君は永遠のロリポップ2007/09/05 09:42:19

『地球に落ちてきた男』のポスター。
これを「ええおとこ」といわずして何と言う!


私の小学生ライフは漫画と歌謡曲ではちきれそうだった。
(さらにいうと円谷プロ製の特撮映画もこれに加わるが)
当時歌手の皆さんは3か月ごとに新曲を出し、歌謡番組で披露するのが慣わしで、誰かが新曲を歌うと翌日のクラスはその話でもちきりになる。
今みたいに歌詞が字幕で出ることもなかったから、競うように連夜歌番組を見て歌詞を覚えた。誰かが『明星』や『平凡』の付録「新曲ソングブック」なんぞをもってくると取り合ってノートに書き写し、下校時にはみんなで歌いながら帰ったこともあった。
思えば暗記力があったものだ(笑)。

そんな私たちを、いつもフフンと鼻で笑うように見ていたのがうえっち(仮名)だ。
うえっちは、長髪の秀才だった。とくに前髪が長くて、顔にかかる髪をさっと払いのける仕草を、女子は気持ち悪がり、男子は馬鹿にしていた。
いまどき長髪で秀才の少年なんて珍しくもなんともないが、当時はごくごく少数派だった。気持ち悪くても彼が一目置かれていたのは、やはりすごく勉強ができて、成績が抜群によかったからだ。たまに発言すると、それは至極まっとうかつ全員を納得させるものだった。いじめや暴力にはいっさい加担しなかった。というより、無関心だった。そんな素振りが気に入らないといってガキ大将に理由もなく殴られ(ここでやり返せればスーパーボーイなんだけど)、うっうっうっと泣いていた(やはり腕力はかなり弱かった)が、だからといってその後ガキ大将に媚びるとか、殴られないために誰かと徒党を組むということがなかった。一匹狼っぽくて、孤立していたといえなくもなかったが、どこかでみんな敬意を表していたのだろう、故意に仲間はずれにしたり無視したりはしなかった。好かん奴なんだが存在感は否めない。そういう感じだ。

私はつねづね、うえっちは気に入らなかった。
彼はよくノートに、中学で習うはずの、私にはとうてい理解できない数式や方程式をぎっしり書きつめていたが、その余白にこれまた私には解読できないアルファベットによる単語をずらずらと書き並べ、雑誌の切り抜きか何かと思われるけったいなガイジンの写真を貼ったりしていた。今でも覚えているけれど、そのうちの一枚が派手な隈どりメイクでこっちを睨んでいて、鳥肌が立ったものである。
あるとき、彼はカッターナイフまたは彫刻刀で机に何か彫っていた。何やってんのよ、と聞くと、俺がこの席に座った記念だよ、なんていう。彫っている文字は「DAVID BOWIE」。私が机に彫るものといえば「相合傘に好きな子と自分のイニシャル」ぐらいのもんなのに。
気に入らない。

6年生のとき。バレンタインデーに、ゆみちゃん(仮名)と、きょうちゃん(仮名)の3人であるいたずらを思いついた。義理チョコも友チョコも、言葉じたいがなかった頃、恥ずかしくて本命の男の子にチョコをあげるなんて離れ業はとうていできぬ正しいニッポンの少女であった私たちは、それでもバレンタインというイベントに参加したかったのである。
私たち3人はそれぞれ「気に入らない」男の子の名前を挙げた。
ターゲットはうえっち他2名。

市販のチョコレートを湯煎で溶かして、大きめのスプーンに少し流し込む。
その上に「具」をさっとのせる。
直ちにチョコレートを再び流し込む。
「具」をうまく隠さなければ、計画は失敗だ。それがなかなかうまく隠れない。おそらく生涯で初めてのチョコレート作りだった。惨憺たる出来映え。
へたくそだねーあたしたち。
いいじゃん、いいじゃん、これであげちゃおうよ。
そうそう、みためじゃないよね、こころだよね。ぷっ。

私たちは、ラッピングだけは可愛く整えて、晴れてバレンタインデーを迎えた。
うえっち他2名、それぞれ非常に戸惑っていたがチョコレートを持って帰ったよ。うひひ。

私が永遠のロリポップに出会うのはそれからすぐ後である。
ある日、商店街にある本屋に入った。
愛想の悪いおばさんの前を通ってマンガ本コーナーに行く途中に、ファッション雑誌や芸能雑誌がばらばらと平置きされている棚がある。
マンガにたどり着く前に、その表紙の数々を眺めるのがちょっとした楽しみだ。大好きなスターの顔が見えたりする。
私の目に、いつもは目に留まらない音楽雑誌の表紙の大きな文字が飛び込んだ。
DAVID BOWIE。
すぐ横にカタカナで、「デヴィッド・ボウイ」。
私の頭の中を閃光が走る。引き寄せられるようにページをめくった。
その誌面に私はデヴィッド・ボウイとやらの姿を発見する。
とてつもない衝撃。
頭の中を『ツィゴイネルワイゼン』が鳴り響く。
ああ、これは、よく祖母に買ってもらった缶入りドロップそっくりの、透明で神聖な丸い玉。舐めたい。なんて美味しそう。何がって、ボウイの青い瞳。というか、眼球。
こいつが、「DAVID BOWIE」なの? じゃ、うえっちがノートに貼っていたあのけったいな写真は……。

後日、うえっちとの接触に成功。
「チョコレート、食べた?」
「わけねーだろ」
「ぜんぜん?」
「かじったけど……食えるもんか」
「ははは」
「おまえら、ろくなことしねえって、知ってるっ」
「ねえ、デヴィッド・ボウイ、好きなんだね」
「げげ。おまえ、なんでボウイ様のことを知ってる」
「ボウイ様って……。うえっちのノート、そのボウイ様でいっぱいじゃん」
「ボウイ様は最高なんだ」
「どうして外国の人、知ってるの?」
「兄ちゃんが教えてくれる」

うえっちには年の離れたお兄さんがいた。
音楽や映画について、彼が私たちよりも早熟だったのは、お兄さんの影響だ。よくある話である。

秀才うえっちは、超難関のアールスター学院中学校(仮名)の受験に失敗し、私たちと同じ地元の公立中学に進んだ。話をする機会はほとんどなかったが、誰も見ていないところで偶然二人きりになると、私は彼から「ボウイ情報」の摂取に必死になった。ピンク・レディーやキャンディーズの振り真似遊びに興じるいっぽうで、私はボウイに飢えていた。
このことは誰にも明かせなかった。ガリ勉長髪うえっちとこそこそ話し込んでいるなんて、友達には絶対知られてはいけなかった。もちろん、ボウイのことも、口が裂けてもいえないと思っていた。ボウイへの偏愛を私は心に秘め、独りで愉しんだ。

中学2年になると、うえっちは忽然と姿を消した。なんと超難関アールスター学院中学校を再受験して合格し、転校しちゃったのである。
貴重な情報源を失い、私は自力でボウイのネタを追いかけなくてはならなくなったが、当然のことながら、ますますその美貌にはまっていったのである。

デヴィッド・ボウイは有名な人だから、解説は不要であろう。
うえっちがノートに貼りつけていたのは『ジギー・スターダスト』の頃のボウイで、私がその後独りで本格的にのめり込むのは『ロウ』や『ヒーローズ』から、『スケアリー・モンスターズ』や『レッツ・ダンス』の頃である。(いずれもアルバム名です)
『地球に落ちてきた男』で見た彼の瞳のクローズアップ。ああ、だめ。今思い出しても垂涎。『戦場のメリークリスマス』で見た、地面からぽっこりと出た彼の頭。かぶりつきたい衝動を抑えるのに必死だったのは私だけだろうか。(いずれも出演映画タイトルです)
回数は多くはないが、ボウイはコンサートツアーで何度か来日している(お忍びでの来日は頻繁という噂だった)。けっきょく私も一度しかライヴでボウイを見ていない。『ロウ』のときのツアーを逃したので『レッツ・ダンス』のときは死に物狂いでチケットを取ったのを覚えている。
舞台で歌い踊るボウイは、ただただかっこよかった。
今年還暦になったはず。しっとり落ち着いたデヴィッド・ボウイにも会いたいな。



何年か前の地元の夏祭り会場。タオルを首に巻いて、私はたこ焼き屋コーナーでたこ焼きをひっくり返していた。顔を上げると視線の先には、まだ一人歩きのおぼつかない娘と両親が座っている。ときどき手を振る。と、その視界をいきなり遮ってぬっと顔が現れ「すみません、ひと舟ください」。
心の中でちっと舌打ちしつつ「はいよー」と返事する。
え。
うえっち。
「あれーっ、えーっ、あ、お祭りのお手伝い? うわーご苦労さま!」(by うえっち)

小中学生時代とは全然違うハイテンションで、彼は私との再会を喜んだ。バイオ系の研究者となって小難しい名前の会社だかなんだかに就職したと聞いていたけど。
「Uターンってわけでさ」
「へえ、家族も一緒に?」
「うん」
近くに赤ちゃんを抱いた奥さんが微笑んでいた。

うえっちはよくしゃべるオトーサンになっていた。
地元に帰った同級生は意外と多い。オヤジ盛り、ママさん盛りが互いに声をかけあい、すぐ昔馴染みの輪ができる。祭りの楽しみのひとつだ。
うえっちはみんなの輪の中で、素っ頓狂な声をあげて笑っていた。
いまでも彼は「ボウイ様」を崇めているんだろうか。
チョコのことは、もう忘れてくれただろうな。
その話題を出す勇気は、私にはなかった。

さて、ここでクイズです。
例のチョコレートの「具」は何だったでしょう。
2種類のフレーバー・コンビです。
たとえば「オレンジピール&ナッツ」というふうに答えてね。