あと四日間2010/03/16 21:01:34

今月の初めに最後の席替えがあって、娘の隣は通称ポニー君になった。さんざんだったこの一年、最後の最後に駄目押しやん、というと娘は力なく「へへ……」と笑ったものだ。
しかし、2、3日経って娘はこんなことを言った。
「ポニー君とさ、仲良うしてんねん」
「へえ」
「ようしゃべってるねん」
「話し相手になるんや、ポニー君」
「うん、なる。面白いこと、言うねん」
「まともなことも、言う?」
「うん、わりと」
「そうかあ。よかったな、ほんとはどんな子かわかって。最後に間に合うたやん」
「うん」
娘は嬉しそうであった。

ポニー君は新学期早々飛び降り騒ぎを起こした男子生徒である。

今の用語で言うと「すぐキレる」タイプで、「ムカツク」と大声を出して騒ぎ、授業中だろうとなんだろうと教室を走り回ったり飛び出したりする。教師が注意するとますますエキサイトして床に転げまわってうるさい俺に触るなと手足をバタバタさせる……。
といった素行は小学校時代からあったらしいので、中学入学時から問題児として学校は注意を払っていたようだ。今はどこもそうだろうけれど、イマドキの子どもたちは教師一人の手には(いろいろな意味で)負えないので、娘の中学でも担任と副担任が居り、教科別の授業も必ずサブティーチャーが1人以上つく。名目は教材の配布、学習中の個別アドバイス、質問に答えるのが仕事だが、本当は授業を荒らす生徒の抑止である。しかし、教師が一人や二人多めにいるだけでおとなしくなるようなら最初から問題児にはならないだろう。というわけでポニー君は誰がいようと騒いだし、誰に叱られたって意に介さずわめき、暴れ続ける。そういう子であったそうである。

その子がGW明けの頃だったと思うが、学年初めのある日の休み時間に、ベランダから身を乗り出して「飛び降りてやるー」とわめき散らした。
娘は、進級初日から小うるさいポニー君を目障りに感じていたという。最悪やねん、沢村。南小出身の子らはみんなポニーって呼んでる。どうしてかは知らんけど。ポニーって可愛すぎるやん、沢村にはもったいない。
その子がベランダに足をかけてわーわー言い出したときは、いくら嫌な奴だと思っていても、さすがに娘は青くなった。ねえ、危ないんちゃう?と周りを見渡したが、驚くほどみな無関心だった。男子数人が「いけいけー」と囃していたにすぎない。あとからよく聞くと、クラスメートたちは南小出身者が多数派だったが、みなポニー君の性癖をよく知っていて、「また始まった」くらいにしか思わなかったという。

ポニー君が敬愛して止まない友達が一人いる。三崎君である。どんなに騒いでも、三崎君が声をかければポニー君はおとなしくなる。理由はわからない。三崎君は「可もなく不可もなく、ふつう」(by娘)の男子生徒だ。ポニー君は三崎君にくっつきたがるが、三崎君はべつに嫌がらないとはいえ、進んでポニー君に話しかけたりすることはない。三崎家と沢村家にも交流はないそうだ。ポニー君の親愛の情はどこから湧くのだろう。しかし、とにもかくにも、三崎君の「おい、やめろよ」のひと言で事態は一気に収束するのが常であり、南小の子らはそれをよく知っていたのだ。また、中学サイドもそのことを把握した上で、2年次でも彼らを同じクラスにしたのだろう(これは私の推測だが)。

ところがその情報を持っていない人間が一人いた。他校から異動してきた西原先生だ。

西原先生は、自分のクラスの生徒がベランダに足をかけて飛び降りそうになっているとの報を受けて教室に飛んできた。そして、他の生徒が鬱陶しそうな顔で傍観している風景を目の当たりにした。「おまえたち、ぼーっと見てる場合かっ」

ポニー君は、西原先生の姿を見てますます騒ぎ立てた。そこを西原先生が力ずくで引きずりおろした格好になったそうだが、その際のポニー君の暴れようは、平和で穏やかな北小育ちのウチの子には信じられない光景だったらしい。
騒ぎまくった割りには、やはりみんなが承知だったように、ポニー君は「ちょっとわめいてみたかっただけ」みたいなことをあとで述べたらしい。娘はこのときからポニー君をランキング最下位のさらにその下へ突き落とした(笑)。「人間のクズ」(by娘)

ところが、状況をいつまでたっても把握できない人が一人いた。西原先生だ。
西原先生は「救出した」ポニー君に、えんえんと、「何があったんだ」「どんな些細なことでもいいから先生に話してみろ」「一人で抱え込むのはよくないぞ」といった調子で「相談相手になろうとした」のだった。的外れであった。また、逆効果でもあった。ポニー君はどうやらこれをきっかけに担任を徹底的に「ウザイ奴」と認識してしまったのだ。
的外れと逆効果はこれで終わらなかった。西原先生は、「非常事態にあったポニー君」のことを「誰ひとりとして助けようとしなかった」ことを遺憾であるとしてクラス全員に長い説教を垂れてしまったのである。「友達は、かけがえのないものだ」「君たちはいったい、クラスメートを、学校生活をどう捉えているのか」「互いに思いやりを忘れてはいかん」というノリで。

説教の内容はいちいち正しく、真っ当であったが、今回のケースではあまりにも外していて、当然ながら生徒たちは聞く耳をもてなかったばかりか、担任に対して「こいつはウザイ」という不信感を持ってしまったのである(かなりねちねちと説教したらしい)。

新着任の教師にポニー君(with 三崎君)のクラスを持たせるなら、それなりの基本情報を与えておくべきだったのではないか、と私は思ったが、たぶん、妙な先入観を持たずに取り組むほうに学校側は期待したのだろう。残念ながらそれは外れた。
これ以降、西原先生の担当の数学、道徳の授業、ホームルームは荒れるのが常態となった。西原先生の姿を認めるとポニー君は後ろを向いたり机に突っ伏したりする。注意されると「わあああああーーーー」と大声を出して席を立ち走り回る。そうした様子を見て他の生徒は面白がって騒ぐ。ポニー君が平穏なとき(または欠席のとき)は、これまた私語の多いツッキーという女生徒がいて、西原先生に指されると「なんか用ですか」「今あんたと喋りたくない系でーす」などといって横や後ろに向かって喋り続ける(誰も相手にしないのだが)。ツッキーの場合、教師が注意しても大声でわめくことはないそうだ。「はあ?」「うぜえ」「黙れよ」と悪態ついてあとは無視する。ツッキーも娘にいわせると「最悪」だが、もっとよくないのはポニー君やツッキーの振る舞いに悪乗りして同じようなことをしたり言ったりするほかのクラスメートたちだ。歯止めの効かない集団を前にして、自分ひとりが何をどう思っても何ひとつ改善できない、その無力感にも苛まれたのだろう、ある夜娘は、泣きそうな顔で(でもけっして泣かずに)、ポツリと言った。
「教室では誰とも口きかへん。部活のためだけに学校行く」
6月の初めのことだった。二年生に進級して、わずか2か月あまり。

6月の第3日曜に行われた休日授業参観。娘のクラスは美術で、担当教師は私にとっては馴染みのない人だった。実技科目だったこともあるだろうが授業は終始和やかで生徒たちはみな楽しそうだった。この日を見る限り、クラスにはたいした問題などなさそうだった。北小時代からよく遊んだナカジ、リョータ、ダイスケらの顔もある。今でも私に愛想よく声をかけてくれる子どもたちだ。例の「天敵」△△ちゃんも、児童バスケットクラブ時代の仲間ミチルもいる。もちろん、このクラスになって初めて知り合って仲良しになった子もいる。そうした子らの母親たちとも会って挨拶し、話もした。母親たちの口から現在のクラスの問題など何も話題に上らなかった。もしかして、母親たちは知らないのではないか、クラスの様子を。

「今日の授業、みんな楽しそうやったやん」
「うん」
「どれが問題児なんかわからんかったよ」
「問題児が問題児になんのは西原先生のときだけやもん」
「そうなん?」
「ま、ツッキーはいつもうるさいし誰にでも同じ態度やけど、ポニー君は普段はおとなしいし。クラスはいつもざわついてるけど、ポニー君が静かやったらたいしたことはない」

そうかあ……そりゃ、辛いなあ西原先生……前途多難かも。
と思っていたら、まったく文字どおり、多難となったのであった。