コピーライター2007/04/03 14:10:42

ああ、肩がカチカチパンパンコリコリだ。
今、「チョー急ぎ!」といわれた原稿を終えたところなんだが、ほとんど姿勢を変えずに調査検索&コピペ&テキスト入力を繰り返したせいで、肩から背中が鋼鉄のようになった。この状態が金曜・月曜、そして今朝、火曜の朝まで引っ張られてしまった。本当は月曜の朝にアップしなければならなかったんだけど、上司にダメ出しされたので調べ直し&書き直し。

つくっていたのは着物雑誌で展開する記事体広告の原稿で、店紹介と商品紹介および写真で構成する、至極ありがちな数ページ。テキスト量もわずかだ。だけど着物を知らない者には容易ではない作業なのだ、これが。

「あなたの書いたものを読んでいると、本当に着物に興味がないということがよくわかるわ」
「はあ、すみません。興味がないわけじゃないんですけど……」
「着物好きな女性が、どういう点に心惹かれるかがわからないんでしょう。その気持ちはわかる。あなたも私も本物を身近に育ったからね」

上司は呉服商の末娘だった。私には染め職人の父がいた。彼女はそのことを言っている。家には反物や和小物の素材がごろごろしてて、珍しくもなんともなかった。それらが末端価格○○万円なんかになったりする。

「当たり前にあったからかえって、着物に惹かれる人の心がわからない。私も駆け出しの頃はそうだったのよ。だからお茶を習ったりしてそういう世界に身を置く人の気持ちを理解することから始めたの」
「はい」

はい、私も茶道のお稽古に行きます、という意味の「はい」では、もちろんない。

「あなたもお茶を習いなさいとは言わないけれど」

上司はわかってくれている。

「着物ネタはウチによく来る仕事だから、もう少し勉強してちょうだい。着物好きな女性は、とくに雑誌なんかで情報を得ようとする女性は、伝統的な、とか贅沢な、という言葉に弱いの。もっと表現に甘さを加えなさい」

ということで、最も苦手なあま~い誘い文句を(おそらく必死の形相で)、やっと作り上げたというわけだ。「小粋な装いにほんのり華やかさを添えるパールビーズの帯留め」とか。

着物ばかりか、洋服にも興味がないし、いわゆるファッション雑誌には縁がないので、何をどう書いてあげれば女性が「あ、この着物素敵だわ、欲しいわ」と思ってくれるのか、ぴんと来ないのである。
関心のないジャンル、分野でも、私たちの仕事はその専門家のような口ぶりで書かなくてはならないこともある。すでに私は教育関係や行政関係、医療関係や国際関係で「そのふり」して書いてきた。でも、ふりばっかりなので、いくら「そのふり」経験を積んでもぜーんぜん知識として積み上がらないのが我ながら残念だ。「もう少し勉強してちょうだい」といわれて「勉強する」ということの意味は、ふりができる程度なので、けっきょく着物スタイリストや着物文化評論家になる道が開けるわけではない。

件の上司も、著書を出すくらいの書き手ではあるけれど、彼女が関わるあらゆる分野で相当量の知識を持ちながら、それでも専門家ではない。しかし彼女は「コピーライター」はそうした職業だとわきまえているので自身が専門家でないことに疑問を持たないし、顧客から求められている以上の知識を得るための調査はしない。彼女の関心は多方面へ向くが、先端までは行かない。明快に、この原稿はここまで、という線引きをすることができて、「ここまで」を越える好奇心はもたない。
どんな分野の原稿が依頼されても、彼女はその道の専門家のように書き上げながら、その分野のもう少し深いところについては「そんなことまで知らないわ」と、しゃあしゃあとしている。

そのあたりが、私は割り切れないのだ。私は「何にでも関心を持つ」ことは到底できないし、関心を持ったが最後、知り尽くさなければ気がすまない。だがそんなことやってると、コピーライターとしては失格だ。
今回の仕事でも、沖縄の「ミンサー」という帯が出てきたが、これがまったく言葉を知らなければ「ミンサー」の一般的な意味がわかった時点で調べるのをやめる。でも、不幸にも私はミンサーと聞くと、ああ、これこれこういう感じの帯だったっけと思い浮かべることができる。その自分の感覚で商品紹介を書いても、今回の場合はダメで、上司いわく「ミンサーという言葉の光彩に読み手が心をときめかせなければ」という。それならば「琉球文化の神髄」だの「○○年の伝統」だの書けばいいんだけど、確かな裏を取らないといけないから文献やウエブをくまなく探す。すると当然ながらいろいろな情報が付随して見つかる。で、当然ながら私の場合それらをすべて検証しなくては気がすまなくなる。検証していくうちに、本来調べなくてはならないことから外れることもしばしばだ。ミンサー織りはどうやらアフガニスタンが発祥らしいんだけど、延々と調べ続けて危うくバーミヤン遺跡からタリバンの起こりまで調べそうになって我に返った。

しかし短納期の仕事はじゅうぶんな時間がないから、どのみち調べつくすことができないで、けっきょくお茶を濁したような表現にとどまる。
それでも読み手に「なるほど!」と思わせるのが切れのいい原稿の書ける、上質のコピーライターだ。なんだ、何が言いたいんだ、はっきりしないなあ、でどうなのさ、と思われるのは下手くそだ。
私などは、ジャンルによっては目いっぱい下手くそだ。
でもでも、ほんとのこというと、上質のコピーライターなんかにはなりたくないのである。
今下手くそなジャンルには、一生下手くそでいたいのだ。

ああ、肩がカチカチパンパンコリコリだ。
でもこの肩と引き換えに、何を得たか。女心をくすぐる甘い宣伝文句作成技術? 染織品産地の歴史やその技法の発祥地知識?
どれも、ゼロに近い。着物ネタの仕事を100回くらいこなさないと「そのふり」の域すら達しないだろう。

そこまでして、上質のコピーライターなんかになりたくないのであるっ。

猫に変身する2007/04/04 19:22:03

『ジェニィ』
ポール・ギャリコ著 古沢安二郎訳
新潮社(1972年)/新潮文庫(1979年)


「猫はいいなあ。○○しなくていいし」

○○には、子どもなら「宿題」「早起き」「お手伝い」、大人なら「仕事」「会議」「ごますり」「確定申告」……などが入るであろう。
確かに猫は、宿題も早起きも会議もないゆうゆうウルトラマイペースライフを送っている。犬のように「お手」といわれたら前足を出す、なんて習慣を身につけさせられることもない。
だから人間はつい猫がうらやましくなる。猫になりたいと思う。猫みたいに気ままに、昼寝とメシと排泄だけで、時間を費やしてみたくなる。
猫になりたい。猫に変身したい。

そう思ったあなた、『ジェニィ』を読みましょう。冒頭から数ページ読み進めば、あなたはきっと、手の甲をぺろぺろと舐めその甲で目元から額、後頭部まで撫でつけるしぐさを繰り返している自分を発見してうろたえるだろう。

本書は二匹の猫の、恋と友情と冒険の物語。物語は白い雄猫ピーターの一人称で進む。自分の居場所を失って戸惑うピーターを優しく包み込む、誇り高い雌猫ジェニィ・ボウルドリン。ジェニィはピーターに野良猫の心構え、掟、処世術を根気よく丁寧に教えていく。おどおどしていたピーターは、ジェニィに助けられながら、さまざまな出来事を乗り越えてたくましく成長する。二匹は船に乗って旅もするし、高い塔を登りつめもする。可愛がってくれた老人の死に遭い、昔の飼い主に再会もする。ときに大怪我をしたり、命を危険にさらすこともある。そして、ピーターは追い詰められたジェニィを守ろうとして……。

こんなふうに書いてると、猫を擬人化した物語のように見える。が、その形容は正しくない。強いていうなら人間を擬猫化している、となるだろうか。しかしそれも本当は正しくない。二匹はまぎれもなく、あますところなく猫である。次々に訪れる出来事は、猫でなければ経験できない事どもだ。私たちは二匹の体験を「猫になりきって」追体験するうちに、ほんとうに猫になる。
たとえば、二匹は猛スピードで港へ向かって走る。人間の脚の間をすり抜け、柵を跳び越え、桟橋から船に飛び移る。船乗りに見つかって海へ放り出されないために、二匹は船内のネズミをことごとく退治してみせる。
スリルやスピード感にあふれたそんな場面で、読み手は、あたかも走りながらベルトを装着し「変身!」と叫ぶライダーのように猫に変身する。目標に向かって疾走しながら。ジャンプしながら。

ジェニィはピーターに、毛づくろいすることの重要さを説く。落ち着かないとき、考えがまとまらないとき、毛づくろいをする。空腹で死にそうになっていても、毛づくろいはする。すると自然と心が休まり、希望に満たされる。他の猫に遭遇し、不利な状況になったら毛づくろいをする。猫は毛づくろい中の他の猫にちょっかいは出さない。これは猫の世界のマナーだからだ。人間の目が怖いときもひとまず毛づくろいをする。人間は毛づくろいをする猫を「可愛いな」と思うのでまずはそっとしておいてくれるからだ。

毛づくろいする我が家の愛猫を思う。おみゃーはニャんか考えてたのか? 考えがまとまらニャいのか? 我が愛猫は雨のロンドンで空腹に倒れたりしないし、揺れる船内でバランスを取りながらネズミに狙いを定めることもない。それどころか完全室内飼いだから、公園で先住猫に敬意を表する、なんてこともない。でも彼女だって、実に頻繁に、入念に毛づくろいする。私たちに対してやましいことでもあるのか。今日の午後の来客が気に入らなかったのか。最近遊んでくれないと拗ねているのか。たぶん些細なことだろうけど、我が愛猫もきっと心を落ち着かせようと毛づくろいしている。
身近に猫のいる人には、猫との「以心伝心」度がぐっと高まるのが感じられるだろう。本書は少なくとも、人を猫に近づける。

猫を愛してやまない人には、もう「たっまらな~い」物語。
猫を飼っている人には、その猫との仲がより「いい感じ」になる一冊だ。
猫は嫌い、ウチの近所野良猫多くて臭くていやよという人にも、「ああ……猫たちにも凄まじい生活があるのね、うるうる」ぐらいの感想はもってもらえるはずだ。

読む者の心を完膚なきまでに猫化してその世界に引き込みながら、最後にあっけなく人間の世界に押し返す。ああ、いやよ、戻りたくないっあたしをまだ猫のままでいさせてっ。

おそらくギャリコも猫に変身してこの物語を書き、書き上げて人間に戻ったに違いない。
彼には猫関係の著作が他にもある。小説を書くたびに、そして猫から人間に戻るたびに、ある種の切なさを感じていただろうか。彼の読者のように。

ところで、物語の結末に重なるのであまり述べたくないが、最後の最後で私はコケた。
ピーターが新しい猫と出会い、その猫を命名するシーン。
その名前が……他にいい訳語なかったのかよ、ピーターやジェニィみたいに原語をカタカナ化でいいじゃんか、ルビ振るとか意味を括弧で付けとくとか工夫すればどうにでもなっただろーに、その名前はないだろーオチにもなってないよって、最後の最後で叫んでしまったよ。
本書を原書で読まれた方、あるいは本書を読んで、最後の猫の名の原語にピンときた方がいたら、本エントリーにコメントをください。

ヨロコビ・ア・ラ・カルト2007/04/06 17:07:08

1)
毛糸のざぶとん。おこたの中。お布団の上。暖房の入った床。朝と昼の窓辺。うたた寝。お昼寝。すりすりブラッシング。お水。ごはん。りぼん。おもちゃ。爪とぎ。お風呂の匂い。

2)
朝。光。土。雨。虫。水。苔。石。

3)
枝豆。焼き魚。大蒜の紫蘇漬。かまぼこ。白ご飯。五目飯。じゃこ飯。まったけご飯。芋と牛蒡と蓮根の煮つけ。大根とベーコンの蒸し煮。生チョコ。板チョコ。ガトーフレーズ。苺ショート。スコーン。マフィン。紅茶。えびせん。するめ。さきいか。猫とのおしゃべり。朝のお布団。朝のランニング。体育。図工。給食。バレエ。自転車。お母さんの「ただいま」。みんなで食べる晩御飯。

4)
気配。声。ごはん。朝と夜。春と秋。冷たさ。温もり。空気の粒。仲間。藻。

5)
お隣のおしゃべり。裏の奥さんの声。ご近所の噂。商店街。お買い得品。猫のおねだり。猫が餌を食べる音。猫が水を舐める音。猫とのおしゃべり。猫の温もり。朝。小鳥のさえずり。猫の呼ぶ声。朝のお茶。葉を伸ばす紫陽花。娘の足音。孫のあくび。

6)
君の寝息。君の寝言。君の「もうちょっとだけ」。君の「あと5分」。君の「おはよう」。君の「いただきます」。君の「うーんおいしい」。君の「ごちそうさま」。君の「わからへーん」。君の「教えてー」。君の「遊ぼー」。君の「よっしゃあ」。君の笑顔。君の笑い声。君の泣き顔。君の涙。君の怒り。君の悲しみ。君の痛み。君の感激。君の感動。君の喜び。君の「おかあさーん」。

7)
キャベツ。


さて問題。下の各記号に合うものを上の番号から選んでください。
ア)ウチの娘(11歳) イ)ウチの母(70歳) ウ)ウチの猫(1歳) エ)ウチの蛙(年齢不詳) オ)ウチの金魚(推定7歳を筆頭に6尾) カ)ウチのタニシ(6歳3匹、2歳1匹) キ)わたし

難しかったでしょう?

スコホッテンなジャックの絵2007/04/06 20:30:23

『ふとっちょねこ』
(デンマーク民話)
ジャック・ケント 作  まえざわあきえ 訳
朔北社(2001年)

猫の本が続くんだけど、こちらは絵本。
発刊直後に入手して以来、大のお気に入り。すっとぼけた話にすっとぼけた絵がマッチして、絶妙のバランス。短いながら、一字一句訳者と編集者が議論を重ねて仕上げたという訳文が、内容と絵を見事に表現して素晴しいのである。
眺めて感動したり、ストーリーの面白さに唸るような類の絵本ではない。
桃から桃太郎が生まれるはずはないのといっしょで、猫がそんなに何でもかんでも食うわけないのだが、猫は見るもの何でも「たべてしまいました」なのである。
延々と続く「たべてしまいました」が妙に可笑しい。
小さな身体だったはずの猫が、どんどんふくらんでいく。
最後にきこりにたしなめられる。「そりゃあ だめだよ、ねこちゃんや」

途中、猫は「スコホッテンなんとか」をはじめとするけったいな名前の紳士たちを食べるのだが、これら人物名がこれまた話と絵にベストマッチでどうしようもなく可笑しい。
結構これらの名前をリピートするので、それもまた可笑しい。

リズムよく読んでやると、素直な子どもなら間違いなく「へーんなの~」といって笑うはず。いや、笑わなかったからといってその子が素直じゃないなんていうつもりはありませんけど。
でも本当に、読んでて笑える。聞いてて笑える。ほのぼのと、笑える。

ジャック・ケントさんはアメリカの絵本作家で、生涯に実に多くの絵本を手がけたそうだ。もともと漫画家だったというその絵は、柔らかい線に水彩とおぼしききれいな色遣いが優しくて、とぼけたユーモラスなお話にぴったりのタッチ。といって、個性的な画家の絵本があふれる昨今、決して目立つ存在ではない。むしろ地味なほうだろう。アート志向のお母様方はお選びにならないかもしれません。
でも、この絵は、本当に、とてもいい。
ジャック・ケントさんのほかの絵本も邦訳があるのでぜひ見て欲しい。スコホッテンな絵なのである。

猫でなくても、あまり大食いでないイメージの小動物なら成り立つ話だが、桃太郎が桃でなく苺やメロンでは成り立たないように、デンマークではこの話は猫に限るのだろう。青いガウンを着て寝そべる猫は、最初からあまり可愛げがない。デンマークの猫はどのように生活の歴史を重ね、人々と共存してきたのだろう。
気がつくと、我が家で猫を飼う前から猫の本は数多く読んできているわけだが、猫の描かれ方にも、当たり前だが人間と同じように、いろいろあるものだ。
猫から切り取る世界各国の生活文化を研究してみるのも面白そうだ。誰かやってないかな? 誰かやる気ないかな?

私たちは出入りを許された存在2007/04/10 18:45:02

『ねこのホレイショ』
エリナー・クライマー 文
ロバート・クァッケンブッシュ 絵
阿部公子 訳
こぐま社(1999年)


ついでだからもう一冊、お気に入りの猫の絵本を。

ホレイショはおじさん猫。その顔はいつもしかめっ面に見える。
好きでしかめっ面をしているわけではなくて、そういう顔なんだが、実際ホレイショは、抱っこされたり撫で撫でされたりしてもちっとも嬉しくなくて、可愛がられるよりも「そんけいをこめて、あつかってほしいと思っていたのです。」

ホレイショはケイシーさんの家に住んでいる。お決まりの場所でくつろぎ、お決まりの場所で食事をし、お決まりの場所で眠る。しかし、親切なケイシーさんは子犬を拾う。お隣のウサギを預かる。けがをした鳩を助けて手当てをし、治るまで世話をする。おまけに近所の子どもたちはしょっちゅう出入りをする。
自分だけに保障されているはずのお決まりの場所が侵食されていく。居場所がないばかりか、無遠慮な子どもの手が身体を逆撫でしてくれる。ホレイショはとうとう、「もううんざりだと思いました。」

ホレイショは家を出る。やがて腹が減るが、思うように食べ物が手に入らない。困っているところへ2匹の子猫に出会う。捨て猫らしい子猫たちはホレイショを頼ってついてくる。さらに困ったホレイショ。どうにかしなくてはと街をうろつくうちに――。


終始しかめっ面のホレイショが、ちょっぴり寛大になって、最後、ニンマリと笑みを浮かべる。その笑みは「ま、妥協も必要ってことだな」とでもいわんばかりの、波乱含みの半生を送ってきた壮年期の企業人といった感じで、妙に面白い。

可愛がられるのはまっぴら、他の生き物(人間を含む)に対して無視もしくは蔑視を決め込んでいたけれど、ちょっとした旅をして、「しょうがねえ、可愛がられてやるか」「おまえらの出入りを許してやろう」という気分になった。可愛げのない猫のもつ、飼い猫ゆえの譲歩の末の愛嬌。とっぴな物語でもなんでもないのに、その視点のユニークさで読者を惹きつける。リノリウム版画という技法で創られた絵は、しっとりと温かい。


猫の縄張りは広くなく、縄張りを越えて遠くには行かない。飼い猫の場合、住む家(=縄張り)から遠く離れて出かけるという習性はない。また完全室内飼いにしていれば、その家が行動範囲のすべてになり、戸外への興味は示さなくなる代わりに、家が縄張りだという意識は強くなる。――ということが、最近買った『ねこのお医者さん』だったか『ネコと暮らせば――下町獣医の育猫手帳』だったかに書いてあった。
さらに、これらどちらの本だったか忘れたが、飼い猫にとってその家の住人は、どうやら受け入れるしかなさそうだとしかたなく縄張りに出入りすることを許された生き物に過ぎない、とも書いてあった。
これらのくだりを読んだとき、私はこのホレイショを思い出し、次いで我が愛猫をじっと見た。
「私たちって、おみゃーの縄張りへの出入りを許された希少な存在なのだニャ」

※ねこネタが増えたので、「ねこ」カテゴリも作りました。

4月11日に思ったこと2007/04/12 17:28:08

娘の同級生のお父さんが亡くなった。
その家には、娘の同級生を長女に3人の子どもがあった。
お母さんは昨年度のPTAクラス委員に就いてらしたので電話で話したこともお顔を見かけたこともあったが、あまり親しくはなかった。
だから細かなことは推測するしかないんだけれども、たぶん40歳前後という若さで、お父さんは亡くなってしまったのだ。
銀行にお勤めだったらしい。仕事中に突然倒れたという。すぐに救急車で運ばれて即入院。ずっと意識不明だったのか、それとも家族と言葉を交わすことができたのか、知らない。話によれば倒れたのは先週の金曜日、我々が訃報を耳にしたのは4月11日の朝。
娘のクラスでとくにその子と仲のよかった子の話によれば、9日、10日に彼女は学校へ来ていたが、「病院にお父さんをお見舞いに行くんだ」といって、授業が終わると飛ぶように帰っていたという。

妻と、3人の子どもを残して突然死んでしまうなんて。
どんなにか心残りだっただろうか。言葉もない。

2年前、近所に住む幼馴染みの夫が急死した。
幼馴染みは再婚、夫は初婚だったらしいが、二人の間にやっと生まれた子どもが2歳か3歳になったところだった。幼馴染みの胸中、私などには到底測れない。

「お父さんが死んじゃうって、大変なことだね」と娘。
「そうだねえ」と私。
娘の同級生宅と、私の幼馴染み宅の両方に思いを馳せつぶやきながら、娘は何をイメージしているのだろうかと考えた。娘には初めから、父親がない。幼児がおもちゃを欲しがるように、お父さんというものを欲しがったこともあったけれど、今はむしろ私に「変な男と付き合うな」という。おそらく、最初から存在のないものに対して執着を覚えないのだ。我が家はまったく豊かではないが、とりあえず食うに困っていないので、父親のいないことによる欠乏感は、娘にはないと思う。しかし一般常識としていわれる父親の存在の大きさや、大黒柱というたとえなど、お父さんのいる家庭ではお父さんって大きいものらしいことは、知っている。こういうときに、娘の小さな胸には何が去来するのか。

なんだかんだいっても、こうして側にいて娘を思える私は幸せ者だ。
死んでしまったら、何もできない。何ひとつ、できなくなるのだ。

痛みどめ2007/04/15 19:42:04

来た。
うう。痛い……。
ずうん、と重いものが落とされた気分だ。
重みに痛みを弄ばれていると言ったらわかってもらえるかな。
痛いんだよ、熱い鉄球が転がった挙句、鋭利な刃物に変質して、今度は体の奥を刺しては引いて刺しては引いて……。痛いよ。うう、痛い、うう。
しかし、俺はわかっているんだ、この痛みが引き潮のようにおさまることを。我慢していれば、また何も感じなくなる。
ほら、行くぞ、もう。

美貴が言ってたっけな、陣痛のリズム。「赤ん坊がお腹から出たいって、サインを送るのよ。そのサインは子宮に伝わって、子宮がちゃんと収縮運動をするのよ。最初はゆっくりね。えいえいえいって、出るぞ出るぞ出るぞって。でも、そう簡単じゃないんだよね。赤ん坊、たいがいデカくなり過ぎちゃってさ、ちょっとくらいの収縮じゃ押し出せないんだよね。ほら、穴だってさ、赤ん坊の頭の直径よりずっと小さいんだよ、それなのに出て来るってんだもん、ヤダッ」
美貴はそんなふうに、陣痛の合間に、まるでビー玉をお茶碗のなかで転がすようにころころと喋った。喋って喋って、またイタタッと、まるで番組収録中に「カット!」と指示されて台詞を中止するように、突然話をやめて、顔を思い切りしかめてその痛みに耐えた。「陣痛が来てる間ってさ、呼吸すら苦しいのよ。なんかつい歯、食いしばっちゃって、息止めちゃうの。そうじゃなくて、ゆっくり、痛いからこそゆっくり吸って、吐いて、吸って、吐いて、を繰り返すことが必要なんだよ。空気をね、すうううっと、赤ちゃんに届けてあげるつもりでさ。でも、これも簡単じゃないんだあー、赤ん坊のことよりとにかく自分が早く楽になりたいって、それしか頭にないっての」
美貴はそのあとも分娩室へ向かうまで、お喋りと「イタタッ」を交互に幾度も演じていたっけな。
美貴。

ああ、また、来たよ。
ううううう。痛い痛い痛い……俺はどんな顔をしているんだろう。
あの時の美貴みたいに、そこまで歪むかってほどに顔、しかめているだろうか。
違うんだろうな。

「わかるんですか、ドクター」
「わかるとも、君、血が通った肉体なんだからな。こうして手をあてたり、だな」

奴らだ。どちらか知らんが、俺の下腹、臍の近くに掌をあててやがる。
聞こえているんだぞ、おい。

「どの程度の痛みなんでしょう」
「感じかたは人それぞれだ。とくにこうした患者の場合は想像もつかんが、痛みを感じてもらわんとな」
「放置するんですか」
「痛みが刺激になってくれればと思うとるんだよ」
「では鎮痛剤は」
「不要だ」

野郎、さんざん人の腹を撫で回しやがって。
俺は、すべて感じている。医師は、俺の内臓を締めつけている痛み、なんだか俺にはわからんが、その原因を突き止めているようだ。確かめるように右から左へと、指圧するように掌が動く。今では俺は、医師の手の、どの指のどの関節が腹のどの位置にあるかさえ、わかる。
おい、そんなに触んなよっ。

「五感のうちいくつかは機能しているということですか」
「そうだ。この人は四肢が動かん。瞼の開閉もできん。しかし睡眠中でなければ音は聞こえ、皮膚は温度を感じているはずだ。目を開ければ見えるはず。だが反応する術を、体が失っておる。腹痛が、覚醒させてくれればいいんだが、体を」

痛い、痛いよ、美貴。会いたいよ、お前と赤ん坊に。
お前が俺の顔に乗せてくれた赤ん坊の、ちっちゃな手の感触、忘れてないぞ。見たいんだよ、どうしても、赤ん坊を抱いたお前を、この目で。
痛い、ううううう、痛いぞっ。こんなに痛いのになんだよ、医者のいうように、起きろよ、俺!

「変化なしですね」
助手らしき男の声に、医師は、ん、だの、あ、だの、言葉にならない返事をした。奴らの足音が遠ざかる。
俺はまだ、眠る能面のような顔をしたまま、ぴくりともせず横たわっているのだろう。
諦めないぞ。
痛みよ、来い。俺の体が覚醒し、美貴と子どもをこの目で見るまで死ぬものか。
もっと激しく、来い。痛みめ、テメエが今んとこ俺のよすがだ。

おはよう、ミドリ2007/04/16 11:38:31

アマガエルのミドリが冬眠から覚めました。

ミドリは去年の夏、突然我が家にやってきました。
小汚い狭小住宅の密集する我が家の周辺。
(↑ あ、ご近所の皆さん、ごめんなさい)

アマガエルなんていう、里山、田園、小川、池、などのネイチャー系要素がなくてはとても生息するはずのない生き物が、なぜ我が家に登場したのかは、わかりません。
代々染め職人の我が家は、父の代で作業場を機械化したのにともなって庭を潰しました。向こう三軒両隣、裏手もその向こうも、同じように家業の発展もしくは衰退、住み手の交代などにしたがって家のかたちが変わり、もともとどの家にも――どんな狭小な家にも――必ずあった中庭は姿を消しました。
私が幼い頃、よく迷いガエルを家で捕まえました。ものごころついたとき我が家にもう中庭はありませんでしたが、両隣も裏手にも、ささやかながら風趣ある庭があったので、どこかで生まれてウチへ来たんだね、このカエル、と私たちは喜んで水槽を整えてやり、朝晩、小さな虫を捕まえては餌として入れてやりました。思えば、小さな虫――クモやアリやコバエ――の確保に苦労した覚えはなく、古い家には年中、見方を変えれば不愉快きわまりない虫たちがいましたが、カエルのいるときは、虫のいる家でよかったなと親子で笑いました。

さて、どうしてアマガエルがウチへ到着したか。
考えられるケースはひとつだけ。それは、娘の小学校から娘にくっついてきた、ということです。
夏休みに入ったばかりのある日、学校のプールで水泳を楽しんだ後、娘はプールバッグを校庭の「どこか」に放り出し、級友たちとボール遊びにさんざん興じたあと、プールバッグを「どこか」から拾い上げて、級友たちとおしゃべりしながら帰宅しました。

家でおやつをバリバリ食べながらテレビをボーっと見ていた娘の前を、なにやら緑色の物体がぴょん、ぴょん、ぴょん。
仰天した娘は夕食の支度をする祖母に、
「おばあああちゃんんっっなんんかっっみどりいろのもんがぁとんんでるうっっ」
「えー?」
「ええっええっもしかしてっカエルちゃう?」
「いや、ほんま。カエル」
「おばあああちゃんんんっどうしよっ」
祖母はインスタントコーヒーの空き瓶(お徳用のでっかい瓶)を出してきました。「都会の野生児」の誉れ高い娘ではありますが、実際にネイチャー系経験はゼロに等しく、ナマの生き物に触ったことはありませんでした。しかし、祖母ではカエルの敏捷性にはとうてい勝てないので、娘は「一大決心をして」カエルの捕獲に向かい、なんとかガラス瓶におさめるところまでできました。

その間、すでに我が家へ来ていた愛猫は何をしていたかというと、この騒ぎをよそに、寝ていたそうです。

その晩、出席を要請されていた町内会の会合に、仕事のため出られない私に代わって祖母と娘が出てくれることになっていました。
「お母さん? 今から会合いってくるけど」
「ああ、悪いなあ、ご苦労さん」
「大事件やねん」
「なに?」
「カエルがな、いてん。びっくりしたー(と顛末をえんえんと語る)。ほんで今コーヒーの瓶に入ってるし、はよ帰って何とかして」
「はいはい、わかりました……(また生き物増えるんかよと途方にくれる)。あ。あのさ、ちょっとだけ水、ふりかけといたって。ほんで空気通るようにしてある? 猫が触れへんようなとこへ置いといてよ。ほんで……」
にわかに幼少時の記憶が蘇った私はケータイの向こうの(たぶん困惑顔の)娘に矢継早に指示をしたのでした。

いろいろ考えて、このカエルは小学校の池に生息していたやつが、娘のプールバッグにくっついてきたのだろうと、私たちは結論しました。娘はプールバッグを池のそばには置いていないといいましたが、かといってどこに置いたかは覚えておらず、池から離れてしまったカエルがたまたま跳びついたのが娘のバッグだったのでしょう。バッグはブルーとグリーンの水玉模様。何事にも無頓着な娘が気づくはずもなく。

娘はカエルにミドリと名前をつけました。

以前コクワガタが棲んでいた小さな水槽にひとまずミドリを移し、私は古い記憶をたどって底に土を入れ、金魚の水槽から大きめの石をひとつ取り出し置いてやりました。念のため、アマガエルの飼い方を飼育百科やインターネットで調べ、ミズゴケやポトスの鉢も入れるといいと知り、そのようにしつらえました。

我が家にすっかり虫は出なくなっていましたが、時折現れる小さなクモやカトンボを嬉々として捕まえて、私は「ごはんよ~」と声をかけながらミドリに与えます。

市内の川べりで放すことも考えましたし、学校の池に戻すという方法もあったのですが、私たちは考え抜いてミドリを家族として迎えることにしたのでした。自然に帰さない以上、何とか養わねばなりません。ペットショップでミールワームと呼ばれるなんかの幼虫みたいなミミズみたいな虫を購入しました。しかしミドリが食べているのかどうか、わかりませんでした。アマガエルの習性(を詳しく知っているわけではないのですけど)を鑑みても、飛んでいるコバエやすばやく這うクモを好むと思われました。とにかくしっかり食べておいてもらわないと、安らかな冬眠につけないということでしたので、去年の夏、私はかつてないほど、小さな虫の動きに敏感になりました。

ミドリの動きが鈍くなったのは11月頃からでしょうか。しかし、きりっとした冷えこみがまったくなかった晩秋から冬にかけて、ミドリはポトスの根元でじっとしたまま、ただ動かなくなったのでした。時折、乾燥しないように霧を噴いてやると、ピクリと反応しました。生きていることは確認できましたが、これでいいのだろうかと、私は常に不安でした。

もう春になるのかと思われるほど、気味悪く暖かかった1月と2月のあと、とんでもない冷え込みが3月にやってきました。
水槽をふと見ると、ミドリは土の中にもぐっていました。ミドリの皮膚がようやく寒い冬を感知したのでしょう。
4月に入って、からだ3分の2ほど出してはまたもぐり、を繰り返していたミドリでしたが、今朝ようやく全身を土から出して、鉢からミズゴケへ、水槽の縁へと活発な動きを見せたのです。

十分な睡眠がとれていたのかどうか。それだけが私は心配です。愚かな人間がもたらした気候の変動が、このように小さな動物の生命をも左右している。罪は生涯をかけても償えないけれど、せめてミドリだけは健やかに天寿を全うして欲しいとは、飼い主のエゴですね。

再び、小さな虫を追いかける日々が始まります。
おはよう、ミドリ。

編集者2007/04/17 02:02:52

編集者の仕事とは何だろう。
何を編集するのか、その対象物、制作物によっても仕事の内容はもちろん異なってくるけれど、半ばできあがりかけているものをよりよい形にして完成させること、また、絶妙な組み合わせと配置をすることによって個々の完成品から100%以上の力を引き出すこと、などが挙げられる。
文章でいえば、誤字脱字をチェックする「校正」、主題や話の流れにまで踏み込んで書き手にする「指示」、出版物によっては原稿にキャッチやリード、注釈まで検討する文字どおりの「編集」、イメージフォトやカラー、ページ割、書籍なら装訂までを考慮する「アートディレクション」。多くの世界でこれらすべてが編集者の仕事だ。
だが、分業が進んでいるのも現実で、出版社や編集プロダクションでは社内で各作業ごとに担当者が異なるし、また代理店主導で進む制作なら、校正はA社、割り付けはB社、デザインフィニッシュはC社と作業が振り分けられる。この際、ABC各社間でのやりとりはない。
分業化の弊害があるとしたら、各担当者が「自分の仕事を終えること」しか考えていないことだろう。「次工程」が視野に入っていればいいほうで、たいてい、「とりあえず済ませて自分の手から離す」ことしか頭にない。

そこに読者は不在だ。
自分の仕事を終え、手から離れて次工程へ原稿を移す。その原稿はずっとずっと先で読者の目に触れるのに、作業者の頭にそのことは、ない。悲劇的なくらいに、ない。

おさかさんは問いかけた。

>「どーせこんな文章誰も真面目に読んでねーよ」って感じなんでしょうか。

違うのである。
「誰も真面目に読んでないだろうな」と読者に思いを馳せる編集者はまだきっと見込みがある。その時点で自分の仕事の不備を自覚していると言えるからだ。
しかし、昨今のひどい印刷物の氾濫はそんな程度をはるかに超えているのである。

実は、書いた本人、目を通した人間、誰もが「よく書けてるじゃん」と思ってしまうのである。筆者は字数制限を期限を守れたら「書けた!」と勝手に達成感を持つ。チェックし検討する者はそれら条件を満たしていることのみ確認したら「オッケー!」を出してしまう。そこに読み手の目が意識されることはけっしてない。

上手に文章を書き、よりよく仕上げるために編集するにはそれなりの技術、技能を必要とする。それには当然優劣がある。劣勢にあれば向上しようと努力するしかない。
しかし、みんな、「自分が劣勢にいる」と気づいているか?
今、誰もが「自分は人より優位にいる」と勘違いしているのだ。
結果、ろくでもないものが幅を利かし、出版界を謳歌している。

それはけっきょく、各作業者が、自分の利益しか考えていないから、そうなるのだ。ライターは原稿料欲しさに書く。これを上げれば○万円。その原稿が条件を満たし、ネタにした取材相手さえ納得する内容であればそれでいい、そうであればよい原稿だと思っている。この時点で、このライターに読者の存在は頭にない。「真面目に読むやつなんかいないだろう」とすら、思っていない。ほんのわずかでも読み手の気持ちになれば、まっさらな真っ白な目で読み直せば、おかしなところや辻褄の合わないところ、不親切な表現は目につくはず。
ライターだけでなく、その原稿を各工程で扱うすべての作業者が同じ調子だ。

傲慢な作家は、締切締切とうるさい雑誌社をとりあえず黙らせて原稿料だけはもらいたいからとりあえず書く。編集者は「こんなもの書きやがって」と思っても(もしかしたらそう思う能力もないかもしれないけど)その原稿を受け取らないと自分の首が危ないからそのまま通す。そこに読者の存在は、ない。決定的に、ない。

読者本位にならないから、ひどい文章がまかり通る。読者本位にならないから、文章のひどさに気づかない。出版物は残る。ひどいものを読んだ人々の文化はその程度におしとどまる。
この文章を子々孫々に胸をはって伝えられるのか、と自問している人がどれほどいるだろうか。この文章を次世代に読ませて平気か。次世代がこの文章から何かを感じ何かを学ぶのだと思ったらもう少し真摯な気持ちにならないか。

津波のように出版物が吐き出されては断裁されて消えてゆく。
消えていくからそれでいいのか?
断裁も、連鎖となれば人々の心を揺さぶり記憶に残り知識を蓄積する一助となる。その一方、誤字誤用の蓄積も助長する。
そう考えたら、たとえ明日は故紙回収行きになるチラシでも、真剣に作ろうと思いたい。
自戒を込めて。

……なんか、わっかりにくぅー……ゴメンナサイ。
midiはコピーライターとしても編集者としても半人前でございます。

3回唸った。【上】あのリュウメイの…2007/04/17 14:21:22

『白河夜船』
吉本ばなな著
福武書店(1989年)、新潮文庫(2002年)


うーん。
うーん。
うーん。
3回唸った。

ひとつめの「うーん」は、「うーん。これがかの有名なよしもとばななか」。
(今、彼女のペンネームは全部ひらがななんだよね)

私は、よしもとさんのデビュー当時、この人を「吉本隆明の娘」としてしか見ていなかった。というのも、私たちにとってよしもとさんの父上、吉本隆明氏はある意味大変重要な存在だったのだ。かつては。
学生時代、ビジュアルデザイン専攻ゼミでは、どちらかというと描きたい絵をのほほほほんと描いていたかった私にはかなり苦痛なディスカッションの時間が設けられていた。討論のテーマはいつも違うが、根底にあった共通項は時代を切り取るということだった。今という時代を見据える、今の人々がどういうものを求める人々なのかを考える。時代を先取りした感覚とはどういうものかを考える、近い未来に売れ筋になる事象を読んでみる。そのためには社会経済を知り、景気の上下や流行の行方にも関心をもたねばならなかった。
私たちは写真や印刷、版画やコラージュといった表現技法を学ぶ一方で、一世を風靡していたコピーライターたちの言葉遣いをサンプルに、社会現象のあれこれを論じた。
おたく、YMO、村上春樹、大林宣彦、小津安二郎、ヌーヴェル・ヴァーグ、宮崎や大友のアニメ、天井桟敷や状況劇場、エレファントマン。おいしい生活。
そしてつねづね、社会学者や経済評論家、流通・広告の専門家の著作を読んだ。議論の下敷きにするためだ。
白状すれば、そんなにいろいろ読んだって、美大生の私たちには「知識を肥やしにして考える」という作業はできなかった。だって、勉強してこなかったからこんな大学にいるんだよ、たまたまちょっとばかし絵が描けたから入れる大学があっただけ。わかったようなわからないようなどっちつかずのままで脳みそは、(私の場合だが)とにかく喋っとけと指令を出していたが、気分的にはまったく消化不良だった。

いわゆる団塊の世代に当たる教授陣が必ず口にする名前があった。それが筑紫哲也と吉本隆明だった。センセイたちは、崇拝なんかしてないぞといってたけれど、どうだか。そのくらい、よく出てきた。

『東京漂流』を外からチラと見えるようにバッグに入れとくのが「ナウい」ファッションで、『構造と力』の著者は軽薄な「新人類」といわれつつもてはやされた。「氷河期」なんていう言葉の影すらなかったバブリーな空気を吸いながら、私たちは熱に浮かされていた。糸井のコピーや川崎のCMをなりゆきで俎上に載せることはできても、あるいは筑紫流のジャーナリズムをネタにすることはできても、吉本隆明の言説は、何も理解できなかった。彼の著作からは「この本は難しいぞぉー」オーラが出ていた。もちろん、読まなかった。教授たちは、吉本隆明と誰かの対談記事などを切り抜いてきて学生に読ませたこともあった。何とか彼の思想の一端に触れさせようとしてくれていたのだけど、私たちが理解したのは、とりあえず吉本隆明とはものすごい切れ者の思想家(らしい)ということぐらいだった。センセイ、ごめん。

卒業と前後して、その吉本隆明の娘が小説家としてデビューした。私たちと同年代だというのに。そんな若さで。
「リュウメイの娘だよ、書けて当たり前じゃん」
「リュウメイの娘にしては、イカレたもん書いてるよ」
私たちは根拠のない悪口を叩くのに余念がなかった。自分たちがもたらした好景気でもなんでもないのに、浮かれた時代を泳いでいた私たちは、いつでもどこでも強気だったのである。
(下 に続く)