L'esprit de la recherche2013/03/09 04:30:39

史上最強の雑談を読む(1)


『人間の建設』
小林秀雄、岡潔 著
新潮文庫(2010年)


もとは1965年に出版された『対談 人間の建設』である。私の手許にある文庫本は、もう21世紀の文庫本だから字が大きい。1ページに並ぶ行数も少ない。それでも薄い本だ。こんなに薄いのに、なかなか読破できなかった。薄い本だろうと厚い本だろうと物理的な時間がないので読み進めないのもしかたないんだが、途中まで読めば結末が見えてしまうくだらない小説とは違って、なんつっても「史上最強の雑談」だからして、話がどう転びどう展開しどう曲がっていくのかが全然見えないし、ほいでもってさすがは「史上最強の雑談」だけあって、面白いけど難しい。難しいから同じところで足踏みして何度も反芻しながら読み、ますます面白いので同じところを何度も読む、をやっていくと全然読み終わらないのである。

1965年っていえば弟が生まれた年なのよね(笑)。そのときすでに、人間がとるべき道はこの史上最強の二人がちゃんと雑談の中で示唆してくれていたんだよね。示唆していたというよりは、これでもかっつーくらいに明言している。どうして日本人は、この雑談を銘として歩まなかったのか? 雑談かもしれないけど、史上最強だぞ。史上最強の売文屋であり批評家の小林秀雄に、史上最強の奇人であり天才数学者の岡潔だぞ。ああ、この人たちの言に学んでいれば、日本はこんな阿呆な国にはならなかった。日本人はもっとまともだった。極右ジミントーのわしら原発軍隊大好きだからどんどんつくっちゃうもんね違憲だけど政権、なんかをのさばらせておくような、痴呆国民に成り下がりはしなかったのに。

時間は取り戻せない。失った美しい豊穣の大地も取り戻せない。ああ。

愚痴っても何がどうなるわけでもないので、本の話を続ける。

まず、ほんとにとても面白いから万人におすすめする。でも一回ザーーーッと読んだだけでは何も面白くないわけである。読み手の理解力とか知識とかは関係ない。むしろ、読むそのときのコンディションにかかわる。気持ちにかかわる。どんな時にも読んでみてほしい。体調のいい時、アタマがスッキリしてる時、暇な時、忙しさに目を回しちゃいるがそれでもメシは食うんだよ、的な食事のあとのコーヒーブレイクに、荒んでいる時、苦しい時、悲しい時、八方ふさがりな時。
読むときの気持ちで、本からもらえるエネルギーやメッセージは異なってくる。それはもちろん、本書だけではない、他の本でもそうだ。でも、本書は、こんなに薄っぺらい文庫本なのに、オッサン二人の雑談なのに、それほど読み甲斐があるという点で、恐るべし、なのである。


《小林 (略)いまは学問が好きになるような教育をしていませんね。だから、学問が好きという意味が全然わかってないのじゃないかな。
 岡 学問を好むという意味が、いまの小中高等学校の先生方にわからないのですね。好きになるように教えなくてはいけないといっても、どういうことかわからないのですね。なぜわかりきったことがわからないか。なぜ大きな心配ほど心配しないのか。現状はわかりきったことほどわからない。どこに欠陥があるからそうなっているということを究めて、そこから直さぬといかんでしょう。
 小林 学問が好きになるということは、たいへんなことだと思うけれども。
 岡 人は極端になにかをやれば、必ず好きになるという性質をもっています。好きにならぬのがむしろ不思議です。好きでやるのじゃない、ただ試験目当てに勉強するというような仕方は、人本来の道じゃないから、むしろそのほうがむずかしい。
小林 好きになることがむずかしいというのは、それはむずかしいことが好きにならなきゃいかんということでしょう。(略)つまりやさしいことはつまらぬ、むずかしいということが面白いということが、だれにあでもあります。(略)むずかしければむずかしいほどおもしろいということは、だれにでもわかることですよ。そういう教育をしなければいけないとぼくは思う。(略)》
(「学問をたのしむ心」10〜11ページ)


もう1965年の時点で、学校は、勉強することを好きになるように教えてくれる場所ではなくなっていたのだった。そりゃ、ダメなわけだよ、いまの教育現場が。

さて、こんな感じで数回に分けて本書の感想を書いていこっかな。と思っている。