Toutes les grandes personnes ont d’abord été des enfants. (Mais peu d’entre elles s’en souviennent.)2011/05/25 18:16:29

私も、大人です。かつては子どもだった、大人です……
(このエントリのタイトルは『星の王子さま』冒頭から)

「日本の大人はどうしたのだろうか?」を繰り返す武田邦彦さん
http://takedanet.com/2011/05/110525_9881.html

↑ どこまでもお役所仕事しかしない連中を皮肉っている部分を抜粋すると:

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日本の大人はどうしたのだろうか?
被曝量の計算ができないことはないはずだ。文科省の役人は国家試験を通っているのだから、算数はできるはずだ。
また、いくら縦割り行政でも、同時に国民の一人だから、文科省の役人は農水省の基準を知っているはずだ。
だれも、子供を守ろうとしない? なぜだろうか?
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ほか、下記もご参照あれ。
http://takedanet.com/2011/05/post_741d.html
http://takedanet.com/2011/05/post_dd9a.html


「原発利権に群がる大人たち」(きっこさん)
http://kikko.cocolog-nifty.com/kikko/2011/05/post-0037.html

↑ 長い投稿文なので、きっこさんが最も怒っている部分を抜粋すると:

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(どっさり前略)1983年1月26日に、当時の敦賀市長だった高木孝一は、石川県羽咋郡志賀町で開催された「原発推進の講演会」で、こんな講演を行なってる。内橋克人著『原発への警鐘』(講談社文庫)から引用させていただく。

「原発と地域振興」

只今ご紹介頂きました敦賀市長、高木でございます。(がっつり中略)火葬場はボツボツ私も歳になってきたから、これも今、あのカネで計画しておる、といったようなことで、そりゃあもうまったくタナボタ式の街づくりが出来るんじゃなかろうか、と、そういうことで私は皆さんに(原発を)お薦めしたい。これは(私は)信念を持っとる、信念!

えー、その代わりに100年経って片輪が生まれてくるやら、50年後に生まれた子供が全部片輪になるやら、それはわかりませんよ。わかりませんけど、今の段階では(原発を)おやりになった方がよいのではなかろうか‥‥。こいうふうに思っております。どうもありがとうございました。(会場、大拍手)

※内橋克人著『原発への警鐘』(講談社文庫)より引用。


‥‥そんなワケで、当時の敦賀市長だった高木孝一が、「原発を造ればカネが儲かる」「電力会社はいくらでもカネを出してくれる」と得意満面に語るのは構わない。こんなこと、原発に限らず、道路だってダムだった基地だっておんなじ構図だからだ。だけど、あたしは、最後の部分だけは絶対にゆるせない!(すっぽり後略)
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きっこさん、中途半端に引用してごめんなさい。
皆さん、リンク先へ行ってきっこさんのレポート全文にお目通しください。

さらに、村松さんである。
蓑虫の話が延々と続いて挫折しそうになるけれど(笑)、最後までたどり着いてください。精神のバランスを確保できます。それよりこの投稿を読む時間の確保が先だけどね。
http://kokorogadaiji.jugem.jp/?eid=218

きっこさんとともに「怒髪天を突く」状態になった人に、とくにおすすめ。
(いちばん読んでほしい部分はこの引用箇所ではないんだけど、ま、いーや)

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(とんでもなく前略)
世の中にはいろいろな立場がある。
「カネが儲かることがいちばん大事」という立場もある。

「生命とカネとどちらが大事か?」
このように命とカネを対比すれば、誰でも命を選ぶ。
しかし、実情はさほど簡単ではない。
(中略)
僕らが抽象的に生命や自由を考えるときには、全くフリーハンドで価値の高低を決めるが、実際の場面では、見えない靭帯で世間と結びついている。
実際の場面では自分を支えている靭帯を捨て離脱して、新しい原理に移行することになる。受け皿は目に見えず、自分と家族を支えるにはあまりにも心もとなく見える。
僕らの目の前にあるのはそのような選択だ。
(中略)
原発事故は、あらゆるものがそのようなカネの靭帯と機械性のリンクで結びついていることを決定的に露出させてしまったのである。
政界、経済界、金融界、行政はもとより、マスメディア、広告、それにつながる言論、学界……それから教育。放射能汚染の土地から子どもたちを守る力がない。
(まだまだあるが後略)
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私はといえば、いつものことだが地震にも津波にも核にもなーんも関係ない原稿を締め切りに追われてせっせとせっせとせっせと書き続ける日々である。命より、金(仕事)。
とにかく、ひとりの人間としてどう振る舞うべきなのか、自問し続けている。