予告2009/12/01 16:04:57

初の訳書がもうすぐ出ます!
ここだ!

↓  ↓  ↓  ↓  ↓

http://www.maar.com/books/01/ISBN978-4-8373-0172-1/index.html

どぞよろしく~~~~♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪

なりきることが何より重要だと気づいたがそれでもやっぱり手強かったよ死ぬかと思ったよ、の巻2009/12/02 19:10:00

堀川通。気候変動のせいかここ数年、黄金色がしゃきっとしない。それでも毎年晩秋はこの道を走るのが至福である。ふるさとっていいね。


『ダリ・私の50の秘伝 ~画家を志す者よ、ただ絵を描きたまえ!~』
サルヴァドール・ダリ著 音土知花訳
マール社(2009年)


ダリの『記憶の固執』という絵は、ムンクの『叫び』と並んで、「ようわからんけったいな絵」として小中学生の脳裏に刷り込まれるのではないだろうか。ダリもムンクも誰だかわからないけどあの変な絵を描いた画家の名として、テストなどにも出題されたりするのも手伝って、覚えているもんである。私も例外でなく、ダリについてはその程度の知識しかなかった。これでも美術大学卒だが、古今東西、星の数ほどもある絵画作品の大波のなか、すべてに関心をもつほうが難しい。とびきり好きな画家や作品の、数人の数点で、もう満腹である。私にとってサルヴァドール・ダリとは「けったいなヒゲオヤジ」以上でも以下でもなかった。
そのダリの古い著作のほんの一部分を見せてもらい、翻訳しませんかと投げかけられた。けったいなヒゲオヤジの書くものだからけったいなものに違いなかろうが、仏語の文面にはゴッホやピカソ、フェルメールらの名が見える。絵は変態チックだが文章はそうでもないかもしれないと思い込んだ私はぜひ訳したいと願い出たのであった。

ところが、とたんに私は後悔した。読めないのである。初見の単語はもちろんあるが、それら単語の意味がすべて判明しても、何を言っているのかがわからないのである。直前の段落との関連がつかめない。直後の段落とも無関係に見える。
しかも、何行読み進んでも、文が終わらないのである。来るのは読点ばかりで句点にたどり着かない。
そのあいだに話題は変わったようにも見え、変わっていないようにも見える。ようやく話題の区切りに来たようではあるがオチがない。おい、ヒゲオヤジ、この話オチがあらへんで、と突っ込んでみては虚しさに泣く。
幾つもの、そんな波打つような文章をくぐりぬけて(解読できたという意味ではなく)、ようやく、著者の書き癖というものが見えてきた。が、その「癖」はまったくもって難儀きわまりなかった。

ダリはスペイン人だがカタルーニャ人で、フランス国境に近いフィゲラス出身である。12歳くらいまでの初等教育をフランス語で受けたらしい。カタルーニャ語はスペイン語(=カスティーリャ語)よりもフランス語に近い言語だそうである。おそらくカスティーリャ語よりもフランス語のほうが得意であったのだろう。

しかし、彼の文章にはフランス語の辞書にはない言葉がぽんぽん出てくるし、カタルーニャ語だとしたらお手上げだし、ではラテン語かと思いきや、まったくの彼の思いつき(造語!)であったりする。その発想は哲学や宗教はもちろん、自然科学から数学、幾何学、化学におよび、もちろんベーシックな油絵技法は身についている者が読者と想定されているので、とにかく、東洋の果ての一介の訳者など、土俵に上がることすら叶わないのである。
けったいなヒゲオヤジはただ、頂上の見えない分厚い壁となって私の前にそびえ立っていた。その壁の向こう側には、始めも終わりも識別できないほど長い体躯をもった文章という名の幾つものまだら紐が絡み合っていた。それはあたかも蛇の乱交パーティーのようであった。何がそんなにイイのか傍から見ているとテンでわからないけれど、とにかく気持ちよさそうだ。酔いしれている。蛇は、いやまだら紐は、もとい、文章は、そんなふうに見えた。

けったいなヒゲオヤジだと思うから、埒が明かないのである。
私は、サルヴァドールになろうと決めた。今日から私はサルヴァドールよ。そう思い込んだ。生まれてすぐに死んだ兄と同じ名前をつけられた幼いサルヴァドールになった。妹に慕われ、同性の詩人に愛されることの快感と憂鬱にふける若きサルヴァドールになった。小さな港町ポルト・リガトの風景を想像した。ジローナ刑務所の鉄格子を思った。シュルレアリストたちのとの討論、煙草、酒、女を思った。最愛の人との出会いとためらいを思った。
印刷された画集でしか叶わなかったが、ルネサンス期の絵画を眼に穴が空くほど観た。中世フランドル絵画も、20世紀の画家たちの作品も、覚えてしまうほど観た。サルヴァドール自身の絵は、「私はいつ、なぜ、この絵を描いたのか」と考えながら観た。
毎朝洗濯物を干すとき、物干しに置いた幾つかの鉢植えにミツバチやアシナガバチが訪れる。私はサルヴァドールがミツバチと呼んだ妻のガラを思った。サルヴァドールがつかまえたスズメバチを思った。スズメバチの体の縞模様を思った。竿と竿とのあいだに蜘蛛が糸を張っていれば、以前ならとっとと払ったところだが、眼を凝らして見つめその糸を成した蜘蛛の営みに思いを馳せた。

サルヴァドールになってみれば、彼の書きようは、けっして蛇の乱交パーティーではなかったとわかる。ただその大いなる好奇心と探究心の発露であった。尽きぬ思考の泉からほとばしる滝のような情熱が、ただフランス語という形態を纏ってとめどなく流れ出ているのであった。言語は単なる衣装でしかなく、純粋無垢な少年の冒険心と、熟練した技をとうの昔に身につけた老獪な職人の同時代への猜疑心を、いっぺんに包んでくるんで、並べ立ててあるのだ。
最終章のあとのあとがき、さらに参考文献資料までたどり着けば、サルヴァドールがけっして脈絡のない呟きを思いつくままに書き殴ったわけではなかったことがわかる。容易なことではなかったが、サルヴァドールになってみれば、彼がどんなに絵と妻を愛していたかが、理屈ではなく体でわかるのである。


参観にも応援にも行かず、宿題も見てやらず、家事もせず、作業に没頭する私を見守ってくれた家族に感謝する。
遅々として進まぬ訳稿を辛抱強く待ってくださった編集部の皆さんに感謝申し上げる。
そして晴れの日も雨の日も励まし続けてくださったM・Mさんに心から御礼申し上げる。

応援してくれた友達、みんなにありがとう。
もうすぐ本がお目見えします。

(再掲。笑)
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「2ならび」記念日2009/12/04 15:42:00

今日、アクセスカウンターが「22222」になった瞬間を見た!
いつもぜんぜん見ないのに~なんかいーことありそな気分♪

というわけで今日を「2ならび」の記念日にしよう(笑)

みなさんご贔屓にありがとーござんす♪

また来てね~


(再々掲。えへへ)
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むちゃ持久走日和♪2009/12/08 10:04:56

もうひとつの仕事場(泣)
西日に照らされた山がきれいでした。紅葉は盛りを過ぎたようですが……


本日は晴天なり。
朝からけっこう寒かったけど、空は美しく澄みわたり、風もきりりと冷たくさわやかで、洗濯物も喜んでいる。

今日、中学校の持久走大会である。
川沿いのコースを12km走る。

去年、本人としてはかなりの意気込みで挑んだところイマイチな結果に終わって、口には出さなかったが、がっかりしていた。長距離って向いてへんもん。部活での種目は800mという中距離なので、1km超えるともうしんどい。本人はそんなことをいって投げやりなふうを装ったりする。
しかし、それは文字どおり、装っているだけなのである。本心は違うのである。

学校のこれまでの最短記録(女子)は50分弱らしい。
陸上部の主将で1500mが専門種目のキョーカは、今日の12kmに「将来を賭ける」と宣言していた。つまり高校へ進学してもそのあとも、陸上競技生活を続けるかどうか、である。
キョーカの向上ぶりは目覚ましい。彼女の生活はすっかりランナーズライフである。キョーカの母親は普通のオッシャレーなお母さんなので「キョーカについていけなあい」と冗談交じりに笑ってらっしゃる。栄養バランスとか「試合に勝つメニュー」とかキョーカが研究してリクエストするので食事の支度もたいへんだ。だがまあ、スポーツ選手を子にもつということは、要は「何を食べさせるか」に尽きる。コーチを兼ねない親としては。

ほったらかしのウチのさなぎの生活環境とは大違いである。さなぎは当然キョーカから何かと情報を仕入れてくるが、だからといって、「筋肉をつける食事」とか「スタミナメニュー」とかよりも「今食べたいおいしい好きなもの」を食べることを日常の最優先に掲げる彼女としては、キョーカの「頑張り続けるためのモチベーション維持」の部分のみ、仕入れて見習っているようである。
キョーカは勉強もすごくできる。そんなキョーカにいまのところどうにかこうにかついていっているさなぎは、内心、文武両面で、引き離されたくなくて必死なのだ。

キョーカの本日の目標は、女子での優勝はもちろん、学校新記録の樹立も狙っている。50分そこそこの記録を更新するのではなく、大幅に、46~7分あたりを最低ラインにしている。
顧問やコーチからは45分台が至上命令として出されているが、さなぎいわく、「キョーちゃんはたぶん47分台か48分ちょいくらいでゴールする。それでも優勝できると思うけど」
「で、さなぎの目標は?」
「50分切れたらいいなあ。1秒でも」

去年は54分で女子8位だった。1位の上級生でも50分は切っていなかった。うまくいけばキョーカちゃんとワンツーフィニッシュいけるじゃん。

「無理無理。さくらもいるし、りなちゃんもいる」
さくらというのは、陸上部で仲良しの、頑張る中学生の鏡・さくらだ。
りなちゃんは、陸上部の1年生で長距離有望株。

「でもな、先にゴールすんのが陸上部のメンバーやったらべつにいいねん。ほかの部の子やったら困る」
「なんで。そんなん、他の部もすごく走りこんでるやん。速い子いっぱいいるやん」
「やろ? でも他の部に負けたら承知せんぞーって」
「誰が?」
「かんジイ」

かんジイはこわーい陸上部の顧問の先生である。体育教師である。

「承知せん、ったって、どうすんのよもし負けたら」
「丸坊主やって」

わはははは。そりゃ負けられん!
がんばれーーーーーーー
青空も太陽も風も君の味方だーーーーー


※ところで今の子は「むちゃ」とは言わないんだってね。「むちゃ元気」とか何かに書いたとき、娘が「め、やろ。め」というので何の話かと思ったら「めちゃ元気、やろ、どうせ書くんやったら」。
そのあと「うちらはめっさ、ってゆーけどな」とふふんと鼻で笑いよりました。おばはんのことはほっといてくれっ

見本誌がきました2009/12/09 12:24:15

ほんに、ええおとこどすー(笑)


でもさー、ここだけの話だが、あ、ここだけにならないから書けないや(汗)
ここだけの話ね、○★×▲◇☆●××××!!!(号泣)

えーんえーん。もおおおおおおっ

めっさ(笑)上出来、と思うことにしようね2009/12/09 12:41:17

柚子ジャム。または柚子マーマレード? テキトーな作りかたなのでどっちでもいいけど、「めっさ」おいしいよ♪ 柚子が大きくて上質でございました。ちなみに材料は柚子3個、砂糖300gです。ちなみに写真の瓶のうちひと瓶はもう食べちゃってありません(笑)


昨日、正午前後だったか、娘が電話してきました。

「今帰ったよ」
「おかえりーおつかれー。で。どうやったどうやった?」
「4位」
「おおおっすごいやん、去年より順位上がったやん!」
「うん、でも、まあまあ」
「そうなん? キョーカは?」
「優勝した。48分台で学校記録更新」
「おおおっ。で、2番は?」
「ゆかりちゃん」
「なにっ」
「あの子、ほんま、タフやねん」
「で、3番は」
「りな」
「おおおおおおおっすごいぞりなちゃん!!! やるなあ、期待の星やなあ、ほんまに」
「うん、全然危なげなかった。普通にリードされたし。はは」
「で、丸坊主?」
「う」
「ゆかりって去年優勝したバスケの子やろ」
「でもな、ゆかりは例外やし、許したるって」
「そっか、よかったな」
「んなもん、マジで困るやん丸坊主って」

そりゃそーだが(笑)

1位のキョーカから3、4分離されてたと思う、だから50分切れてないと思う、というのがさなぎのタイム推測です。正確なタイムは後日配布されるそうだけど、目標達成はチョイ厳しそうです。

ま、でも4番ってなかなかたいしたもんじゃん、ねえ。上出来上出来♪

1 キョーカ(2年/陸上部)
2 ゆかり(2年/バスケ部)
3 りな(1年/陸上部)
4 さなぎ(2年/陸上部)
5 さくら(2年/陸上部)

6位以降レポートなし。
例年のことだそうですが、やはり3年生は夏以降部活していないし練習不足、受験モード満開ということもあって、この持久走大会を運動不足解消の機会ていどにしかとらえてないみたいですね。とくに女子。でもまあ、それでよいのでしょう。
(しかしウチの子の場合はその受験モードに入れるかどうかが非常に不安でありますが。笑)

2位のゆかりは、バスケのプレイヤーとしてはけっして目立たない、というかむしろ冴えないほうらしいのですが、どういうわけか肺活量がとんでもなく大きいという話なのです。健康診断時に計測しますよね。どういう数値で表すのかは知りませんが、その値が並外れている。マラソンランナー向きかもしれません。そのへん、先生方も承知のようで、丸坊主免除とあいなりました。

ちなみに昨年の上位成績です。(女子8位まで)
1 ゆかり(1年/バスケ部)
2 川島(2年/バスケ部)
3 里中(2年/剣道部)
4 みちよ(1年/バレー部)
5 キョーカ(1年/陸上部)
6 さくら(1年/陸上部)
7 みい(1年/陸上部)
8 さなぎ(1年/陸上部)

頑張る中学生の鏡・さくらに今回僅差で勝てたらしくて、それがさなぎとしてはかなり嬉しかったようです。ひるがえってさくらの立場で考えると、学年上がったし順位が上がるのはある意味あたりまえ、とすると1年のりなや、去年はおさえたさなぎの後塵を拝したのはかなり悔しかったのではないかな、と思います。でも、これをバネに奮起して、まだまだ続く陸上部ライフ、さなぎのよきライバルでいてほしいものです。

毎年この時期、盛り沢山だった秋の行事群が終了し、定期テストも終わり、といろいろな疲れが出てコンディションが調わないもんです。ウチの子に限ったことではないと思います。フルコースは12kmですが、不調な子のために6km、3kmコースも用意されています。「ほとんどウォーキング」でもいいから参加しよう、というのが学校の姿勢で、疲労の出てくる季節だからこそ、持久走大会を理由に何とか運動不足を解消し、心身のコンディションを調えようという意図が見えます。

さなぎは風邪を引いてて、あるいは季節外れのアレルギーかもしれませんが、鼻水ずるずるでしたので、短パンのポケットにティッシュをたんまり突っ込んで(笑)臨みました。また数日前から右足の甲の関節炎。骨に異常はなく心配には及ばないけどかかりつけ医いわく「足を休ませたら痛みはすぐ引くし、治るよ。でも君は休まないよね」
へへへと苦笑いのさなぎ(笑)
このとき、持久走大会が近いことを話せばドクターストップがかかったかもしれません。でも、走りたかったので黙っていました。

折り返し地点からすごく痛かったらしいです。
事情を知る先生たちは「無理すんなー」と声をかけてくれたそうです。実際、「棄権」の2文字が脳裏をかすめたそうですが、そのときさなぎの前方には、さくらがいたんですねえ(笑)
さくらに追いつきたい、さくらを抜きたい、その一念で痛みに耐えることができたみたいです。
ををを、なんかスポーツ選手の談話みたいじゃん。

やっぱ友達っていいですね、大事ですね。
若いっていいですねえ。

今朝、とりあえず今日は体育と部活は控えめに動くよ、といって、朝からたらふく食べて登校しました。

みなさん、応援ありがとうございました。
ほんとにほんとに、ありがとうございました。

ふう……2009/12/11 18:47:57

今夜はおみゃーと一緒にぐっすりzzz


今日、ここ2か月ほど抱えていた大きな仕事(会社の仕事ね)がひとつ終わった。何とか、成功したといってよいだろう。あーほっとした。ほんとにほっとした。ほんとにほんとにほんんんっとに、ほっとした。

仕事の単価が坂道を転がるように下がっている。だから以前の倍ほどの量の仕事を捌かなければ売上が立たない。業界がそんな状態だから、いちばん川下の下請け制作会社はきっとどこも火の車だろう。会社が火の車であれば社員も火の車は当然である。無事に正月を迎えられるのか。この業界に未来はあるのか。
そんな状態だから、何かひとつうまくいったら超超超幸せなのだ。


よっぱさんがボロボロ、と書いていた。
体に故障があると心も荒んでしまう。
私たちには、体や心の調子の狂った箇所やネジの外れかけた箇所を、癒したり、潤したりする余裕がない。
私には故障はないが、不治の病を抱えている。
なにかって?
腱鞘炎に花粉症に飛蚊症に頭痛である。どーだ、すごい不治の病リストだろー。
どれも「治りません」と断言されたので、不治の病である。
ただし、緩和することはできるのである、もちろん。
が、緩和に時間(と費用)をかけられないのである。この事実こそ現代病という不治の病かもしれない。

さっきアマゾンへ行ったら、ようやく訳書の画像がアップされていた。
んなわけでマイブログのサイドメニューにもお目見えである。
(ついでにサントラ盤も♪ えへへ)

とりあえずどっさりと肩の荷を降ろして、どどどどっと疲れが出た。
こういう状態を私のまちの言葉で「ほっこり」という。
「あーほっこりした」の共通語訳は「あー疲れた」が実は正しい。
だがその内には、「ものすご疲れてしんどいけどひとつ済んでほっとしたわ」というココロが潜んでいるのは事実である。
だから、このまちの人間ですら、「ほっとした」の部分をことさらに「ほっこりした」の意味にかぶせてしまう。
「ほっとした」は間違いではないけど、前提として疲労感に満ちていなくては、正確ではない。

「時にはお洒落なカフェで、ほっこりとカプチーノ」

なんつうでたらめなコピーがまかり通り、むしろもてはやされている事実を、たいへん憂う昨今である。
ま、どーでもいいや。

ふう……。
ほっこりした。
お疲れさん、あたし。

今年はどうしようかな、クリスマス……と思いながら借りた本だったけどな、の巻2009/12/16 17:27:58

たいへん昭和なガラス障子の向こうに光るは我が家のツリーの電飾。


『クリスマスツリー』
ジュリー・サラモン著 ジル・ウェーバー絵 中野恵津子訳
新潮文庫(2000年)


クリスマスの朝にサンタクロースからのプレゼントが枕元に届く。この慣わしが途切れなく続いたのは小学校6年生の冬までだった。その贈り手の正体にある日突然気づき(友達のあいだではかなり遅いほうだったと思う。笑)、その後私は、クリスマスに関したいへん醒めた中高生時代を送った。中一だった年の12月12日に祖母が亡くなったので、その冬をきっかけにツリーを飾る習慣は廃れた。中三になると私はまじめな受験生へと変身したので、その冬は文字どおりクリスマスどころではなかった。だが子どもの気持ちとは関係なく母は、本当は七面鳥を食べるらしいけれど、といつも前置きして、毎年クリスマスには鶏料理を出した。鶏嫌いの母の手づくりではもちろん、ない。出来合いのローストチキンは、なじみの商店街の今は無き鶏肉屋さんで買っていたと思う。ひどく、おいしくなかった。鶏にしろケーキにしろ、いつもの晩御飯がちょっと派手になっただけだった。子どもが小さいうちは単純なことで喜ぶので、きらきらした飾りやケーキがあるだけでワクワク感を醸し出すことができただろうが、子どもも成長すると同じ手は使えなくなってくる。といって夜遊びするほど大人ではない中途半端な青少年期、クリスマスの食卓というのはただ不機嫌な顔でその場をやり過ごす夜だった。なんでクリスマスを祝うんだろう? 祝うんならなんで祝日にしないんだろう? 私は、イデオロギーとは関係なく、クリスマスの存在意義に形にならない疑問符をつけていた。

だが私に突然転機が(笑)訪れる。雑誌『オリーブ』の創刊である。ファッション雑誌はアンアンかノンノしかなかった(と思っていた)し、両方ともなんかちょっと違うと感じていた私は『オリーブ』に飛びついた。当初この雑誌にはボーイズ系の趣味を私たちも、というノリだったように覚えている。バイクでのツーリングとか、オーディオ機器の揃え方とか、そんな特集が多かった。ところが一年も経たないうちに、いつのまにかキャッチコピーというか読者ターゲットが「夢見るオリーブ少女」になり、それはつまるところちょっとハイソな都会のミッション系女子高生のことで、地方都市の二流美大生ではなかった。あれ、この頃オリーブなんか違う……と、なんとこの時は「思わなかった」のである。私と親友の小百合は、この雑誌のノリに大いに乗った。そこには私たちが欲しがっていたヨーロッパの香りやテイストがてんこ盛りだった。そして冬、『オリーブ』にはこんな見出しが躍った。「オリーブ少女はクリスマスが大好き!」

大好きになりましょうじゃないの。通っていた大学はまちの北の果て、山の中に建っていたので、冬場は通学路が雪でエライことになることしばしばだった。だがクリスマスを楽しむにはうってつけだ。どうしてもバイトの都合のつかないヤツを除き、イヴの夜は制作室をクリスマスデコレーションで、といっても私たちふうだが、飾り立て、作りかけのオブジェや窓ガラスにスノーパウダーをスプレーし、ラジカセを持ち込んでクリスマスソングを鳴らし、スパークリングワインやビール、ケーキ、お菓子、おつまみを買い込んで、窓の外の雪をかぶっても凛と立つ常緑樹を眺めながら、意味もなくわけもなく語り明かした。
私は毎年、その日のための雪の結晶模様のセーターや樅の木色(つまり緑)のカーディガンを編み、クリスマスイヴという名のゼミコンパの夜に最初に着た。いうまでもなく『オリーブ』の誌上でオリーブ少女が着ている服の模様や形を真似て編んだものだった。

当時、私たちは知らなかったが世の中はバブリーだった。12月を待たず町はクリスマスイルミネーションできらきらになり、クリスマスの演出に役立つ小物がやたら売り出されるようになり、怪しげな団体がクリスマスパーティーと銘打ったお見合い企画なんかを、当時絶好調だったディスコとかでよく催していた。お見合いならまだましで、けったいな布教活動のこともあったみたいだ。とにかく飲んで踊って遊ぶのがヨシとされていたので名目はなんであろうと人は集まった。
そういうのはともかくとして、友達どうしであれなんであれ、パーティーをしないなんて、あるいは招ばれても参加しないなんていおうものなら、変人扱いされたものだ。人も世ものぼせ上がっていた罪な時代。けれども、幸い大怪我をしなくて済んだおおかたの人びとの胸にきらきらしたクリスマスの記憶は、そう悪いかたちでなく残っているのではないか。

大学4年の冬、初めてヨーロッパを旅した。ドイツのミュンヘンに友達を訪ね、彼らに連れて行ってもらった街外れのビアホールに向かう途中、雪景色の中に凛と立つ木を幾つも見た。旅行の時期は全然クリスマスではなかったが、その木々はまさに、子どもの頃によく絵に描いた、てっぺんがとんがってギザギザとしたシルエットの、クリスマスツリーであった。ああ、クリスマスツリーだ、などとつぶやくナイーヴきわまりない私に、「そうそう、山から切り出されてツリーとして売られるのはあれと同じ木だよ」と解説してくれた友達。

本書は題名のとおりクリスマスツリーが主役である。大都会の真ん中、毎年世界中の話題をさらうクリスマスツリーがある。もちろんツリーは天然木を切り出して運ばれてくる。大役を担う木を探し、木の持ち主と交渉し、飾りつけまでのいっさいを天職として手がける男がいる。ある年、田舎の修道院の庭に素晴らしい木があった。気高く、まっすぐ天に向かい、伸びた枝は弾力がありそうだ。孤独な少女の話し相手であり心の友であり、時に父や母の代わりであった木。この木とともに育った今は老尼の元少女と男が出会う。

アメリカに植わっている多くの樹木は、開拓民たちが故郷から持ち込んだものが多いらしい。クリスマスツリーとして重宝されるのはトウヒ(唐檜)という名前のマツ科常緑樹であるらしい。それにも多種あって、本書にはドイツトウヒが最高である、というようなくだりがある。ドイツトウヒはもちろんドイツ系移民がその昔持ち込んだものなのだろう。

ドイツの田舎道の車窓から見た、雪をかぶった常緑樹はドイツトウヒだったのだな。
私は本書を読んで、ただ、そう思った。

大学4年の終わりにヨーロッパを旅して以来、わずかずつだが、世界のありようを理解し始め、世界支配被支配勢力図とキリスト教勢力分布図が重なることに、わずかずつだが、嫌悪感を抱き始めた私がクリスマス嫌いになるのにそう時間はかからなかった。というより、なんにでも影響されやすいというか、得た情報に毒されやすいだけといってしまえばそれまでなんだが。
西洋における宗教行事のひとつとしてのクリスマスは盆正月と同じであるから、尊ぶ気持ちはもちろん、ある。それは、それ。子どもが生まれたら周囲がこぞってクリスマスプレゼントをくれるしサンタクロースもちゃんと来る(笑)ので、また毎年ツリーを飾るようになって十三年。それも、それ。

本書は、『クリスマスキャロル』と並ぶクリスマス本として米国では大人気らしい。書店のクリスマス特集に本書は絶対に欠かせない一冊だそうだ。
しかし、本書や、本書と同時に図書館から借りた『お騒がせなクリスマス』(ジャネット・イヴァノヴィッチ著、細美遙子訳、扶桑社2003年)などを読むと、ストーリーとは全然関係のないところで、やはりクリスマスというイベントの罪深さは人類史上最大かもしれない、なんて思うのである。

ニコラを嫌いな理由2009/12/21 17:57:57

フランス語を学び始めたときの共和国大統領は社会党のフランソワ・ミッテランだった。当時見知ったフランス人といえばフランス語学校の教師ばかりだったが、彼らはたいていミッテランを支持していた(教師というのはたいてい左派である)。大統領の演説というものはゆっくりと平易な言葉で噛みしめるようになされるので、よく聴き取りのレッスンの教材になった。フランスの大統領に限らずどの国でも国家元首というのは威厳あるスピーチを行うものだが(そうでもない国もあるようだけど)、威厳に品格が加わるかどうかは、その人の生まれや育ちや経歴に左右される。私はフランスの階級社会についてよくは知らないが、かの国の場合、政治家、しかも大臣クラスまで昇るほどの政治家はほぼ例外なくエリートの家系に生まれた「生まれながらのエリート」である。つまり「ノブレス・オブリージュ」の人々である。大変なこと、ややこしいこと、責任の重いこと、はエリートにおまかせするのがかの国の伝統である。

いまのサルコジ大統領がまだ議員さんだったとき、ニュースで記者に答えているその顔を見て以来、私は彼が大嫌いである。その主義主張、政治家として信念、その他もろもろ、どうでもよい。ただ、嫌いなのである。虫唾が走るとはこういうことをいうのであろう。なんでこんなヤツが政治家に? そんなケースはウチらの国には山ほどあるが、かの国では、――もののわかっていない私なんぞに発言資格はないんだけど、でもかまわずいっちゃうと――ニコラ・サルコジだけである。もちろんフランスの政治家を全員知っているわけではないし、フランスの政治事情だって知らないけど。たとえばシラクだってドヴィルパンだって顔は嫌いだけど、虫唾は走らないのだ。
……単に好みの問題なんだろーけどっ

私の知る限り、みんなサルコジが嫌いである。
みんなというのは知っているフランス人やフランス在住の人たちのことである(教師ばかりじゃないよ)。
なのになぜ彼は大統領になれたんだろう。
あんなのでも、対抗馬は女性だったので、女よりましってことだったのだろうか。フランスも日本とそう変わらんね。
私はといえば、先日久々にニコラ・サルコジの演説がラジオから流れてきたのを聴いて、やっぱこの声も話しかたも「めっさ」嫌いやわあ、と思った。なんか、下品と言ったら失礼だけど、とにかくなんか違うねん、共和国大統領っていうのとは。

『脱走兵』
ボリス・ヴィアン

大統領閣下
あなたに手紙を書きました
時間がおありのときに
読んでいただけるように
たったいま僕は
召集令状を受け取り
水曜の夜までに
戦場へ赴けと命じられました
大統領閣下
僕にはできません
僕がこの地にあるのは
気の毒な人を殺すためじゃない
閣下を怒らせるつもりはなく、ただ
僕は言いたいのです
僕は脱走する
いま、そう決断したことを

この世に生を受けて以来
僕は父の死に遭い
兄弟の出奔に遭い
わが子の涙を見て暮らしました
生きて葬られんばかりに
僕の母は苦しみました
爆弾も 蛆虫も
母にはどうだっていいのです
僕が拘束されている間に
妻は寝取られ
大切な宝をすべて失くし
僕の魂も ぬけ殻です
死んだ過去に
門前払いを食わせ
僕は目の前の道を行きます

ブルターニュからプロヴァンス
全フランスの国道で
物乞いをして食いつなぎ
人々に向け叫びます
「言いなりになるな
 従っちゃいけない
 戦場へは行くな
 出発しちゃいけない」
血を流せとおっしゃるなら
閣下の血をどうぞ
偽善者づらの
大統領閣下
僕を追跡しますか
なら警官にお知らせください
僕は武器を持っていないから
撃つのは簡単だと

*****

世界がまた戦争へ傾いています。
破滅のきっかけは、たった一人のテロリストかも知れないし、たった一発のミサイルかもしれません。
かつての戦争の傷も癒えないのに
まだ戦時下にある地域もあるというのに
毎日どこかで誰かが不条理な死を強いられているというのに


少し早いのですが、当ブログは年末年始休暇をいただきます。

今年はアタクシ、まさしく「死闘」の一年でしたが、とりあえず成果物を年内に出すことができました。個人的には一歩前進、というところです。
いっぽうで、勤務先は存続が危ぶまれており、いつ潰れてもおかしくない……というより、経営陣は「しんどいし、もうたたむわ」とさほどしんどくなくても言いそうな人たちなので(笑)、状況はかなりイッちゃってるのではないかと推測しています。

万が一の場合の身の振りかたとか、家族の将来も考えなくてはいけません。とはいえ、年内まったく休みなしなので、そんなの考える暇ないですけどね。稼ぎにならないのに仕事はあるという、ひどい話。

今年も半端じゃない量の本を読みました。
新年のいつから始められるかわからないけど、2009年の読書報告を少しずつしていくつもりです。
たびたび訪問くださったみなさん、いつも見守ってくださってありがとう。
ほんとにありがとうございます。
来る歳も幸多からんことをお祈りいたします。
Joyeux Noel et Bonne Annee!!!