奇跡かもしれないのだから2007/10/03 18:13:35

『「おじさん」的思考』
内田樹 著
晶文社(2002年)


我が最愛の内田さんのブログをアーカイヴに至るまでくまなく読みつくしている私には目慣れた文章の続くエッセイ集だけれども、そして初出年月日も若干古かったりもするのだけれども、日頃あれこれつい思い悩むようなこと、日常遭遇するさまざまな事どもへの「明快答」が列挙されていて、実に気分のいい一冊なのである。
愛するウチダが書くと、政治も宗教も教育も、犯罪もフェミニズムも哲学も、すべて私たち日本人ひとりひとりの生き方考え方在り方を自問自答することに帰する。自分には無関係な議論、日々の雑事からは遠く離れた出来事とスルーしがちなことが、ああホントだねとあてはまり、思いあたり、反省を要することに気づかされる。私の場合、これがとっても心地いいのでウチダを読むのをやめられない。

今日、彼は自身のブログで《「生きていてくれさえすればいい」というのが親が子どもに対するときのもっとも根源的な構えだということを日本人はもう一度思い出した方がいいのではないか。》と書いている。

使用語句は異なれど、愛するウチダは自身のこの一貫した考え方を幾度となく書いているはずで、ゆえに彼の膨大な数の著作のあちこちに同様のフレーズが掲載されているはずだ。
したがってウチダを読みあさりまくっている私は、幾度となく「子どもは生きていてくれさえすればいいのだ」と反芻しているはずなのだが、育児中はつい、すぐ忘れる。ほんとに、忘れる。忘れてつい、子どもに「もっと高く」「もっと強く」と求めてしまう。



ウチの娘ときたら、また怪我をした。
小学校のサエキ教頭(仮名)の太く低くそれでいて上ずった声がケータイの向こうから「緊急事態」を告げている。
私はバタバタと原稿を書き進めていたが、思考を中断されていささか不機嫌である。
サエキ教頭の声は上ずってはいるけれど、彼の状況説明を信用するなら娘の怪我は全然大したことないのである。
「校庭でボール遊びをしていまして、どうやら友達が至近距離から投げたボールを、さなぎちゃんは受け損ねたようなんです」
「はあ、それじゃあまた突き指ですね」
「そのようです」
なら保健室の冷却剤で冷やしときゃいいじゃんか。湿布のストックあったら巻いといてくれよ。とりあえず陸上の放課後練習はやめて帰れっていってくれ……というようなことを申し上げようとしたのであるが、「そのようです」といった後サエキ教頭は「が……」と言葉を継いだ。
「腫れ方が尋常ではありません」
「はああ……骨折かもしれないと?」
「なきにしもあらず、です……」(沈痛な声)

ちょうど午前・午後の診察時間のはざまで、開いている整形外科を見つけるのに少し時間を要したようだ。サエキ教頭が再び電話してきて、「すぐ診てくれるところがありましたので、直行します! お母さんもすぐ来てください!」と相変わらず声のトーンは緊急事態モード。
骨折でもしていたら、少しは懲りて大勢の男子にひとり混じって激しいボールゲームに興じるというようなことを控えてくれるんじゃないか。とにかくここ何年か、ほとんど月イチで突き指してるんじゃなかろうか。だいたい3月の捻挫だって男子とバスケットで遊んでいたときだったし。こないだも階段から落ちて青あざつくっていたし、その数日前には体育館で滑って派手なすり傷つくっていたし。
思いがけず指がパンパンに腫れてきて、怖くて不安で大泣きしているに違いない。いい薬である。などとのん気にチャリンコを転がしていたのであるが。

医院の待合室に入ると深刻な顔をしたサエキ教頭の横にへらへらと笑いながら「しまった」という顔で舌を出す娘。
「またやったのか」
「だってリュウがすごい至近距離で顔めがけて投げるからさ」
「顔は守ったわけだな」
「手に当たって、あいた、って思ったけど、こんなのしょっちゅうやってるからそのままにしてたらなんだかボンボン腫れてきてさ」
「痛い?」
「うん。多少ね」
しかし、彼女の表情を見て、何より本人自身が大したことはないと自覚しているようなので安心した。泣いてないじゃんか、と冷やかすと、泣くような怪我じゃないもん、と平然。
その横でサエキ教頭は「大事に至らないといいんですがね、骨折してないといいんですがね」と繰り返す。

あ、そうか。
教頭の憂いは今月来月と続く大小さまざまな陸上競技大会にあるのだ。骨折していたらたとえ指でも「とうぶん安静!」を言い渡されるだろう。そうなると出場は絶望的だ。これら大会の中には学校の威信のかかった団体戦もある。
「さなぎちゃんは本校のエースですからねえ……」
もちろん、サエキ教頭は学校の威信がかかっているなんてけっしていわない。勝たねばならないともいわない。出られないと残念ですから、としかおっしゃらないのであるが。
が、さなぎが抜けた後の残りのメンバーで勝ち抜くことは、実際、難しいであろう。それに結果より何より、全員の士気がどーんと下がる。抜けるのが誰であろうと、チームとはそういうものだ。
娘もそれは自覚している。自分だけの身体じゃないんだぞ。バレエの先生にも、陸上のコーチにも、和太鼓の先生にもつねづね耳にタコほどいわれている。
本当だ、みんなに迷惑かけてしまうなあ、参ったなーと嫌な気分になる私に向かって、
「でもさー折れてたら、きっともっと痛いんじゃないかなあ。折ったことないけど」
と、娘はこともなげである。

触診とレントゲンで、右手薬指第二関節側副靱帯が伸びているとわかった。
「10日ほどは腫れと痛みが続くから安静にね」とドクター。
「安静とおっしゃるのはどの程度の安静でしょうか」と私。
「ボールを投げたり受けたり、手を振り回したり、鉄棒したりはだめです」
「走ってもいい?」とさなぎ。
ドクターは苦笑いを見せながら「ま、走るのはいいでしょう」
(たぶん、わ、遅刻しちゃうよ、というようなときの「小走り」くらいしか、ドクターの頭にはないのだ。笑)

待合室で不安げな表情のサエキ教頭に診察結果を告げる。
「学校に連絡します!」(満面の笑み)
ああ、とりあえずよかった、大事にならなくて。



もし骨折していたら、まったく本人にとっても学校にとっても、はたまた各種お稽古教室にとっても、私にとっても非常によくない状況が待っていたに違いない。しかし、そのよくない状況のさなか、私は平常心で娘のことを「生きていてさえくれればいいんだから」と見守ることができただろうか。きっとまたきれいに忘れて「まったくもうこいつは」と心の中で舌打ちしたり、つい誰かに愚痴ったりしたに決まっている。

『「おじさん」的思考』のなかには、内田さんが男手ひとつで育ててきたお嬢さんが、巣立っていった日の短エッセイもある。
《人間としてどう生きるかについての説教はもう一八年間飽きるほどしたはずだから、いまさら言い足すことはない。ひとことだけ言葉があるとすれば、それはこんなフランス語だ。sauve qui peut (中略)「生き延びることができるものは、生き延びよ」(中略)全知全力を尽くして君たちの困難な時代を生き延びてほしい。》(154~155ページ)


ひとつ間違えれば大怪我をする危険もあったのに、君はそれを免れてきた。
こんなに各地で子どもが事件事故に巻き込まれているのに、君は飛行機に乗っても船に乗っても列車に乗っても車に乗っても、キャンプで山・海・川へ行っても無事に帰還してきた。
この強運を、素直に喜びたい。
生きていてさえくれればいい。
君の誕生じたいが、私には奇跡だったのだから。
今もこうして君とともに在ることも、奇跡かもしれないのだから。