週の真ん中、真昼間だというのに(2) ― 2010/04/12 15:26:18
【電車に乗り合わせた白ヒゲ爺の巻】
外出先から快速列車に乗った午後。乗客はまばら。私は二人掛け座席の窓際に座り、通路側にどかっと鞄を置いた。
「ねえさん、すんまへん」
「え?」
こんなにがらがらなのに、他へ座れよ、と思ったが、その老紳士はどうしてもここへ座りたいんじゃといわんばかりに「すんまへん」を繰り返し、私が鞄をどけるやいなやその華奢な体を沈めた。真っ白いあごひげが細く細く伸びて、スラックスのベルトあたりに届きそうだ。その白いヒゲに比べて髪の毛は、薄いがけっこう黒々している。
「ねえさん、終点まで行かはりまっか」
「はい」
「そこのお生まれでっか。そうでっか、よろしいなあ、あの街は。わしは■■出身ですねんけど、引っ越しましてん。憧れてましてな。そやから今はねえさんと同じ街の住民でっせ。小さいアパートですけど、連れがしょっちゅう来ますねん。ほやから泊めたりますねん、気前よう泊めたったらね、その次来る時に手土産ぎょうさんもってきてくれよる。人に親切にしたら必ず返ってきますな。直接返しがのうても、めぐりめぐってなんかしら、返ってくるもんやさかい、人には親切にせなあきまへん。わしはねえ、独りもんですさかい誰に気兼ねもないし、気楽なもんですわ。なんで独りもんかいうたら、わしの嫁はんやった女はね、一番下の子がまだ二つの時に、○価○会の男とね、いや、わしら○価○会に入ってましたんや、その時。ありゃろくでもない宗教団体ですわ、そやけど最初は思てへんさかい、ええもんや思ていてましたけど、そんなんいうてたら嫁はんそこの男と朝帰りするようになりよって、わし、怒りましてん、どういうこっちゃねんお前小さい子が母親待っとるちゅうに男と朝帰りて、そらなんやねん、てね、一番下は二つでしてん、あ、一番下言いましたけど、子ども三人おりましてな、今はみな所帯もって独立してますけど、夫婦ふたりで必死こいてても、わしはサッシの会社、小さい会社やけどしてましてな、五人ほど人を雇うてな、朝から晩まで働きづめでしてん、ほんであんた、子ども三人いうたらたいへんですがな。そやのに朝帰りてなんですねん。ほんま。○価○会てね、そんなんばっかりでっせ。そん時にわしはすっぱり抜けました。ありゃあかん、ほんまにあかん。だいたい○価○会つうのは(中略)一番上の子が今45歳になったかなあ、そこの孫が二人、じいちゃんじいちゃんいうて遊びに来てくれます。可愛らしいもんですなあ、孫は。一番下の子のとこは、まだ小さいさかい親が来れる時でないと会えまへんけどね。なんやかんやいうて、しっかり社会人しとるさかいよかったんやけども、それがね、ねえさん、真ん中の子、娘ですけど、問題はこの娘でんがな。娘はね高校出てすぐにやーさんとひっつきましてな。ほれあの、▲▲組ですわ、いや、そこの系列の小さい組でっけどな、そこのろくでもないチンピラでしたんですわ、そやからね、縁切りましてん。すっぱりとね、切りましてん。んなもん、そうでっしゃろ、▲▲組のチンピラと親戚になれまっかいな。だいたい▲▲組やなんて(中略)わしは73になりましたけどな、今が人生花ですわ。年金暮らしやさかい細々したもんですけど、好きな時に食べて、飲んで、誰に遠慮もせんと、連れに会うて、孫に会うてね。桜きれいでんなあ、ほれ。ほんまよろしいわ、ああ、着きましたな終点、ねえさん、幸せでんなこの街住んで、わしもですわ。わっはっは。ねえさん、おおきに、おおきに、話聞いてくれはって、ほんまおおきに。おおきにでっせ、おおきに、おおきに、おおきに……」(と私の右手をいきなりとって両手で握ること約10秒間)
お気づきだろうか。私の発声は最初の「え?」と「はい」だけだったのである。快速が終点に到着するまでの18分間、白ヒゲ爺はあっけに取られる私の横で見事にその人生を語り終えたのであった。しかも大声で。他の乗客の白い視線を一身に浴びて、しかし何も感じないまま、その長い白ヒゲをなでながら。
なぜ、白ヒゲ爺は、他の乗客でなくこの私に語ろうと思ったのだろうか。
コメント
_ おさか ― 2010/04/14 13:37:10
_ midi ― 2010/04/14 20:36:48
(3)の続きも作って~♪
_ 儚い預言者 ― 2010/04/14 23:40:25
夢の続きに人は息を継ぐ。甘い香りの酸っぱさに心の行方を沈ませ、光の舞いに追い縋るように。猶予する時の合間の再び、まみえる夢の行方、直なる想いは消え、幻燈の照らす靄はいつも儚い。
とても同じとは気づかず、それゆえになお迷いを目指す。勢いの萎えは収まらず、美しい俯瞰が現われる前の夢の中、魂はときめいて、学びの前の勇躍にひれ伏すようだった。
あいのゆめ
かわらずときの
ひととゆめ
ひとときのまい
とわにながれて
非分離という非難と罪悪の円環を溶かす愛のなんと淡いことだろう。力という無限の実質には、全く透明である祈りがある。勘違いされた自由への憧れと怖れは死という虚無が潜んでいる。
永遠なるいのちという実質とは、「今」に生きるということ。それは過去の亡霊を断ち切り、未来に投影する死の夢を諦めることなのだ。
だが、真実は違う。幻が幻であるように、幻の中で生ききることが全てなのだ。なぜなら、不知と全知は愛の接着なしには、美しい旋律とハーモニーが現せられないからだ。
たったひとつのことだ。それはこの世は真実ではないが、幻がなければ真実を明かすこともできないと。
永遠のいのちに人は舞う。それは忘れても再び故郷に帰郷することを、愛は保証し、神の子としての輝きを薄いベールで覆っているだけなのを知っているからだ。
ただ「在る」。そして「為す」。果は「成る」。そして再び、ただ「在る」。
_ midi ― 2010/04/15 10:04:22
ふるさとはいいもんですけど、ふるさとを捨てざるを得なくて、移り住んだ場所がもしすごくよかったら、それはそれで幸せですよね。
>故郷に帰郷することを、
だめですよ、これ。「馬から落馬」とおんなじだよ。めっ
……
それもまた忘れかけたある日の午後。
信号待ちをしていると、後ろからねえさあん、と声がする。
何処かで聞いたような、と思い振り向くと同時に、キキーとブレーキの音が響き、今にも倒れんばかりに傾いた自転車と、そのすぐ足元にお爺さんが腰を抜かしていた。あごには真っ白な長いヒゲ。
「じじい、何ぼさっとしとんねん! ひくところやったやないか! 気いつけえや!」
自転車の若者は爺の無事を確かめると、ぷんぷん怒りながら走り去っていった。
気が進まないながらも放ってはおけず近寄ると、爺は満面の笑顔をこちらに向けた。助け起こそうと手を伸ばすと、まだ触れてもいないのに爺の体がすっと持ち上がった。
「まったく親父ときたら……飛び出したらあかんて、あれほど」
爺の両脇から見えるスーツの腕。やや地味だが仕立てがよさそうだ。左手の薬指にくっきりと、指輪の跡らしき白い線がついている。差し出した手を引っ込めるのも忘れてまじまじと見ていると彼は言った。
「もしかして……電車の中で隣り合わせた、というのは?」
「……え、ええ。でもずいぶん前で」
男性は背筋を伸ばすとにっこり笑い、深々とお辞儀をした。
「父から話は聞いております。その節はご迷惑をおかけしまして」
「何を仰います。私は何も」
「毎日毎日、話し続けていたんですよ、あなたのことを」
男性は顔を上げ、またにっこりと笑った。
……
妄想シリーズ:昼下がり(笑)