ポートタワー。
小松左京著
ハルキ文庫(角川春樹事務所/1998年)
神戸へ行ってきた。
小松左京は神戸の人なんだそうだ。本書が草刈正雄とオリヴィア・ハッセイ主演で映画化されたとき私は高校生で、たしかバスケット部で仲良しだったよしえちゃんと観にいった。
昼間昇ったタワーがライトアップされた。ベイエリアのレストランの窓から。
伝染病のせいで人類が破滅に向かう話だ。ウイルスに感染した人がどんどん死んでいく。死体からも感染するのでどんどん焼却する。遺体が山と築かれてそれをまとめてバーナーで焼き尽くすシーンが気持ち悪かったことをよく覚えている。ウイルスを密封してある試験管が誤って山中に投げ出されて、その中身が一気に拡散して感染が広がって、人々をパニックに陥れるさままでは、よく描かれていたように思う。人類がほぼ死滅して、南極にいたわずかな人々だけが生き残り、さらには核爆弾の乱発とか、草刈正雄がオリヴィア・ハッセイのもとまで戻る道程とか、そのあたりがつまらなかった。つまり、よかったのは物語の序章だけでおおかたがダメだったということだ。スケールの大きい話でたいそうな俳優陣を起用していたように思うが、シナリオと編集がマズかったんじゃなかろうか。当時の私はただただ映画が大好きな子どもだったが、今よりはずっとハイペースに劇場へ足を運んでいたので、今よりはずっと映画作品を観る目が肥えていたんじゃないかと思う。今あの『復活の日』を観たら、ノスタルジーも手伝ってけっこう楽しめるんじゃないだろうかとも思う。
翌日は北野へ。
映画を観て何年もあとになって、小説『復活の日』を読んだ。当ブログレギュラーメンバーのみなさんはご存じだが、私はあまりSF小説は読まない。普通の小説も読まないけど。その全著作を余すところなく読むほどに愛した作家は横溝正史だけだ。ご想像いただけるかと思うが小松左京がいかに大作家でも、私はほとんど見向きもしなかったのである。『復活の日』を手にしたのは図書館で、たまたま、ホントにたまたま目に入ったから、というだけだった。ただ懐かしくて、それと、スクリーンで観たバーナーのシーンと、看護婦が患者とボートで沖へ出るシーンが不思議とリアルに思い出されて、あの駄作の原作はいったいどんな小説なのかという興味がにわかに湧いたのだった。
モーツァルトが考案したと伝わる黒鍵と白鍵を逆にしたピアノ。ピアニストの指を美しく見せるためだとか。
そのときからまた、何年も何年も経った。最近初めて知ったのだが、小松左京が本作を執筆したのは1964年だそうだ。誰かさんの生まれ年じゃないか(笑)。本作が書かれてからいくつもの年月が流れて、神戸が震災に見舞われ、その記憶も褪せないうちに東北が震災に見舞われた。小松左京は『日本沈没』という作品も書いている(もちろん私は読んでいないが)。描かれてきたのはあくまで虚構だったはずだが、確実に、この国は、沈もうとしている。ただ、日本が沈んで、世界中が核に汚染されても、生き残りたちがこの星を復活させることだろう。本作のほうはそういうふうに希望を持たせる内容だったと覚えている。
最近読み直したわけでもないのだが、神戸へ久しぶりに出向いて、若い時に観たさまざまな観光名所を娘とともに再び訪ねて、なぜか小松左京と『復活の日』を思い出したのである。
どこかな? 異国情緒が売りの神戸だけど、ここだけ見るとほんとに日本じゃないみたい。私はマントンを思い出したよ。ああ、古い記憶。