C'est le vrai art de vivre!2012/09/06 20:09:05



『暮らしに生きる刺し子―鈴木満子コレクションから』
鈴木満子、林ことみ共著
文化出版局(2005年)


学生時代から駆け出し社会人の頃にかけて、何度も東北へ旅をしたが、とりわけ津軽がお気に入りだった。いつも同じ民宿に泊まって、そこを足場にある年は東へある年は西へ南へと、東北各県のあちこちを訪ねた。なぜそんなに津軽が好きだったかというと、大きな理由が三つある。(1)城下町の名残があって、古くさいまちの住民である私には大変落ち着く空気をまちが持っている。(2)有名なねぷた祭りは、弘前のそれは青森のねぶた祭りの勇壮さと対照的にたいへんエレガントで、これも私の土着的背景と一致して心地よい。(3)子どもの頃から手芸好きだったが、雑誌などで「こぎん刺し」なるものを発見して以来、その産地を訪ねることが当時の私の大目標であった。

記憶がもう曖昧だが、弘前にはこぎん刺し作品を展示販売しているような民俗館みたいな施設がたしか存在して、そういう場所で、むかしむかしのこぎん刺しの袢纏(はんてん)など防寒着、仕事着を見た。厳しい冬を越すために、また農作業をはじめ重労働にいそしむため、民は、貴重な布で仕立てた仕事着が一日でも長く保(も)つように、その身頃や肩やひじの部分を丁寧に刺して補強した。なおかつそれは意匠としても非常に優れていた。むかしのこと、誰かが起こした図案集があるわけではない。女たちは、布の織り目の規則正しい繰り返しに沿って運針した。昔の女たちには針と糸を持つことは特別なことでもなんでもない。針に糸を通し布に刺し始めたら、夫の働く背中を思い浮かべてどんな模様に刺していけばカッコいいか簡単に絵が浮かんだであろう。どこで糸を引っ張り、どこで緩めれば、刺した柄に緩急がついて表情豊かになるかとか、空気の層ができて防寒効果が上がるかとか、そんなことは幾針も幾針も刺し続けるうちに手と体が覚えていったに違いない。現代人はスマホのアプリの操作はわけなくマスターする。新しい技術、新しい機種が押し寄せてもものともせず使いこなしてゆく。しかし自分がゼロから何かを生み出せるかというと、それをする人間はたいへん少数の、ごく一部の突出して優れた能力を持つ人だけに許される特権的行為となってしまった。突出した一部の者たちによるテクノロジーの洪水をただ享受するだけの私たち。むかしむかし、刺し子の腕を磨くには何年もかかっただろうが、ひとたび刺し子を覚えた女たちは、自分だけの図案を生み自分にしか刺せない着物を刺して、愛する者たちに着せ、愛された者たちは世界でたったひとつの刺し子の仕事着を何年も何年も愛用した。男も女も、子どもも老人も皆が、モノをつくる人であると同時に使い続ける人であった。

私はこぎん刺しのふるさと津軽を幾度も訪れたが、ため息が出るような手仕事の素晴らしさを眺めるだけで、その作品を買うことはできなかった(当時の私には高価すぎた)。たったひとつだけ買ったのが名刺入れである。ようやく社会人となり、会社からもらった名刺を入れるためである。買ったばかりの頃は、名刺を出すたび名刺入れを誇示して、これ素敵でしょう、と、いちいち名刺交換した相手に念を押したものだった。誰もが社交辞令的に素敵ですねと言ってくれたが、まったく興味を喚起していないのは明快だった。こぎん刺しの美しさや、手仕事の重さを、だからって私は熱弁ふるって周囲に理解を求めようとはしなかった。それよりも、掌の中にこぎん刺しの名刺入れをすっぽり入れた時に感じる人の手の温もりに似た手触りの至福を、誰にも知られたくなかった。

本書は読み物ではなく実用書である。前半には著者が保管している古い時代の刺し子の衣料品の写真が並ぶ。見事な刺し子の、その正確を期した運針ぶりを見るにつけ、東北の女たちの根気よさ、辛抱強さ、器用さと、高い美意識に感嘆する。後半は、それら刺し子の図案と刺し方の解説が少し。小物に刺すことは、手芸に長けた人にはわけないだろうが、モチヴェーションの違いはあまりにも大きい。刺し子が刺し子であるゆえんを思えば現代人が刺し子作品を創作しようというのはある意味おこがましいというのか厚かましいというのか、身の程知らずというのかお気楽でいいわねというのか。いや、それでも、ひと針ひと針刺すことをしなくてはならないのかもしれない。本書を眺めながら、いつも古タオルを適当に縫い合わせていた雑巾を、今回はちょっと色糸でお洒落にステッチかけてみようかなどと思う私なんぞはたしかに「お気楽」のたぐいだが、ミシンがまともに動かなくなって以来、やむを得ないとはいえすっかり手縫い派になっているのである、実は。そのうち電気が足りなくなったら真っ先に駆逐されるであろう家庭用ミシン(だって、もはやプロ or セミプロ手芸家しか使わないでしょ)。何年も前から新しい上質のものが欲しくて物色していたが、ここ数年すっかり手で縫うことに慣れてしまって、へたくそだけど、この際だから手縫いに専念して腕を上げようと誓うのだ、本書のような本を見るたびに(そして喉元過ぎれば何とやら)。

著者の鈴木さんは福島市に古布の店を持っておられるらしいが、今も営んでおられるのだろうか。