Les papiers du chocolats2012/06/16 05:50:45

母と娘への土産には細かい小物を目につくたびちょこちょこと買った。エコバッグだったり巾着袋だったりストラップだったり……。でもこのチョコレートがいちばん「どこで買ってきたか」が相手に対して判然として、お土産らしかった(笑)。
3人で分けていただきました。ごちそうさま。


『対談 世流に逆らう』
佐伯快勝×アレックス・カー
北星社(2012年6月)


発売されたばかりの本である。
コンパクトなソフトカバーでさほど分厚くなく、読みやすい体裁に仕上がっている。……と、そんなことを言うのも、勤務先の上司が部分的に編集にかかわっていたので、私としてはできあがるのをこっそり楽しみにしていたのだ。上司が取材をしていたのは昨秋のことなので、もっと本当のことをいえば、すっかり忘れてたんだけど。へへへ。

一瞬、なんだこりゃ、みたいな表紙だが、めくって読み進むと、とても穏やかな気分になる。先へ進みたくなる。平易な言葉でかなり深遠なことを語り合っておられるのだが、とにかく飽きずに読み進みたくなる。なかなか構成も工夫されている。

佐伯快勝さんというのは浄瑠璃寺のご住職である。アレックス・カーさんというのは東洋文化研究家という肩書きで紹介されているが、私たちのまちでは「町家再生プロジェクト仕掛け人」という印象が強い。同時に、書家である。わりと普通の(といってはなんだが)、よい書の作品を創っている人だと私は思う。書の作品というのは「何て書いてあるのか」が一見して鑑賞者に伝わらなければ意味がないと思っているのだが、何が書いてあるのかわからない書をしたためる書家というのがちょいニョキニョキとはびこってきているのではなかろうかと憂えたりする私である(そういう売れっ子書家に友人がいるんだが、なんだかなー、なんである。ま、いい子だから許している。笑)。

歳をとったということなんだろうか、最近、坊様の言葉に弱いのである(笑)。我が家の菩提寺の坊さんのいうことなんか全然心に響かないんだけど。
有名無名を問わずよく僧侶が新聞でコラムを担当していたり、何かとコメントしていたり、とにかくその思想が活字になって紹介されることの多い私たちのまちでは、はっきりいって(税金も払わないくせにさ)いささか小うるさく感じるのである。宗教嫌いも手伝って、若いときから坊主の書いたもん・いうたことには近づかないようにしてきたが、ここ数年、ほとけさまに近づいてきたんだろうか(笑)、なんの抵抗もなく、彼らの説法を聞いたり、仏の教えにまつわるさまざまなことに耳を傾けたり、そうした類の本を読んだりしている。仕事で神社仏閣を取材する機会が多いことも一因かもしれないと思ってみたが、30歳前からこういう仕事で大小ピンきりの神社仏閣を見てきたはずだが、40代半ばを過ぎるまで、どんな寺院を見ても「だからなんなのよ」的な気持ちが自分の中では支配的だった。まあね、言い訳だけどさ、掃いて捨てるほど神社もお寺もあるわけよ。いちいち感動してられないのよ。
でも、ほんとに、ここ数年は、訪問した場所の土の匂い、祠や社の褪せた木の色、お話しくださる僧侶の言葉が、身に沁みる。

そんなわけで、これは、たいへん身に沁みる、よい本である。

《犠牲を出すことも致し方なしとする西洋の思想と、犠牲を出さずに誰もが救われないといけないとする日本の思想の違い(中略)助かるなら皆で助かる。犠牲になるなら皆で犠牲になる。今こそ、そういう発想が大切なのではないか(中略)しかし、今の日本には、一部の犠牲は仕方がないという考え方の人のほうが多くなってきているんですね。それこそ、今度の原発の問題で如実に現れたんとちがいますか。仏教では皆が助からないと意味がないんです。》(佐伯快勝さん、67~68ページ)

《例えば旅行者が京都市内の大型ホテルに泊まるとして、その中に「京都」が表現されているでしょうか。(中略)京都の観光というのは、京都文化のすばらしさを訴えるというのが本来だと思いますが(中略)海外の客なら、何でわざわざ京都まで来て大理石を敷き詰めたヨーロッパ風のロビーに迎えてもらわないといけないのか、と思うに決まっていますよ。》(アレックス・カーさん、84~85ページ)

《人間の力では及ばんものがあるのやと誰もが改めて気づいたのではないでしょうか。その意味で、人類がちょっと立ち止まる転換期が来たことの知らせかもしれないと思っています。
 これからもっと厳しいことが次々起こる可能性もあります。そのときに、犠牲を前提に救済するのか、全部助からないと意味がないんだという覚悟でやるのか(中略)これだけの災害にあったんですから、みんなが助からなあかんという発想が、もうちょっと幅を利かせるようにならないと大嘘やと(中略)地球上に生命が発生するまでにも何十億年とかかっていますね。(中略)やっと海にも陸にも生命が棲めるようになった。生命が棲める地球の環境というのは、これは言わば、お金の話で言うたら元金なんです。元金という財産は地球がコツコツ創り上げ、貯め込んできたもんなんです。ですから、元金から生まれた生命はその利息で食っていかんならんのです。(中略)人間だけが異常繁殖してくるちゅうのは、元金にまで手を付けた、ちゅうことです。(中略)元金を崩したら、しばらくは大した贅沢ができますわな。(中略)その辺の人間の横着さに目を覚まさせるために、自然界が警告を出したということではないでしょうか。世流には逆らわないといけないが、大自然の仕組みに逆らってはいかんのです。》(佐伯快勝さん、88~89ページ)


化石燃料である石油や石炭を掘り出しそれを燃料に発電するのは環境破壊だが原子力発電はクリーンだ。そんな阿呆な理屈が通らないことは、もう日本人は痛いほど思い知らされたのであるが、原子力発電がクリーンでないのは、「事故が起こったら放射能が漏れるから」ではないのだ、ほんとは。

普通に稼働されるだけで、そこには「核のゴミ」が蓄積される。この先いったいどうすりゃいいのか誰も思いつかないし処理できないゴミをとりあえず「蓋をして見なかったことにしておく」。いったい、いつまでそうやってるつもりなのか。深~く埋めといたら当面は大丈夫っていうその当面はいつまでなのさ。

普通に稼働されるだけで、近海の水温を上昇させる。古来棲んでいた貝や魚は当の昔に姿を消し、いるはずのない外来種がこれはしたりと棲みついて生態系を変えているが、それは長期間の変化であるため、地球温暖化という隠れ蓑がうまく使われて議論にすらならない。
日本の漁師はもっともっと声を挙げないとイカンとつねづね思っている。

声を挙げなきゃいかんのは、もちろん、漁師だけじゃないけどね。

安全だから動かしてもいい、なんつうもんでは、ないねんってゆーてるやんか。ってもっといわなイカンね。


えー、もとい。
引用した部分は若干タイムリーな話題になっていたところなんだけど、もっと、浄土のこと、阿弥陀様のこと、境内の野草のこと、湧き水のこと、瑠璃色のこと、ココロにぐわんぐわん響くお話がたくさんある。浄瑠璃寺はとても不便なところにあり、そのためにこれまでぜんぜん足を向ける機会がなかったのだが、なんとしても行かなくてはならない。

そして、まだ日本のどこかに、このような奇跡の名勝が残っているのかもしれない、それなら何がなんでも保護してほしいし、ぜひ訪ねたい。

そのように思わせてくれる一冊である。
正直言うと、カバーデザインはイマイチ(笑)。
でも、よい本であるぞよ。