Under 40! Debat interdit aux plus de quarante ans?2012/07/19 19:55:03

若い頃東北のあちこちをよく旅した。ちょっと寂れた民宿に泊まるのが好きだった。あるいはチョーお洒落なペンションに泊まったりもした。海も山も草原も、町も人も、東北は素敵だ。かつて旅先で言葉を交わしたあの人この人。確かめようもないけれど、どうか無事でいてと、ただただずっとずっと祈っている。昔の勤務先の同僚で、東北支社に赴任したKちゃんの行方も私には知りようがない。取引先の営業マンで実家を完膚なきまでに流されたS君とか、ご存じよっぱさんとか、被災地で地道な闘いを続けている人や、闘えなくて力尽きそうになっている人たちを忘れてはいけない。でしょ?

で、今日のめっけもの。
面白い、これ(笑)。とてもいいセンいっている。

★★★

デモや集会などの社会運動は本当に脱原発を後押しするか?
開沼 博「“燃料”がなくなったら、今の反原発運動はしぼんでいく」
週プレNEWS 7月19日(木)6時20分配信


昨年3月の東日本大震災よりずっと前、2006年から「原発を通した戦後日本社会論」をテーマとして福島原発周辺地域を研究対象に活動してきた、同県いわき市出身の社会学者・開沼(かいぬま)博氏。著書『「フクシマ」論』では、原発を通して、日本の戦後成長がいかに「中央と地方」の一方的な関係性に依存してきたか、そして社会がいかにそれを「忘却」してきたかを考察している。


原発立地地域のリアルな姿を知るからこそ感じる、現在の脱原発運動に対する苛立ち。「今のままでは脱原発は果たせない」と強い口調で語る開沼氏に話を聞いた。

***

■社会システムの“代替案”をいかに提示するか

――昨年の早い段階から、「原発はなし崩し的に再稼働される」と“予言”していましたよね。なぜ、そう考えたのでしょう?

開沼  まず理解しておくべきなのは、現代の日本の社会システムは精密機械のように複雑だということ。もっとシンプルなシステムなら、比較的容易に原発の代替手段を見つけられたでしょう。
しかし、今の社会はシステムからひとつ部品を外せば、多くの人の生活と生命にその悪影響が出るようにできている。もちろん原発にしても然り、です。そのなかで現実的に何ができるか、時間をかけて議論していくしかない。にもかかわらず、それができていない。

――開沼さんは、原発立地地域での反対運動にも懐疑的ですね。

開沼  他地域から立地地域に来て抗議する人たちは、言ってしまえば「騒ぐだけ騒いで帰る人たち」です。震災前からそう。バスで乗りつけてきて、「ここは汚染されている!」「森、水、土地を返せ!」と叫んで練り歩く。
農作業中のおばあちゃんに「そこは危険だ、そんな作物食べちゃダメだ」とメガホンで恫喝(どうかつ)する。その上、「ここで生きる人のために!」とか言っちゃう。ひととおりやって満足したら、弁当食べて「お疲れさまでした」と帰る。地元の人は、「こいつら何しに来てるんだ」と、あぜんとする。

――1980年代にも、チェルノブイリの事故をきっかけに、日本でも大規模な反原発運動が起こりました。

開沼  あの運動は、時間の経過とともにしぼんでいきました。理由はいろいろあります。あれだけやっても政治が動かなかったこともあれば、現実離れした陰謀論者が現れて、普通の人が冷めたこともある。そして今も同じことが反復されています。「原発は悪」と決めつけてそれに見合う都合のいい証拠を集めるだけではなく、もっと見るべきものを見て、聞くべき話を聞くべきです。

――日本で起きた事故が発端という点は当時と違いますが、現象としては同じだと。

開沼  僕は今の運動の参加者にもかなりインタビューしていますが、80年代の運動の経験者も少なくない。彼らは、過去の“失敗”をわかった上で「それでもやる」と言う。「あのときにやりきれなかった」という後悔の念が強いのでしょう。そういった年配の方が「二度と後悔したくない」とデモをし、署名を集めようと決断する。それはそれで敬服します。
でも、そのような経験を持たぬ者は、まず「自分は原発について真剣に考え始めたばかりだ」ということを自覚して、歴史を学び、なぜ3・11以後も日本が原発を選び続けるのか学ぶべきです。この運動は、このままでは近い将来にしぼんでいく。すでに“反原発マインド”を喚起するようなネタ―「大飯の再稼働」「福島第一原発4号機が崩れる」といった“燃料”が常に投下され続けない限り、維持できなくなっている。

――それがなくなったら、しぼむしかない。

開沼  3・11を経ても、複雑な社会システムは何も変わっていない。事実、立地地域では原発容認派候補が勝ち続け、政府・財界も姿勢を変えていない。それでも「一度は全原発が止まった!」と針小棒大に成果を叫び、喝采する。「代替案など出さなくていい」とか「集まって歩くだけでいい」とか、アツくてロマンチックなお話ですが、しょうもない開き直りをしている場合ではないんです。
批判に対しては「確かにそうだな」と謙虚に地道に思考を積み重ねるしか、今の状況を打開する方法はない。「脱原発派のなかでおかしな人はごく一部で、そうじゃない人が大多数」というなら、まともな人間がおかしな人間を徹底的に批判すべき。にもかかわらず、「批判を許さぬ論理」の強化に本来冷静そうな人まで加担しているのは残念なことです。
そして、それ以上の問題は「震災」が完全に忘却されていること。東北の太平洋側の復興、がれき処理や仮設住宅の問題も、「なんでこんなに時間がかかるのか」と、被災地の方たちは口々に言います。原発の再稼働反対にはあんなに熱心なのに、誰もそこに手を差し伸べない。「再稼働反対」しても、被災地のためにはならない。

――確かにそうですね……。

開沼  先日、フェイスブック上で象徴的なやりとりを見ました。警戒区域内に一時帰宅した住民の方が自殺してしまった。その町の職員の方の「今後はこのようなことがないよう頑張ります」という内容の書き込みに対して、ある人が「これでも政府は大飯原発を再稼働するのか」とコメントした。職員の方は「怒ったり、大きな声を出すエネルギーを被災地に向けてください」と訴えました。救える命だってあったはずなのに、議論の的が外れ続けている。

――先ほど「歴史を学ぶべき」という言葉がありましたが、では、デモや怒りの声を上げる以外に何ができるでしょうか。

開沼  原発ありきで成り立っている社会システムの“代替案”をいかに提示するか。どうやって政治家や行政関係者、そして原発立地地域の住民に話を聞いてもらうか。少なくとも今の形では、まったく聞いてもらえない状況が続いているわけですから。
かなり高度な知識を踏まえて政策を考えている団体は少なからずあります。自分で勉強して、そういうところに参加したり、金銭面でサポートしたり。もちろん新しい団体をつくったっていい。「代替案がなくても、集まって大声出せば日本は変わる」と信じたいなら、ずっとそうしていればいいと思いますが。

――確かに、現状では建設的な議論は一向に進んでいません。

開沼  もちろん解決の糸口はあります。例えば、ある程度以上の世代の“専門家”は、原発推進にしろ反対にしろ、ポジションがガチガチに固まってしまっている。これは宗教対立みたいなもので、議論するほど膠着(こうちゃく)するばかりです。そりゃ、「今すぐ脱原発できる、するぞ」とステキなことを言えば、今は脚光を浴びるかもしれない。でも、それができないと思っている人がいるから事態は動かない。立場の違う人とも真摯に向き合わないと何も生み出せません。
若い世代が、その非生産的な泥沼に自ら向かう必要はない。一定のポジションに入れば安心はできます。「みんな脱原発だよね」と共同性を確認し合えば気分はいい。でも、本当に変えたいと思うなら、孤独を恐れず批判を受けながら、現実的かつ長期的に有効な解を追究しなければ。

――世代による“線引き”もひとつの解決策だと。

開沼  僕は原発推進派と呼ばれる人、反対派と呼ばれる人、双方の若手の専門家を知っていますが、ある程度のところまでは冷静かつ生産的な議論が積み重なるんですよ。ここまでは共有できるけど、ここからは意見が分かれるよね、と。例えば「アンダー40歳限定」で集まれば、そこから先をどうするかという建設的な話ができる。僕はそれを身近で見ているから、実はあまり悲観していないんです。

―アンダー40の若手原発討論。それ、週プレでやりたいです。

開沼  面白いと思います。売れるかどうかはわかりませんが(笑)。そういうオープンな議論の試みから現実的な変化が始まります。

(取材・文/コバタカヒト 撮影/高橋定敬)

●開沼 博(かいぬま・ひろし)
1984年生まれ、福島県出身。福島大学特任研究員。東京大学大学院学際情報学府博士課程在籍。専攻は社会学。著書に『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』(青土社)、『地方の論理 フクシマから考える日本の未来』(青土社・佐藤栄佐久氏との共著)などがある

★★★

「アンダー40歳限定」(笑)そうだよ君たちの時代だ。ほんとうにそうだよ。頼むよ。戦争も原爆も知らない世代の、子どもたち。チェルノブイリの事故が起きてから生まれた子どもたち。君たちだからこそできる議論があるはずで、だからこそひねり出せるアイデアもあるはずだ。

でも、だからって、ジジイもババアも、声を挙げるのを、思考するのを、やめないぞ。
若ぇもんに疎まれるってのは年寄りの宿命でい。
そらなんぼ気張ってもそこはしゃあないけど、ウチらかて伊達に年輪、増やしてへんねんよ。

それにしても、とんでもない課題を次世代に残してしまうんだなとつくづく思う。これに立ち向かえる人間を全然育ててこなかったこの国の、破綻しきってしまった教育が、今になって、本当に心底、恨めしい。

コメント

_ よっぱ ― 2012/07/25 18:27:41

闘ってなどおらず、日々だらだらと生きておりますよっぱです。

暑中お見舞い申し上げます。

原発については、あまり(いや全く)詳しくないので何の発言もありませんでしたが、自分なりの考えというのはボンヤリとあります。
ただ、最近の原発反対について思う事は、ただヒステリックにダメだ悪だと叫んでいても、推進派(というか体制)は構わず進んでいくであろうという事で、これは消費税についても、高速道路の云々も、ガソリンにかかっていたなんだかよく分からない埋蔵金扱いされていた多額の税金も、政党助成金もあれもこれも、新しい新幹線なんかも全部同じなのではないかと思うのです。

その点、この開沼さんの言う事は至極もっともで納得できます。

あれから約1年半近くも経って、被災地っていうのはもう忘れられかけていて、視聴率にも票にもなりにくくなったから、消費税や原発なんかを話題にするのが一番。と思っていたら次々に災害も… ってことになってきているんじゃないかということ。

そうでないことを祈りたいですね。

う~ん、なんだかまとまらないお話で申し訳ありません。

_ midi ― 2012/07/26 20:03:44

よっぱさん、ご来訪ありがとうございます。
暑中お見舞い申し上げます。

東北旅行はいつも夏でした。民宿や、土産物屋さん、観光名所各地で「暑いでしょう」といわれるたびに「ちっとも暑くありません。京都はもっと暑いんです」と答えると、決まって「京都はそんなに暑いんですか。みんな涼しい顔して着物きとるのに」なんていわれたものです。いえいえ、誰も着物なんてきちょりませんてば(笑)。
もう少し自分の生活が落ち着いたら、また大好きな東北各地再訪の旅に出かけようと思います。


例のオスプレイっていう危険なヘリコプターもどきの強行搬入で、わかっていたけど自覚しているつもりだったけど、日本は米国の植民地なんだって現実を突きつけられて、いささか悲しかったね。
ま、そういうわけだから、原子力発電からは逃げられないですね。米国では原発産業が行き詰まっているから、代わりにやったげないと。宗主国様がご機嫌斜めになっちゃうのは避けないとね。現在の政権与党がどれであってもソーリダイジンが誰であっても、大前提として植民地なんだし、ここは。自民党が頑張ってきた成果がモノをいっているわけです。

私は、とてもとても個人的な理由から長年反核と脱原発を胸に抱いてきました。東海村とか六ヶ所村とかもんじゅとか、もうやめようよほんとにさあ、と思い続けてきました。思ってただけで何も行動はしませんでしたが(今もしてないけど)。

今回のような大事故が自分の国で起こる可能性については、文献によってもたらされるイマジネーションの域を越えてませんでした。
本当に起こってしまって、じつは未だにショックから立ち直れない。それは先に言った個人的理由にかかわるからで、勝手なことを、極端なことを申し上げれば被災者の皆さんとは関係がないのです。

ごくごく私的な理由で、私は、いま原発と共存している事実に耐えられず心が押し潰されそうになります。

私のこの感情は日本社会の現状や山積している問題とも、関係がありません。

このように、立ち位置は人それぞれ異なります。ある分野の専門家がその見解から反対を主張する、一般の人がなんとなく勢いでダツゲンパーツと唱える。その踏み台の在りようはどうであれ、「気持ち」がそうであるなら「原発はもうやめよう」と言い続けなければいけないでしょう。今まで、誰も、とくに一般の反対者は言わなかったんです。だって、場が白けるから。でも今は、ちゃんと議論できる土俵ができました。あのような大事故を起こしてしまった、事の大きさにようやく覚醒したから、にせよ。

原子力発電については、叡智を結集して現存原子炉を廃していく方向に持っていってもらいたいと思います。それは何年も何十年もかかります、きっと。そのあいだにきっと代替案は見つかります。ちなみに私はあの美しくない太陽光発電パネルや、けったいな扇風機を野原や海原にいっぱい立てる風力発電なんかは誰かが早く「これは無理」と結論づけて中止して、とっととほかの方法を探してほしいと思ってます(それはそれで気の遠くなるようなゴミが出るけどなあ)。
たぶん、誰かが何かを思いついて何かが実用化されるでしょう。ここまで好き勝手にいろんなものを生み出してきた人間に、いまさらできないことなどあるでしょうか。

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