A lire!2012/07/21 10:24:08

『ヒマラヤを越える子供たち』
マリア・ブルーメンクロン著
堀込-ゲッテ由子訳
小学館(2012年)


初めてヨーロッパを訪れた最初の一日をパリで過ごした後、私は夜行列車に乗ってミュンヘンへ向かった。その前年の中国旅行で知り合ったドイツ人を訪ねるのが目的だった。
そのドイツ人二人連れは、昆明から成都に向かう列車の中で通路に座っていた私と弟に「あっちに座席見つけたよ」と頼みもしないのに空席を確保してくれたのだった。そして弟に、「君ひとりならほっとくんだけど女の子を通路に座らせてはおけないからな」と、ラッキーだったな姉ちゃんと一緒でと言い捨てて行ったのだった。おかげで私と弟は長距離を座って過ごすことができ、また向かいの席に乗り合わせた愉快なおばちゃんたちとの会話も楽しめて(その話はまた次の機会に)、余裕を持って列車の旅を楽しんだのだった。
昆明のドミトリーで、私の弟はそのドイツ人二人にすでに会っていた。昆明に到着するやいなや弟は体調を崩して喉を腫らして熱を出してしまった。失意の弟に姉の私は「じゃ、あたしひとりで観光してくるね」と冷たくお気楽に言い放って彼をひとり宿に残してずっと出かけていたのである。ドミトリーの大部屋は男女の別なく放り込まれたのでそこには国籍はもちろん組み合わせの不明な男女がごちゃごちゃと、たしかベッド数は12だったが、泊まっていた。私たち二人も他者からみれば「不明な」男女だった。ようやく起き上がれて洗面所で顔を洗っていた弟に、くだんのドイツ人のひとりが「彼女はどこに行ったの」と声をかけた。弟はきょとんとして、ひと呼吸おいて「あ、マイシスターのこと?」と聞き返すとドイツ人はとても嬉しそうな顔で「妹さんなの?」と聞いた。「いや、姉だよ」「あ、そう!」

到着した成都に、まともなホテルは1軒しかなく、ツインを頼むと結構高い値段を吹っかけられた。昆明のドミトリーはよかったなあ、あんな宿はここにはないのだろうか。と思っていると、例のドイツ人二人がレセプションにやってきて、「僕たち友達だから一緒に泊まるよ。4人部屋はない?」と私たちに断りもせず交渉を始めた。内ひとりは片言ながら中国語を話していた。「ベッドが3つの部屋しか空き部屋は……」「そこでいいよ、ひとりは床で寝るから」「そんなわけには参りません、簡易ベッドを入れます」「俺、190cmあるけどそれに寝られるかい?」「いやその……小柄な方にお使いいただくほうが……」(と、私をチラ見するホテルマン)
なんていう会話を経て、ツインに泊まるよりはずっと割安な宿泊代が実現した。
そんなわけで、彼らとすっかり友達になり、住所の交換もした。成都からさらに西方の奥へ向かうという彼らとは成都で別れ、私たちは重慶へ向かった。その後、長い中国旅行を終えた彼らは、ひとりはドイツへ帰国し、ひとりは日本へ来た。そのとき、京都の私たちを訪ねてくれた。そしてヨーロッパへ来たらぜひミュンヘンの僕の家を訪ねてねと言い残して去ったのである。

私は翌年、東欧旅行を企てた。例外は、発着地に選んだパリと、ロートレックの故郷アルビ、憧れだったコペンハーゲン、そしてミュンヘン。西側で訪れるのはこれらの都市だけと決めて、まずはミュンヘンの例のドイツ人の家を訪ねようと、彼の書いたメモを頼りに住所を探した。そこは意外とすぐに見つかった。玄関に出てきた若い女性に、片言の英語で、そのドイツ人の名前を言った。しかし若い女性は首を傾げて、いったん引っ込んで、また出てきたと思ったらそれはさっきと背格好の全然違う若い日本人女性だった。
「日本の方? ここに何か用?」
「あ、あのー……この人、ここに住んでいますよね?」とドイツ人の手紙を見せる私。
「はーん……これはたしかにヤツの字だね。どうぞ、お入りください」
「この人、ここに住んでますよね?」
「住んでるけど、寮費も払わないで転がり込んでるだけなのよ」
「寮費?」
「ここ、大学の学生寮なの。私は学生だからここに住んでる。彼はね、私の部屋に転がり込んでいるだけなのよ」

案内されて入った部屋には、くだんのドイツ人がいた。
「ハーイ、チョーコ。やっぱり君だったんだ」
ハーイって……アンタまるで自分の持ち家の住所みたいに書いてたやんかー。そのお気楽な表情は何よ、私は旅の予定を全部書いて送っといたでしょうに。
と、思ったけどそんなことを言い募る英語力はなく。

「前にもね、旅先で彼がナンパした日本人の女の子がここまで来たのよ、彼の恋人気取りでさ。あたし、頭来ちゃって、お前誰だとっとと帰れって言って追い返したことがあるのよ。で、今日もまた日本人の女の子が来てるよって友達が知らせにくるから彼を今問い詰めてたところよ」(笑)

私がそのドイツ人彼氏となんでもないとわかると、彼女はとてもフレンドリーになり、私たちは時間を忘れて話し込んだ、ドイツ人をほったらかしにして。互いの出身や専攻のこと、ヨーロッパが好きなわけなど……。思いがけず、のちに生涯の友となる女性に出会った瞬間だった。





本書『ヒマラヤを越える子供たち』を、私はまだ読んでいない。だが中身を読まずともそのタイトルだけで、壮絶さが伝わろうというもんである。なぜ、越えなくてはならないのか。本書には、ヒマラヤ越えの苛酷さと、それでも越えなくてはならないほどかの地の理不尽な生活が、明らかにされている。

ぜひ、お買い求めください。そしてじっくりと、読んでください。私もこれから読みます。読んだらまた報告いたします。

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