Je suis Charlie (2) ― 2015/01/12 02:53:26
パリの友人たちからぽつりぽつりと返事が来た。例外なく皆驚き、悲しみ、そして恐ろしさに怯えている。いつも冷静で皮肉屋のある友達が、いつになく取り乱していたことが伝わってくる。一人暮らしで、いかにもパリジェンヌらしい個人主義を貫いている女性が、「みんなとともに在りたいもの」なんていう。ふだんは「隣は何をする人ぞ」的なフランス人が、自由という旗印の下に連帯するとこれほどのパワーが発せられるのか、と、レピュブリック広場からの中継や、フランス全土各都市にも波及した追悼デモのレポートを目に耳にするたび感心する。群衆が集まってシュプレヒコールを挙げるフランスの様子を眺めるのは、直近では大統領選挙のときかな。その盛り上がりがうらやましいと思ったものだ。今回も、このマニフェスタシオンそのものについてだけ言えば、「国民よ結束せよ」という(支持率が激落ちしてる)大統領の呼びかけに呼応して老若男女、出自を問わず、ぐわあああっと集まるパワーは素晴しいし、やはりうらやましいと思う。
しかし、彼らがこれほどまでにパワフルなのにはわけがある。
約200年前、フランス人は血で血を洗うようにして「自由」「平等」「兄弟愛」を勝ち取ったのだ。彼らにとって「自由」は何にも代え難い、掛け値なしの、正真正銘の、「命がけで勝ち取った」「なんびとも生まれながらに保持する侵されざる権利」なのである。自由は天から降ってきて空気のように当たり前にそこに在るもの、みたいに感じている日本人とはエライ違いなのだ。
「表現の自由」の象徴たる新聞社(週刊紙)への銃撃は、まさに「自由」を踏みにじり冒涜する行為ゆえ、フランス人は立ち上がった。シャルリエブドの編集長、シャルブは「ひざまずくくらいなら立って死ぬ」と言っていた。どこからでもかかってこい、逃げも隠れもするかい、言いたいことがあれば言え、と公言していた。そして真正面から、名を呼ばれて、撃たれた。
いちいち言いたくないが、でも言うが、すでに日本の新聞は、週刊紙もテレビもラジオも、「表現の自由」の象徴などでは全然ない。ひざまずけなんて言われてないのに自らかしずいて、おいしいご褒美もらってせっせと貢いでいる。
Libertéという名のパン屋が近所にあるが(美味しいパン屋さんだけど)、訪ねるたび店名が空虚に響く。日本に、リベルテの概念は、実在しない。言葉の意味があるだけだ。あ、いや、パン屋さんに罪はありません、断じて。
フランソワ・オランドの掛け声に集結した、英独の首脳はじめアフリカや中東から首脳が集まり、みな腕を組んで横に並び、一緒に歩いている。こんな風景、初めて見る。なんだ、みんな、仲良くできるんじゃないか。せっかく集まったんだからちゃんと話し合ってよ。そして、とふと思う。アジアでのこの風景は可能か? 誰が掛け声かける? そこからもめそうだ。誰が誰の隣に並ぶかでまたもめそうだ。どこかの極右傀儡政権のソーリだと、たぶん誰も駆けつけてはくれないだろう。というより、集まってもらうような案件が起こりそうにない。攻撃してもたいしたダメージを与えられないところは、テロの標的にはならない。たとえばどこかの極右傀儡政権のソーリは「あ、沖縄ならいいですよ、いつでもドーゾ。東北でも全然オッケーよ。テロ、ウエルカム」とか言いそうだ。冗談でなく。しかしテロリストは、歓迎されるようなところは襲わないのだ。
パリ150万人、リヨン25万人、トゥールーズ15万人。ボルドーやディジョン、グルノーブル、メッツでも数万人規模、私の第二の故郷モンペリエでも7万人。
ロンドン、マドリッド、ローマ、ベルリン、コペンハーゲンなどでもデモ行進。ミュンヘンはどうなんだろうかと少し気になる。
行進する人々の様子を見ていると、家族連れ、友達どうし、カップル、さまざまに連れだって、いやひとりで参加した人も、おそらく隣り合わせた人と手を取りあって、Je suis Charlieの横断幕とともに、その言葉を大声で叫んでいる。ペンを掲げる人もいる。鉛筆のかぶりものをもってくる人や、色鉛筆を何本も手に持って両手を突き上げる人も。私はイスラム教徒だがシャルリだ。私は黒人だがシャルリだ。私はユダヤ人だがシャルリだ。そんなメッセージを書いたボードを首から下げる人、背中に貼って歩く人。
さっき、ラジオからはグランコールマラド(Grand Corps Malade、シンガー)の声が聞こえていた。歌詞に「Je suis Charlie」が組み入れてあった。
だれもが「シャルリ」を名乗った日。
Je suis Charlie.
お祭り騒ぎにまぎれて、また酷いことが起こらなければと思う。
捜査状況も報道されているが、犯人は3人とも射殺され、うち一人の内縁の妻は消息を絶っているとあって、彼らがいかにして襲撃するに至ったのか謎のままだ。その内縁の妻の身柄を捕獲しなければ、真相は闇のままだ。しかし、自死する可能性も高い。なんてことだろうと思う。恐怖は、居座り続ける。
返信メールをくれた友達の一人が、リンクを張ってくれていた。
2006年の映像だが、シャルリエブド編集部のミーティング風景だ。
http://iloveyougeorgiahubley.tumblr.com
この人たちは、もういないのだ。
ほぼみなが、銃弾に倒れた。
どれほど無念だったろうか。悔しさを感じる間もなかったかもしれないが……。
スタッフのペンからすらすらと、つぎつぎに風刺画が描かれていく。それはイマイチだよ。おおそいつはいいぞ。表情がピンと来ないよ。いっそ顔を隠せば。台詞を換えてみろ。……知性と才能にあふれた人々のつくりあげる、洗練された時間と空間がそこには在る。たしかに在る。なのに、もう二度と再現はできないのだ。映像が進みゆく。私は、泣いた。喪失の大きさに、あらためて打ちのめされて、泣いた。