ごめんなさいわたしが悪うございましたとひれ伏したくなる一節たち2010/03/23 18:14:48

『辰巳芳子 食の位置づけ ~そのはじまり~』
辰巳芳子著
東京書籍(2008年)


《「何をどう食べるか」と聞かれたとき、私はまず「風土に即して食べなさい」と答えます。日本の食文化は、この蒸し暑い日本の風土の中で生きていきやすいようにととのえられたものです。それは、旬の食材を食べるということに限りません。先人の知恵である出汁の使い方、さまざまな梅仕事、米ぬかの使い方、魚や肉の風干し、すり鉢でのすり仕事……。すべて風土的食方法でしょう。》82ページ

おっしゃるとおりでございます。

《日本人はもともと風土に根ざして、分をわきまえ、慎みのある生活をしてきたと思います。主食の米にしても、籾殻から藁まで使い切っていました。藁で縄を綯い、草履を作り、くたくたになった草履さえも堆肥として畑にまいていた。米ぬかはぬか床にしたり、野菜のアクを抜いたり、下ごしらえに使ったり、洗いものに使ったり。すべて無駄なく使い尽くしていました。合理的で、ものの「循環」と「平衡」を大切にする生活態度だったと思います。》70ページ

ははっ これまたそうだったのでございましょう。

《貝というのは、貝塚が全国にあり、『古事記』や『日本書紀』にいくつもの挿話が登場するように、古来日本人の食の要にあったものです。貝の成分は、脳の神経系の働きをよくするそうで、世界に誇る細かな手仕事から生まれた伝統工芸品の美しさ、それを感じる美意識、繊細な感性は、貝を食べることによって養われてきたともいわれます。それが食べられなくなった。産業発展のかげで海がひどく汚染されたからです。》79ページ

えーん。ごめんなさーい。

《ものは正直ですから、なくなるときはパッとなくなります。石川県の能登のほうで梅貝という貝が、ある日まったく獲れなくなったそうです。籠いっぱいの貝を調べたら、汚染の影響でほとんど両性具有になっていた。いちばん先に環境の変化を教えてくれるのは貝なんです。あさりにしても、三十年も前に「味が変わっちゃった」と母と嘆いたものです。それが、味が変わるどころか貝そのものがなくなってしまった。わたしたちはずっとそのことを意に介さずにきたんですね。なんということかと思います。》79ページ

ほんとうに、なんということかと思います。あああ。

《都会に住む人が自然に接する身近な機会は、自分の手で料理をつくることです。(中略)みんな忙しい、時間がない、と言う。(中略)本来性からずれたところに時間を消費している気がして仕方ありません。(中略)食べものをつくっていくといいと思う。風土に即した自然のもので食卓をととのえていくと、自己を掘り下げやすいと思うんですね。(中略)きちんとつくるべきようにつくるには、まず、ものの本質と向き合わなければならないからです。》90~91ページ

ううう。さようにござります。

《「つくる」と「つくらない」とでは大きな違いですが、「つくらない」と「つくれない」では、それ以上に大きな差があります。自分はどちらに属するか。》95ページ

ひえええええ。答えさせないでくださいましーーー

《よく考えていただきたいと思います。ただし、ここで考えていただきたいのは、料理をしさえすればいいわけではない、ということです。》95ページ

うぐぐ あがが   ごめんなさいごめんなさいごめんなさい

《夫婦でも、親子でも、兄弟でも、互いを思いやるってことは、ただ思っていればいいってもんじゃありません。愛っていうものは、やっぱり表現がなければ、ね。思っていればいい、感じていればいい、愛しているんだといっていれば愛が育つ、というわけにはいかない。愛っていうものは、人と人との「間」にあるもので、「中」にあるものじゃないですから。そこの理解が浅いから、みんな油断があるんです。》106ページ

ぐさっ ぐさっ ぐさささささっっっっっ

《分かち合いができるということは、とても幸せなこと。だから、ちょっとでいいから、食べものがつくれる方にみなさんがなっていただきたいと思うのです。愛する者に料理をつくれる時間は、長いようで短いのですから。》108ページ

うっうっうっえっえっえっ 悔い改めますぅーーー明日から出直しますぅーーーだから許してくださいぃーーーー