Pour ta maman, l'opération de la cataracte, c'est assez simple et sans douleur. ― 2012/09/11 17:23:09
毎日母と眼科詣でをできる人間は、残念ながらいないのである。こういうときに身内に付き添う余裕もないなんて、理不尽な社会だが、そんなところに向かって愚痴っても仕方がなく。
専業主婦の弟嫁はヒマしてるんだが、弟嫁ひとりに母を託すのは、酷である。母は重いので、万一転倒などしたあかつきには、彼女一人では母をけっして起こせはしないのである(コツが要るのよ)。
というわけで入院させる道を選んだ。入院先の総合病院は私の勤務先の近く。ここの眼科医は白内障の権威とやらで(全然知らんかったけど)、受診して手術と入院を決めたはいいが、3か月待ち。
てなわけで、3か月前から、母は隣近所の井戸端会議仲間に白内障の手術をすることを言いふらしていて、誰もが「手術はとても簡単」「手術後は世界が変わったようによく見えるよ」と母に言うのですっかり手術を楽しいイベントとして心待ちにしていたのである。
私は隣近所や商店街を歩いて母の仲間に会うたびに、「お母さんの手術っていつやったっけ?」「こわがらんでもええのんえってゆうたげて」「よう見えるようになったら溌剌としゃはるえ」などと声をかけられた。私は家の中ではあまりしゃべらないので、おしゃべりな母はそこらじゅうを話し相手にして発散していると見える(笑)。ご近所があってよかったと思うのはこんな時である。いまや母の白内障入院は町内会はもとより学区内のお友達から商店街の面々まで皆さんがそのスケジュールをご存じである。
幸い、今ちょうど仕事がピークを迎える嵐の前で、私も少し時間に余裕があるので毎日病室を覗いて帰ることができそうである。母は入院が決まった時から(つまり3か月前から)、猫のリーちゃんの餌やりをとても心配していて、「かしこうしてへんかったら、お母さんご飯くれはんの、忘れはるえ」(忘れへんてば)「ご飯食べたらちゃんとお母さんにごちそうさまってゆうのんえ」(ゆうわけないやろ)と毎日毎日四六時中猫にそんなことを言い、私に向かっては「何時と何時にご飯やるのん、会社から早う帰ってこれるんか」「お昼ご飯やりに帰ってこれへんの」みたいなことをこれまた朝晩必ず言い続けてきたのである(なんで娘や自分ではなく猫のご飯中心に動かないかんのよ)。たぶん、病室を覗いても、話はリーちゃんの餌やりに尽きるに決まってる。はいはい。