カルシウム&マグネシウム ― 2010/03/09 18:17:04
辰巳芳子監修 グラフマーケット編
PHP研究所(2008年)
3月7日(日)のバレエ教室発表会「白鳥の湖全幕」はおかげさまで大盛況で大成功に終わりました。ひそかに応援してくださっていた方々(笑)ありがとうございました。悪天候にもかかわらず足を運んでくださったみなさま、本当にありがとうございます。
ウチの姫は5歳の4月からバレエ教室に通っている。この3月で丸9年になるわけだ。わが娘ながら偉いなあ。我が身を振り返って、いったい人生において9年も続けたものがあるだろうか? ないよ。石の上にも三年、とか、桃栗三年柿八年とかいうけれども、それよか長いんだぞ。
私はお習字も小学校の6年間でやめたし、小学3年生から始めた算盤も中2でやめたから6年間だ。いちばん長く続いた職場でも8年だ。はあーーーほんとにわが娘は偉い。親バカ炸裂ですみませんけど。
秋以降、陸上部の練習がハードさを増して、それとともにバレエのレッスンも先生ったら容赦なくビシバシご指導くださったりして、12月は右足の甲がとても痛かった。それが収束して発表会まで秒読みという時期になって今度は左足の土踏まずが痛い。かかりつけ医で注射してもらって痛み止め飲んで凌いだけれども。
娘がとても尊敬している若手の先生が(バレエ教室の、です)、足が痛い~を繰り返す彼女に「カルシウム・マグネシウムのサプリを飲みなさい」といったそうである。なんでもその先生は公演前1~2か月間はそれを飲み続けるそうだ。
娘は盲目的にその先生を信頼しているので帰宅するやいなや「お母さん、ドラッグ○○で○○製薬のカルシウムマグネシウム、水色のパッケージの、買うてきて!」。なんとまあ的確だこと(笑)。はいはい。
カルシウムとマグネシウムについて少し調べると、日本人はどうもカルシウム偏重傾向にあるとどこかで指摘されていた。カルシウムも必要だけど、だからといって牛乳ばかりがぶがぶ飲んでる人、いないだろうか。牛乳から吸収できるのはごくわずかだ。小松菜のカルシウムはあぶらげと炊き合わせれば吸収がよくなるけど、それでも含有量は多くない。やはり焼き魚を味噌汁・ごはんとともに毎朝いただくのがいちばんいい。といって、そういう朝食を毎日続けるのはけっこうしんどいなあ、お母さんは。
私がおとどしの暮れに頭痛を診てもらった神経内科では、マグネシウムと鉄が不足しているはずだからひじきやほうれん草をたくさん摂りなさいといわれた。ほんとはレバーがいいけど、といわれたが、絶対食べられないと答えたので、ならばひじきとほうれん草です。と断言された。頭痛解消というよりは、女性はどうしてもマグネシウムと鉄が不足がちになるので、意識して摂ればいろいろな不具合も解消するはず、という話だった。
サプリメントも有効ですよとその医師は言ったが、私はサプリを飲むのは嫌だし、すぐ忘れるので(以前眼にいいからとブルーベリーのサプリを友達に勧められたが、買ったもののいつのまにか存在を忘れて2年くらい放置していたら瓶の中で固まってしまっていた)、やはり正しく食品から摂ろうと、朝食のスープや玉子焼きや炊き込みご飯にひじきを混ぜ、ほうれん草はたっぷり買ってたっぷり使うほかに冷凍モノも常備しといてパンに練りこんだりしている。が、それでもたぶん不十分だ。
ドラッグ○○で買った○○製薬のカルシウムマグネシウムは2か月分くらい入っている。中学生にサプリメントというのはちょっと違うと思うけど、ウチのお嬢さんの場合、なんでも正直に体にでるので、たとえば下痢気味便秘気味になったりしたらもう嫌だというに違いないからとりあえず実験することにする。
休みなく飲み続けても5月のGW前までの量である。4月にある二度の記録会(陸上)は痛まずに臨めるかな?
二、三年前だと思うが、耳鼻咽喉科の待合室で「らいふ」という健康系の雑誌を見た。そこには辰巳芳子さんという年配の料理研究家が考案したという「命を支える玄米スープ」が載っていた。あまり時間がなかったのでじっくりは読めなかったが、私はなぜかそれ以来、玄米スープを作らねばならないぞ私は、という台詞を心に反芻していたのであった。反芻していたけれど、どうしても玄米の値段を見ては予算という壁を越えられず、毎朝体のだるさと時計との戦いであるゆえ、体力と時間の壁も越えられない。
元来料理が苦手で好きでもない私の母は、もう何年も前だが、いっとき本当に「サプリ漬け」といっていいほどの状態になっていた。にんにくなんとかっていうサプリよりも、本物のにんにくを料理に使うほうがいいよ、という私と、にんにくの紫蘇漬けを勧めてくれた商店街の漬物屋さんの言葉を容れて、にんにくなんとかというサプリはやめてくれた。太陽の何とかのカルシウム、というサプリも、膝関節が本格的に悪くなって整形外科医からカルシウム剤を処方されるようになったので、やめた。母のピルケースは色とりどりで満杯だったが、いまはかかりつけの内科医と整形外科医が処方するわずかな量の薬だけである。
でも、娘に買ったカルシウムマグネシウムを見てサプリ好きの血が騒いだのか「私も飲もうかな」とか言い出した。
玄米はたしかに割高だし、普通に炊こうとするとなかなかうまくいかないみたいだが、辰巳さんの玄米スープはけっして難しそうでなく、何とか費用を捻出して毎朝気合で朝食準備に向かえば、なんとかなるのだ、ほんとうは。本気で母と娘の命を思えば、なんでもないはずなのである。
でもやはり、玄米のパッケージの前に立ってため息つく私がいる。
あかんたれだあ。
辰巳さんの言葉を、ライターが編集してできた本書は、辰巳さんが著者として出されている幾つかの著作に比べてかなり読みやすくなっている。辰巳さんの言葉は優しいが、同時に重い。読んでいるうちにごめんなさいといわなきゃならないような気にさせる。著者にそんな意図はないはずだけど、ものすごく重要なことに言及しているので真面目に読めばやはりあたしってなんてバカ、なんて気になってしまう。
その点、本書はイラスト豊富でさらさらっと読めてしまう。物足りないくらいだが、辰巳さんの食に対する信念とか問題意識に触れたことがあれば、この程度の本でも行間に辰巳さんの思いを読み取ることができる。
痛みをとるために藁をもつかむ思いでサプリを買ってと言った娘に応えたけれど、ドラッグストアからの帰り、まだ開いていた図書館に駆け込んで、しばらくぶりに本書を読んだのだった。ほいで、やっぱ玄米スープだとの意を強くしたんだけど、さて持続するだろうか。