一周忌です ― 2009/04/17 12:00:58
高齢でらしたので、いつ亡くなられてもおかしくないといえば失礼ですが、でも私はなんだかセゼールはずーっと生きながらえていくような、そんな錯覚をもっていました。
訃報を知ったときにはあまりのショックに体中が空洞になったような気がしたものです。おおげさでなく、しばらくはまともに思考することができずに、ものすごく投げやりに日々を過ごしていたような気がします。誰ともこの悲しみを共有することができません。しようと思えばセゼールなる人物は誰なのか、私はなぜ彼を敬い尊び愛情すら覚えるのかということを説明しなければなりません。面倒というよりも、そのために悲しみが倍加しそうなので、心の奥底に驚きも悲しみも悔いも全部しまいこんで何事もなかったように過ごしていたのでしたが。
フランス語の勉強を始めて、それを続けることができているのはひとえにエメ・セゼールの存在があったからでした。
フランス語を媒体にしたさまざまな世界を、垣間見ることができているのは、まず、エメ・セゼールの『帰郷ノート』を読んだからでした。この詩が私の思考の原点、始まりなのです。
そうはいっても、私はエメ・セゼールはもちろん、彼を市長に選び続けたマルティニークの人たちや、クレオールの名のもとに繋がるグアドループの人たちの、精神の在りかたや魂の置き場所について、砂粒のかけらほども理解しているわけではありません。
彼らの場所、彼らの記憶、彼らの存在しない根っこ、そして彼らがうたう詩は、追い求めても探し続けても触れられない、憧憬でしかありません。ただ、現代に生きる彼らの思考に少しでも近づきたいために、あれこれと読むことで自分を慰めていました。
エメ・セゼールは、私がいま、上で「彼ら」と呼んだ人たちの頂上かつ中心かつ周囲にいた、「彼らの父」でした。私は彼らの中にけっして入れてはもらえない。けれども、エメ・セゼールは、私の憧憬の象徴であると同時に、私が歩いてきた道の分岐や曲がり角にいつもいた人でした。エメ・セゼールという人の存在は、私という人間が歩き始めるきっかけだったのです。
エメ・セゼールはAime Cesaireと綴ります。
検索すれば彼へのオマージュがいくつもヒットします。
映像もあるので、興味のある方はぜひ。仏語ですけど。