いくつもの「さよなら」 ― 2008/09/29 17:44:02
げげげげげげっ 脱走した?
昨日、水換えのために別の容器に移しておいた。イモリ避難時用としてとってある、もと高級イチゴが入っていたプラ容器。ぴちっと閉まるので重宝していた。
なのに、蓋と器の間に、いつのまにやら隙間が!
汚いガラクタだらけで足の踏み場のない我が家は、小さなイモリが隠れるところに事欠かないばかりか、そこいらじゅう穴とか隙間が空いているので通り抜けもたやすい。
家の周囲がのどかで、川や池や湿地があるならまだしも、前道は交通量が多く、隣接する住宅にも瀟洒な中庭を保つ家は皆無となって久しい。
ヒデヨシ、お前さー、棲んでた水槽がベスト環境だったんだぞ。ばかー。
行くところがなくて、室内に入ってしまったら、愛猫の餌食になるのは必然。のらくらした猫だけど、イモリよりはかなり素早いはず。
どっちへ行っても危険がいっぱいだったのに。危険をかわせたとしても、そのうち身体が乾いて、干からびて死んでしまう。
いつか書いたが、我が家にイモリが来たのは3月、小学校の教室でみんなで大量に飼っていたのを卒業するので希望者が持ち帰ることになり、娘が3匹持って帰ってきた。クワガタを飼っていたときの水槽に水道水を入れ、適当に砂利や石を入れて水場と陸地を作った。理科の先生に世話の仕方をちゃんと聞いてくる、といって聞いてきた情報に基づいたのか推測だったのか知らないが、娘が納得してつくった環境で、3匹のうち2匹が立て続けに死んだ。ノブナガ、ヒデヨシ、イエヤスと名づけたうちの、名前としてはいちばん好かんヒデヨシが残った。
その後、禁忌事項を学習した私たちのもとで、ヒデヨシは元気に水槽ライフを謳歌しているように思っていたのだが、やはり、外に出たいのね、動物って。
もともと何の囲いもない自然界に生まれたのだから、閉塞感があるのは当然だ。
カエルのミドリも、水槽の蓋を開けると気配に気づいて一目散に頭上を目指して跳躍しようとする。隙間から餌をやるときは従順に食いつくのに。
ヒデヨシも、プラ容器の隙間を目ざとく見つけて身体を滑らせたのだろう。迂闊だった。夜にもう一度点検すればよかった。昨日はずっとそのヒデヨシのそばで絵を描いていて、その絵の上をずかずかと歩いてヒデヨシを眺めに来る猫を叱りつつ、ヒデヨシの様子も窺っていたので昼間いたのは間違いないんだけど。
信じられないが、ヒデヨシはもういない。家出してしまった。
7月9日、金魚のタマちゃん逝く。
8月13日、タマちゃんの同期生、モモちゃん逝く。
8月17日、我が家生まれの稚魚の生き残り・チビタ、突然逝く。体長25mm程度にまで成長していたのに。すごく元気に泳ぎ回っていたのに。
私たちは、この夏、かけがえのない家族を立て続けに失った。けっこう堪えているんだよ、これでも。愛情は注いでいても、環境管理に不備があったのではと問われると反論できない。すべてに同じエネルギーを費やせないからつい優先順位をつくってしまう。どうしても小動物は下位に来る。
私のそんなさまにヒデヨシは見切りをつけたのだ。こんなところにいられっかよ、たくぅ、とかなんとかいって。
朝、娘は無言、半泣きで登校していった。
母ちゃんも隅から隅まで探したんだけどよぉ。
ヒデヨシ、水が恋しくなって再び帰ってこないだろうか。プラ容器は蓋を開けてそのままにして置いてある。