Pourquoi vous ne faites rien, comme ça? ― 2011/05/30 22:20:05
原子力発電というのは国家事業なので、実際に稼働しているのは営利最優先の私企業かもしれないけど、その企業活動を監視するのは国の責任だし、なんか起こったらしでかしたアホな子分(私企業)を叱り飛ばしてここは親分の出番だとばかりに指揮をとらにゃあイカンのだが、どうやら今回の場合、子分にとってのほんとうの親分は現政権じゃないからいうこときかないし、親分は親分で昔の元親分さんたちから仕事引き継がないうちにエラいことになって、しかも子分とのつきあいがないから会話してもらえないというありさま、てわけだ。ここまできても、まだ椅子取りゲームやるのかな? ナオトカンに国の将来なんて任せられない、そんなの、震災前からわかってることじゃん。じゃガッキーに任せる? 冗談でしょ。誰にも任せられない。同じ穴の狢だもん。そうじゃなくて、今国会で話し合うことってそれか? ちゃうやろ!
ああ、話が逸れた。この土日で私たちの街は台風が通過していったが、この台風上陸の報に、ホントに恐怖を覚えたよ。風は、静かに積もった塵や埃を吹き上げるでしょ? 放射性物質は無数の細かい塵や埃にくっついて、空中を浮遊しているし、地面や木々の葉っぱに乗ってるし、屋根にも壁にも積もっている。それが静かに堆積しているうちに拭き取ってかためて蓋しておく、それが鉄則。なのに、こんな非常時に限って梅雨入りは例年より早いし、台風は夏が来る前からガンガン発生するし。
どうやらみんなで寄ってたかってこの国を滅ぼそうとしているな。おい、地球。
話が逸れっぱなしだ。すまん。
国が何もやってないって話は武田先生が毎度の調子で愚痴っている。
「政府も少しは何かやってください」
http://takedanet.com/2011/05/110530_ef2d.html
ホント、国民の目の高さで見ればマジ「何もしてない」。
その最たるは「保安院」「原子力安全委員会」。なぜか両組織とも経産省管轄。ナオトカンは楽しそうにガイジンと喋りに行ってるし、枝野くんは毎日なんか喋ってるし、そらな、なあんもしてへんことないわな、そやな、そやけどな、そんなんなんもしてへんのといっしょやねん悪いけど。アマチュアトーデンに至っては、もうっそれやったら3年前にズっこけたアタシのクライアントのほうが組織としてまだましやったで、みたいな。
行動すべき人たちが何もしないから子どもを心配するごく真っ当な母親たちが右往左往しなくてはならない。
http://takedanet.com/2011/05/post_4a28.html
http://twitter.com/#!/gurukuru_pah
このたびのような大きな深刻な災いは、日本国民みんなが背負わなくてはならない。それはたしかにそうでございます。しかし、申し訳ないけど、放射性物質を分かち合う気はありませんのです。
問題は、本格的に私たちの街にも及ぼうとしています。
http://no-radioactive-waste.blogspot.com/
http://www47.atwiki.jp/tsunamiwaste/
http://onodekita.sblo.jp/article/45244519.html
あなたの街も、事情は同じでしょ?
我が家の食卓にはしょっちゅう焼き魚がのぼりますが、どこから来たお魚なのか、よく見て買わないといけませんね。
http://takedanet.com/2011/05/post_002e.html
こんなことならもっと地理と地学をよく勉強しておくのでした。
えーっと、書きたかったことは、そういうことではなくて、いつかこのブログでも少し述べたのだけど、
http://midi.asablo.jp/blog/2011/03/30/5765900
これほど甚大な災害を前にして、そしていつ自分の身にふりかかってくるやもしれぬ災いを憂いて、そして自分たちや子どもたちのことに思いを馳せるとき、夫婦の間で微妙な、あるいは明らかなズレや断絶を感じなかったかどうか。アエラの記事は統計にいくつかの夫婦への取材をからめて検証している。
多数派ではないけれど、震災を機に「コイツとは離婚だ」と思った人が少なくない。
なんか、とてもわかる。
私は夫婦もんではないけど。
ああ、このひとってこんなひとだったんだー……
ということがペリペリペリと薄皮剥くように心ならずも剥いてしまって、ああ、見なくていいものを見てしまった、みたいな。
それは夫婦間に限らず、友人、同僚、先生と生徒、先輩と後輩、上司と部下、ご近所同士、といった関係間にも現れる。
被災者のかたがたは当事者だから、かえって人との絆を強めたかもしれないが、被災地から遠くない関東圏では、そうした「気の持ちかた」の差からくる「すれ違い」がけっこう大きな問題なのではなかろうか。
私たちの街のようにとても遠くても、やはり、その人の、今回の諸問題の捉えようがモロ見えたとき、「え、そういう了見?」「え、その程度の認識?」なんて驚くことたびたび。「え、そんなことも知らないの?」「え、じゃあ、子どもたちのことはどうでもいいの?」……好感を持っていた相手でも、感覚のズレ、価値観の相違が決定的になってしまうとそれまでと同じようには見られないもんだ。浅い関係の他人に対しても、そんなふうにギクシャクした思いをもってしまうのに、まして、それが夫婦なら。
しかし、しかし。そういうのって、辛いんだろうか。離婚を決める人は辛いからそうするんだろう、もうこんなヤツのそばに居たくないと。でも「こんなヤツ」をうまい手綱捌きで動かす人もいる。むしろ、こんなヤツならもう執着しない、いつだって綱切ってやる、せいぜい今のうち働いてもらおう、みたいな気分にもなるのかも。
とくに、小さい子どもをもつ家庭の両親は、二人で意見を一致させて行動をとらないと……。だって、可愛い子の命と将来の生活にかかわることだから。可愛い子は深刻な病に陥るかもしれない。そうなったとき、責任転嫁せず手を携えて子どものために共闘できるか。
若い親たちに、踏ん張れ、頑張れと祈らずにはいられないのである。