。悔しさを感じる間もなかったかもしれないが……。
スタッフのペンからすらすらと、つぎつぎに風刺画が描かれていく。それはイマイチだよ。おおそいつはいいぞ。表情がピンと来ないよ。いっそ顔を隠せば。台詞を換えてみろ。……知性と才能にあふれた人々のつくりあげる、洗練された時間と空間がそこには在る。たしかに在る。なのに、もう二度と再現はできないのだ。映像が進みゆく。私は、泣いた。喪失の大きさに、あらためて打ちのめされて、泣いた。
Je suis Charlie (3) ― 2015/01/14 22:08:50
新聞の心配をするためのシャルリその3ではないのだ。
米国ニューヨークでの同時多発テロのときも陰謀説が賑やかだったが、今回は、陰謀説、ないのかな。
ついこないだ、どこかの国の極右傀儡政権のソーリが別に誰も頼んでないのに消費税増税を先送りの信を問うなんつー“小泉純ちゃんの劇場型に負けたくないの”自己陶酔型解散総選挙を強行したけど、それも国民の反感が増してきて支持率が低下して危機感を覚えた「側近たち」がアホソーリをけしかけたのだった。これと比較して論ずるのはあまりにフランソワ・オランドに失礼だが(失礼じゃないかもしれないけど。笑)、オランドも国際的には存在感がなく、国内的には打つ手総崩れで国民の不満が募るばかり、私的には元カノから暴露本出版されたりで踏んだり蹴ったりだった。何か劇的に大きな出来事とか社会現象が起きて突破口とならない限り支持率の回復は見込めそうになかった。
そこで。
なんか、しようや。
なんぞ、方法はないかいな。
と、いろいろ策を講じたとしても不思議ではないではないかい?
フランスは、前大統領のニコラ・サルコジがええかっこしいが過ぎてとりあえず国をくちゃくちゃにしちまったから、有権者は少しはましだろうと左の社会党を選んだんだけど、これがハズレた。ニコサル時代よりはマシ、という人も友人の中にはいるが、多くは「さらに酷くなった」という。酷くなった理由にはEUという機構が機能不全に陥っていることもある。オランドばかりが悪くないにしても期待したより彼は有能ではなかったとすでにNGスタンプが押されてしまった。したがって国民の中には政権への不信に加えてEUに対する不信、嫌厭感が募っていて、それが移民排斥感情と偏向なナショナリズムの高揚に流れがちである。中道右派も左派もダメで右翼と左翼にはろくな人材がないのなら残された極右と極左の一騎打ちしかなくなるではないか、それなら愛国心をあおる極右が過半数をとる可能性が高い、そうなったら極右不支持者にとってはまさに地獄だ。それは世界にとっても地獄絵図だ。それだけは避けなければならないが、今のまま放っておくといずれオランドにルペン(娘)が取って代わるのは時間の問題だ、何が何でも避けるのだ……と、ニコサルやオランドの失脚はどうでもいいにしても、国の将来を案じて、今、カンフル剤を打たなければ!と考えた誰かがいてもおかしくない。
テロは綿密に計画され、周到に準備され、鮮やかに演出され、遂行された。権力者たちの指示で。そう考えることもできる。シャルリエブドの風刺画をいまいましいと感じていたのは、けっしてイスラム教徒だけではない。描かれた誰もがいい気分なはずはない。シャルリエブドはあらゆる対象を風刺していた。政治的権力者、大富豪、著名人。でありながらシャルリエブドは世論を操作するような大きな影響力のある大新聞ではない。少ない発行部数、いつだって休刊、廃刊と紙一重だった。消失しても社会への影響はない。
オランドが、追悼デモ行進の日、呼び集めた各国首脳とともにはないちもんめみたいに手を組み並んでみせたのを見たとき。殉職警官の棺に花を手向けるのを見たとき。被害者遺族の肩を抱いて哀悼の意を表しているのを見たとき。こいつ、ぜったい内心シメシメ……と思とるわ、と思わずにいられなかったのである。たぶん世界中のメディアがオランドの言動をトップ扱いだ。就任以来、そんなことあったか?