千都萬都または三都 ― 2010/01/17 17:22:26

『神谷美恵子の世界』
神谷美恵子 他 著
みすず書房(2004年)
今日は阪神淡路大震災が起こった日。地元紙では、正月気分が抜ける頃から毎年震災に関するコラム欄を設けて震災のその後を特集する。正直、そういったことでもなければ近隣市町村に住む者だってあの惨事を忘れてしまう。そりゃ、忘れたっていい人もいる。忘れたほうがいい人もいる。でも私は忘れずにいようと思う。
近しい友人が大病を患い昨年大きな手術を受けた。思いもしなかった事態に直面していろいろと考えることがあったようだ。私はといえば、彼女が震災の被災者であることをつい思って、かけるべき言葉が見つからずにいた。とてつもない体験をした人の前では、お気楽者は木偶(でく)人形かマリオネット、せいぜいからくり人形だ。言葉も気持ちも自分のまわりで空回りするだけである。
さて今日は、この季節の風物詩、全国都道府県対抗女子駅伝が行われた。娘はバレエのリハーサル途中で抜けて沿道へ駆けつけ、私はテレビで観戦した。
兵庫チームのメンバーは、選手によっては震災の日と重なったことに格別の思いをもった人もいただろう。この大会、毎年兵庫は上位に食い込む。沿道の声援も兵庫チームに対してはいっそう大きく、温かくなるのが常である。
今朝の地元紙には、元監督をしていた人の、いまの中高生に被災の事実や県民の思いを背負わせるのは酷だ、思う存分自分の走りをしてくれればいい、という談話が載っていた。そうだよね。
今年6連覇を期待された我が町のチームは苦戦。アンカーがやっと、ゴール直前にスパートをかけ3位に食い込み、兵庫の前へ出た。すごい追い込みだった。6連覇はならなかったがよく頑張ったぞ! 兵庫チーム、残念。(ちなみに優勝岡山、2位千葉)
海に縁のない暮らしをしていると、海辺や港の近い場所というのにはたいへん憧れるものである。ひとりで遠出を許されるようになったら真っ先に訪ねたいと思っていたのが神戸の異人館街であった。中学生のとき、夢見たとおりにその界隈を訪れ、うっとりした。どこにいても、気のせいかもしれないが潮の香りがして、海側を背にすれば山が眼前にせまり、道幅はゆったりしていて一軒一軒の家がゆったりと建てられていて、彼我の違いはいったいなんなのよって感じであった。いまでこそ自分の町のほうがずっといいと負け惜しみでなく思うんだけど、長いこと神戸移住が青春時代の私の目標だった。
神谷美恵子はハンセン病患者の治療に尽力した人として知られている。医師であったわけだが、文学を志したので、創作した詩や小説などの書き物が残っている。スイスのジュネーヴで小学校時代を過ごしたので思考回路がフランス語で形成された(うらやましい)。その小学校での成績もとても優秀だったことを物語る教師の手紙が残っている。ほとんど母語のように仏語を操る人は当時の日本には皆無に近かったろうから想像に難くないが、帰国後は通訳、翻訳、仏語教育と大車輪の活躍ぶりだったそうである。
本書はそうした神谷を知る人々が神谷について寄せた文章を編んだものである。錚々たる面々だが、神谷について何も知らない者が読んでも興味深く、また神谷の評価が高く揺るぎないことに納得できる文章は鶴見俊輔の「神谷美恵子管見」 だけであろう。親しみを感じ、身につまされる思いがするのは「思い出」、明石み代という元同窓生が寄せた一文だ。中井久夫の「精神科医としての神谷美恵子さんについて」はたいへん詳しいが、やや専門的でわかりにくい箇所がちょこちょこあるために、読者をちょっぴり萎えさせやしないだろうか。私だけかな?
本書については:
http://www.msz.co.jp/book/detail/08186.html
神谷美恵子はいわゆるお嬢さまであった。厳格かつ教養豊かな両親に愛情をいっぱい注がれて育ち、自身も良質の教育を受け高い教養を身につけ、自然に慈悲の心も育まれた。しかし、神谷の生きざまは、豊かな人が貧しい者病める者に手を差し伸べる、というレベルにとどまる類いのものではなかった。
「どこでも一寸切れば私の生血がほとばしり出すような文字、そんな文字で書きたい」
裏表紙に記されている彼女の言葉である。
早くに「癩者が呼んでいる」といって、医学への転向を志したが、父の反対に遭ってなかなか成らなかった。だが紆余曲折ののち(はしょってゴメンナサイ)晩年はハンセン病患者の療養所と、転居先の芦屋と、教鞭をとる東京を往復する生活を送るようになる。
素敵な人だなあ、と思える人の人生をたどると、そのある時期を芦屋とか神戸で送っていることが多い。それが京都であるケースと同じくらいに多い(なんかコイツ嫌だ、という人にも京都出身がすっごく多いけど。笑)。人を惹く力とか気とかいうものがその土地にあり、磁場を形成しているのだ。
本書の神谷美恵子の写真を見ていると、この人は「○○が欲しい」というような物欲を露にしたことなんかないのだろうなあ、と思う。浅ましいけれど、欲しいものは尽きないのが現代人だ。しかも、べつに要らないのに欲しいのである。ウチの娘は12月の初めに「欲しいものリスト」をつくって壁に貼っていた。そしてなんと、ほとんど入手するに至った! 書いて念じれば叶うといわんばかりに、お母さんも書いて貼っとけば? などという。よおし。
エクスワード ロベール大仏和所収
シャトルシェフ パンプキン
タジン鍋 本体が鋳鉄で蓋は陶器のもの
マイ足にぴったりフィットのウォーキングシューズ
折り畳み自転車
……
……
冒頭で、震災を「私は忘れずにいようと思う。」と書いたけど、忘れたくても忘れるわけはないのである。だって誕生日の前の日だもん(爆)。ああもう、また歳を一つとるんだなあ。ほげー。