湧き出る泉のような「結婚力」 ― 2007/05/11 16:37:28
ダニエル・デフォー作 井澤龍雄訳
岩波文庫(初版1968年)
もう数週間ほど前になるが、日経新聞の夕刊に、最近の結婚の実情についてまとめたレポートが載っていた。晩婚化がいわれて久しく、また離婚率も上昇の一途だ。世の中シングルの(生活を楽しむか寂しがっているかを問わず)男女が大変多いようである。
そのレポートは、昨今増えている《バツイチ女性と初婚男性の組み合わせ》について述べていた。結婚仲介業(という業種名が正しいかどうかわからないけど)やお見合いパーティー(よく「ねるとん」とかいったけど、今でもそう呼ぶのかな?)企画業者などにリサーチした結果、先述の組み合わせでの成婚率が急上昇中らしい。
その理由について述べられていたのだが、詳細は忘れてしまった。だいたいこういうことだったと思う。
(以下は記事からの引用ではなく、こんな内容だったなというあやふやな記憶に基づいて、私見を書き出したもの)
【女性のキモチ】
そもそも現代女性は一度失敗したぐらいではへこたれないというチャレンジ精神が旺盛。
一度経験してしまえば離婚なんか怖くないし、経済力もあるからまたやってみっかな、と、初婚時よりも結婚に対する精神的ハードルが低い。
一度結婚していることで、自分は結婚できる女性だという自信、自分の女性的魅力について自覚している。
離婚の経験から男性に対して許容範囲(個人差あり)は広がってはいるが、同時に同じ失敗を繰り返さないに越したことはないとの思いから、前夫への不足感(個人差あり)を補う要素(個人差あり)を持つ男性を求める傾向がある。その要素とは、容姿や経済力、社会的地位ではなく、思いやり、優しさ、女性を尊重し敬う心を持っていることである。
【男性のキモチ】
昨今、俺について来い、なんて台詞はとても言えない。
正規雇用で安定しているように思えても、いつ会社が倒産するか、自身がリストラされるかわかったもんではない。だから経済的に自立している女性と結婚したい。
だけどそういう女性は理想が高いのが普通だ、たぶん俺なんか眼中にない。
でも。
バツイチ女性は、男は顔じゃない、男は身長じゃない、男は学歴じゃない、男は収入じゃない、ということを知っている(と思う)。
バツイチ女性は、経済力があるから離婚に踏み切った、または離婚後に経済力をつけたという人が多い(と思う)。
バツイチ女性は、その離婚経験から、結婚生活を円滑に進めるため、つまり幸せになるため、より努力をしてくれる(と思う)。
だから俺、結婚するならバツイチ女性がいいな。そのほうが初婚の若い女性よりリスク回避できると思う。俺は結婚に失敗したくないし、だいいち失敗できないよ、この年だし。親も年だし。
とまあ、こんなところだろうか。
記事は、とりわけ未婚の男性側の、バツイチ女性を要望する傾向の大きさを指摘している。結婚相談所や仲介業者を訪ねる男性の中には最初から「バツイチ希望」とする人が増えている、「バツイチ女性と未婚男性限定」のお見合いパーティーの開催が盛んである……というふうに。
そして記事は、とりわけ女性を意識して、これからは結婚経験が豊富な者と未経験者がはっきり分かれていくであろうと締めくくられていた。こういうふうに。
《これからは、「結婚力」のある人は何度も結婚する一方で、ない人は未婚のまま生涯通すという結婚格差が二極化していくかもしれない》
「結婚力」だとおおおおーーーー!
なんでもかんでも「○○力」っていうなああああーーーーー!
※《》内は正確な引用ではないが、「結婚力」はカギカッコつきで用いられていた言葉である。
なんでもかんでも格差化するなあああーーー!!!
経済格差、教育格差、家族格差、結婚格差! こちとらぜーんぶ二極化の「下」のほうだよっ 悪いかバカヤロー!
と、叫び終えたところで。
モル・フランダースである。
先述の結婚力記事を読んで即座に思い浮かんだのがモル・フランダースであった。
この言葉を用いて形容するに、モル・フランダースほどふさわしい女性はない。
「結婚力にみなぎる女性」
おおお、なんてパワフルなイメージ。
その力は現代日本女性の比ではない。なぜならモル・フランダースは経済力があるわけじゃない。結婚経験によって男性に対するキャパが広がっているわけでもない。
ただただ彼女は自身の魅力と処世術で結婚を繰り返して、食いつないでいくのだ。
まさに、尽きない泉のごとく溢れ続ける「結婚力」。
ああ、本当にあやかりたい(本音)。
冗談やまやかしじゃ、ないんですのよ。モルったら、ほんとに次々と結婚しちゃうんですの。
彼女は孤児でした。出生の顛末からジプシーに拾われますが、また捨てられ、その後孤児の世話をする女性の家に引き取られます。その、いわば里親に、幼少時から縫い物や刺繍など仕込まれて、贅沢さえいわなければつつましく生きていくことのできるくらいには、手仕事を身につけるのす。
それなのに、どういうわけか、《あたい、“奥様”になりたい》などというのが口癖で、貴婦人になる野望を持つのです。自分は貴婦人になるにふさわしい人間だと最初から思っているふしがあって、その信念から貴族の奥方たちを観察するのに余念なく、どうすれば貴族の気に入り目に留まるかをたえず考えている、そんな少女なんですの。
里親は彼女を諭すんですよ。貴族の生まれでないお前は貴婦人にはなれっこない。“奥様”(マダム)は、貴族に生まれた女が貴族に嫁ぐからこそ与えられる呼称だと。親切からそういう里親の言葉に頷いて見せるものの、彼女は心の中で《あたいだって》という気持ちを忘れないのです。
あ、いきなり「ですます調」になってますけど、というのも『モル・フランダース』はモルの一人称で、自身の人生を回想するかたちで語られますが、その語り口がとっても貴婦人チックなのです、最初から。私はとてもそんな貴婦人口調では語れないけど、ともすればすぐ○○だとおーバカヤローなんて口走る癖があるところを、モルの紹介くらいは多少なりとも丁寧に、と思ったもんですから。
モルは18世紀のイギリス女性という設定です。原書は1722年の出版らしいのですが、物語の終わりには1683年記すって書いてありましたわ。
私は、英国社会については中世も近代も現代も何にも知りません。だけど、人々は階級できちっと隔てられ、たとえろくでなしでも貴族は貴族として、いくら働き者でも貧民は貧民のまま、どんなに優しくても泥棒は泥棒のまま一生を終えるのが当たり前という時代だったってことはなんとなく想像ができます。ということは、《あたい、“奥様”になりたい》なんていうモルの願いなんてのは、身の程知らずも桁外れすぎるって感じじゃあ、ありませんこと?
作者のデフォーは、経済系のジャーナリストだったんですってね。私はまったく読んでいませんけど『ロビンソン・クルーソー』を書いたあとにこの『モル・フランダース』を書いたそうです。ジャーナリストとして取材した事実をもとにして書いたという体裁をとっているんですよ。
ちなみに英語の原題は:
The Fortunes & Misfortunes of the Famous Moll Flanders Who was Born in Newgate, and during a Life of continu'd Variety for Threescore Years, besides her Childhood, was Twelve Year a Whore, five times a Wife (whereof once to her own Brother), Twelve Year a Thief, Eight Year a Transported Felon in Virginia, at last grew Rich, liv'd Honest, and dies a Penitent. Written from her own Memorandums ...
『有名なモル・フランダースの幸運と不幸なこと。彼女はニューゲート牢で生まれ、子供時代を除く60年の絶え間ない波瀾の生涯において、12年間情婦、5回人妻、(そのうち一回は彼女自身の弟の妻)、12年間泥棒、8年間ヴァージニアへの流刑、最後に裕福になり、正直に暮らし……』
という長いもので、一般には最初の:
The Fortunes & Misfortunes of the Famous Moll Flanders
をタイトルとしているそうです。
訳者によりますと、こういうふうに数字を並べ立てるところは大変デフォーらしいんだそうです。
12年間情婦、というのは、間違っちゃいけないけど「娼婦」ではないんですよね。誰かの愛人だったわけで、現代なら愛人生活12年なんて人、珍しくはありませんよね(個人的には知らないけど)。すごそうに見えてモルは、男性に結構翻弄されてしまうのです、最初は。
で、そんなに愛人ライフやっていながら、5回も結婚してるんですよね。
これがすごくありません?
その結婚にいたるプロセスっていうのは、ほとんど結婚詐欺師やーん、とツッコミたくなるようなものなんです。でもモルはなんだかんだいって愛情感じていたり、逆に相手が詐欺師だったりして、なんだか可愛いのです。
うち1回は弟と、とありますが、これ、知らずに結ばれちゃって、真実を知ったときモルも相手もそれはそれは立ち直れないほど罪の意識に苛まれるんですよ。ちょっとこの展開は、読み手の胸を締めつけますわ。
ま、とはいえ、ええ年したおばさんになってから泥棒になったところは感心しませんけどね。最後に裕福になり穏やかな暮らしをするにいたるところは、なんでやねーん、って思わなくもありません。子どもも、ちゃんと数えなかったけど7、8人は産んでいるんですが、ひとりとして自分の手許に置いていないし、物語の中での言及もないんですの。そこは、現代の物差しではとても測れないところですわね。
本書を原作にして、映画もつくられています。1996年ですから、そんな古いものではないですね。映画のあらすじをどこかのサイトで読みましたが、原作を読んだ後だといかにも物足りない印象です。山ほどあるエピソードをすべて詰め込むのは無理であるとはいえ、そりゃちょっと違うんじゃございませんといいたくなりますわ。というのも、結婚回数を大幅に減らしているようなんですのよ。それでは尽きることなく湧き出る結婚力をみなぎらせ続けるモルの魅力が表現できていないんじゃないかしらと、思うんですの。
でも、聞くところによると、映画としての出来はすこぶる良いそうですのよ。モルを美しく強く演じているのは、つい最近も何かでの好演が伝えられていたロビン・ライトという女優さんだそうです。
実際、本書『モル・フランダース』は、モルの語り口のせいもありますが、少々メリハリのない構成で、人によっては退屈に感じられるでしょうから、まずは映画から試してみるのもよいかもしれませんね。DVDだかビデオだかも、出てるみたいです。
5回もしたくはないけど、死ぬまでに2回ぐらいは結婚してみたいなあと真面目に考えていたのだが、どうやら私には「結婚力」が欠如しているようである。本書は図書館で借りて読んだが、絶版にならないうちにバイブルとして購入しておこうかなと思わなくもない。バイブルってところ、マジ。
コメント
_ midi ― 2007/05/11 16:42:18
_ おさか ― 2007/05/11 19:57:13
もるふらんだーす・・・ロビンソンクルーソーって、娘が読んでた青い鳥文庫を斜め読みした感じでは、相当の変人。しかも、孤島に流される前はやっぱり波乱万丈の人生なんですよー。いいとこの坊ちゃんなんだけどいろいろあって。なんか、懲りない男って感じなの。で、坊ちゃんだからものすごい差別意識ばーりばり(当時の貴族はそんなもんなのかもしれませんが)で、土人を助けて僕(相棒じゃないとこがミソ)にして、その僕に大層慕われちゃって反対に助けられるなんてご都合主義な展開も。運だけはめちゃくちゃいい懲りない変人の一生を描いた話。こっちは、人生力、とでもいいますのかしらん。
ところでそのDVD、タイトルは「モル・フランダース」ですの?見てみたいー。
_ きのめ ― 2007/05/11 22:11:49
結末とか生い立ちは違うけど。
_ コマンタ ― 2007/05/12 09:30:39
いまの世の中、どこまでも透明で、見えすぎるゆえに希望もいだきにくいですけど、題名も知らない本がたくさんあるって、素敵なことです。……そうか、蝶子さんは結婚したことないのかあ。1度くらいしとかないと、バツイチ限定お見合いに参加できない(笑)。
_ midi ― 2007/05/12 13:28:29
>運だけはめちゃくちゃいい懲りない変人の一生を描いた話
これ、モルにもぴったりあてはまります。ま、そういう物語が受け入れられたのね。
映画のタイトルも『モル・フランダース』ですよ。
きのめさん
>イギリス版「好色一代女」
松岡正剛によるとモーパッサンの『女の一生』につながる作品だとか。
コマンタさん
ロビンソンは読んでも、モルは読んでない、というのが普通でしょう。私は文芸知らずで、○○は読んでおかないと、という前提とか基本に無縁なので、モルは読んでもロビンソンは読んでない。
おっしゃるように、たくましいだけじゃなく、モルは美貌を誇り、気立ても品も良いという印象を他人に与えるのです。で他人は勝手にこの女性はまぎれもなく貴婦人と思い込んじゃうのです。
>バツイチ限定お見合いに参加できない(笑)。
そうなんです。だからバイブル(笑)
_ mukamuka72002 ― 2007/05/14 11:58:49
ちょーこさんのパワーと魅力を持ってすれば、何度でも結婚できるでしょうね。がんばれー!
_ midi ― 2007/05/14 16:51:06
いやいや、べつに何がいいとか悪いとかじゃないから。18世紀の話だから。お兄様にもご一読おすすめしたりして。
>がんばれー!
はいはい。だからバイブル(笑)
_ 儚い預言者 ― 2007/05/15 17:03:45
自分自身の変わりづらい根本を変えるのには、相当な努力と気づきが必要であって、自分の変化なしには、状況はいつも同じかそれ以上の辛い(?)インパクトを与えるような事になる。それを人は天に恨みますが、本当は気づきと愛情で天が自分に捧げられていることに気づかない。それでは、本当に安心でき、気持ちのいい状況が訪れない。
切望は、矛盾していなければ、そのエネルギーがすぐに状況として現れる。が、普通は、その状況を夢見ながら、諦めている。というか、自分には本当にそのことが現れることを怖れている。だからいつもいつも、自分の今を否定しながら、辛い状況に耐えるのだ。その方が、辛いけれども自分に似合いだとどこかで納得している。
誰も、世間も、それは幻であって、私という自分の世界が、周りの状況を生みだしているという、気づきがあれば、いまどういう考えで、どんな感情を持ち、どんな意志で貫くかを、判断することができるのでないでしょうか。
自分の思いは、潜在意識には嘘は通じない。だからどうあっても、肯定的な言葉、ビジョンがどうしても必要です。
変化とは、自分のどこを根本に捉えるかによって、恐怖でもあり、かつ最高の愛でもあります。
_ midi ― 2007/05/15 18:17:40
励まして……くれてます? アイラブユートゥー、サンキュ!
こういうのブログではご法度なんですってね。
気をつけよう。
独り言でした。