昼寝休憩法制化に賛成2007/10/05 23:55:11

寝る子は育つ♪


『南仏モンペリエ、午睡(シエスタ)の夢』
水江正吾 著
河出書房新社(1994年)


書くのが嫌だ、体力がない、目が疲れたー……などとほざいている割には今月に入って毎日ブログを更新している。
どなたかにご指摘いただいたとおり、書かずにはいられないのである。
たいして重要でもないこととか、本をきっかけに思い出したこととか、そんなもんは苦にならない。自分の心から出てくるものを書くことに何の労苦があろうか。

自分の心どころか相槌すら打てないようなくだらない話を、思考するとか検討するとか吟味するとか調整するとかいう知的作業の微塵もできないアホどものために、そのアホどもがさぞ立派で高尚であるかのように見せつつ表現するという、よくよく考えればかなり高度な離れ業を、二束三文のギャラで書く。ちきしょー慈善事業じゃないぞ、ううう。
やめよ。ぼやき底なし……。

「わずかな時間でも休みましょうエール」をいただいたが、そのとおりだ。前夜の睡眠が十分でなかったり、単純作業が続くと眠くなるが、そんなとき思い切って机に突っ伏して目を閉じてみる。そのまますっと寝入ってしまいそうになる。キモチイイ……あと3秒このままでいるとぐーすか寝息をたてて沈没するかも……という意識があるうちにいったん頭を持ち上げる。
でもそれだけで、頭の中の一部がしゅっとリセットされてわずかながらすっきりする。もしかしたら気づいていないのは私だけで、ホントは2時間ぐらいグーグー眠っていたりして(笑)。

昼寝って必要だ。昼にいったん小休止することができれば、人は早起きが苦でなくなるだろう。朝から目いっぱい働いて、きゅっと寝て、また午後から夕方までがんがん働く。途切れなくだらだらだらだらだらだらだらだらだらあらもう夜の9時、なんて仕事のしかたよりずっと効率がいいはずだ。
数日前、愛するウチダが「昼寝のすすめ」と題して、フレックス勤務やサマータイムの導入より、昼食後一定時間昼寝をするという決まりにしたほうがいい、というようなことを書いていた。フレックスという勤務体制がうまく機能している企業ってあるんだろうか? 私は全然聞いたことがない。けっきょく早出の社員と遅出の社員というふた通りのシフト体制みたいになっちゃっただけだから廃止した、という話なら聞いたことがある。サマータイムについてはかなり昔から要検討項目にされては消えている。つまり政府の誰も本気になって考えていないわけだ。日本の場合、議会でさんざん議論されたり、省庁があれこれと取り組んだりした案件はたいていろくでもない結論になって国民生活にろくな影響を及ぼさなかったりするので、真面目に扱われていないサマータイムなんかは、誰かの鶴の一声ですっと導入されたらされたで案外すんなりと暮らしにフィットして習慣化するのかもしれないなあと思わなくもない。ま、どうでもいい。

昼寝、という言葉で思い出したのが本書である。
著者の水江さんは、なんと、私と同じ時期に同じ学校に留学していたのである。
本書に出てくる彼のクラス担任の「マダム・クロード」という先生と、たぶん私は日本で一緒にお好み焼きを食べている。本書には、マダム・クロードがほぼ毎夏来日して関西の私立大学でフランス語講座を開いていることが触れられているが、その教員チームには私の担任だったマダム・カミーユ(仮名)がいる。マダム・カミーユは日本へ来たとき必ず私に声をかけてくれるが、ある年に教員仲間3、4人を連れてきて、お好み焼き屋に案内して、といわれた。そのとき他の先生方の名前は聞かなかったが、間違いなくクロード女史もいたはずだ。
また、画家のAさんという高齢の日本人も出てくるが、このAさんのニーム(モンペリエの隣町)のアパートを私はしばしば訪ねている。私がAさんと出会った頃は、Aさんはまだフランスに来て間もなかったのだが、町の人たちに大事にされてすっかり溶け込んでいた。フランス語が覚束ないのに、もう八十近いのに大したもんだと舌を巻いたものである。

そのように、まるでこの私自身の留学記のようにも読める本書だが、著者は新聞社勤務をしていたジャーナリストなので、さすがに「記者の視点」でフランスと南仏を見、書いている。政治や経済、社会にも切り込んでいる。しかし、それでも本書がフランス批判あるいは礼賛のような態をなしていないのは、舞台が南仏で、しかもモンペリエであるからだ。
シエスタの夢、なんてタイトルの割に本書は生真面目な記述が多いし、読んでいてちっとも眠くならない。水江さんの筆致はジャーナリストらしく小気味いい。
本書が出されたのと同じ頃にピーターメイルとかいう人の『南仏プロヴァンスの○○』という一連の本も出ていたが、『プロヴァンス』からはおそらく南仏の太陽や自然がむんむんと感じられたのではなかろうか。
それはピーターさんと水江さんの滞在者あるいは生活者としての姿勢の差でもあろう(水江さんは仕事での渡仏ではない。早期退職し、もう一度人生を問い直すために渡仏した。が、そうはいってもこの時点では「完全移住」するつもりではなく「ちょっと住んでみたかった」ようである)。
もうひとつは「プロヴァンス」や「コートダジュール」などという地名と「モンペリエ」という地名の認知度の差であろう。モンペリエは、都市名としてかなりマイナーな印象である。そして実際に、一地方都市であるに過ぎない。いなかである。多くの学生を抱える若者の街だが、彼らはたいてい学業を終えるとモンペリエには留まらない。町は浜辺に近いが、第一級のリゾート地というわけじゃない。
穏やかである、つねに。のんびり。きょうもぽかぽか。そういうモンペリエの空気が本書全編を満たしている。「モンペリエ」という湯舟に浸かっていると思ってもらえばよい。湯に浸かっているときは何をあれこれキビシク思考しようがなんてったってバスタイムである。あ〜ごくらくごくらく、なのである。本書にはまずそういう「湯」が張ってあるので、元新聞記者の留学生活悲喜こもごもや時にけったいなフランス社会への疑問を投げたレポートも、のほほんムードに支配されるわけである。
私にはとても心地いいが、当地を知らない読者にも、本書のモンペリエは魅力的に映るのだろうか。評価の分かれるところかも。

そんなわけで話を昼寝に戻すが、たとえば、私に叱られてぷうううーーーっとふくれっ面の半泣き娘も、すねたまま昼寝して目覚めたら一転ご機嫌満開になる。「昼寝後」は「昼寝前」のアタマやココロの状態を初期化できるのだ。大人でもおんなじだと思う。
勤務中にあまりにすべてをゼロ化するわけにもいかないが、たとえばイケスカナイ取引先のオヤジから無理難題発注が来て血が上っていたり、自信作にダメ出しされて意気消沈していたり、てなときに、とりあえず「食って寝る」というワンクッションを置くことで「水に流す」ことができる。「食う」だけではダメである。「寝る」ことが必要である。

娘が生まれたばかりの頃、私は当時勤務していた事務所での労働時間を10時〜12時、14時〜17時に設定した(この職場を仕切っていたのは私だったので好きなようにできたのである)。12時前になると事務所を飛び出して帰宅する。家では赤子が腹を空かせてほぎゃほぎゃ泣いているのをばあちゃんがあやしている。ウチに上がるや否や赤子を受け取りまずは授乳、次に自分の昼メシ、そのあと娘に添い寝してたっぷり昼寝した。午後の勤務時間が近づくとふと目が覚め、慌しく支度をし、名残り惜しく娘を抱きしめてまた職場に戻った。思えば、このサイクルで仕事をこなしていた時期は何事も非常に捗り、むしろ毎日余裕が生まれ、身体も元気であった。まあ、あの頃は若かったといってしまえばおしまいだが。

食後の昼寝を法制化してしまおう。こんなことは議論してもけっして意見の一致を見ないから、とっとと誰かがえいやっと決めちゃって始めてしまえばいいのである。ついでに夏の有給休暇5週間強制取得も法制化してしまおう。休もうよ、とにかく、みんなでさ。