“Il était une fois, une catastrophe…”2013/03/11 17:53:52


La chaine humaine a rassemblé 20 000 personnes selon les organisateurs, 4 000 selon la police. | AP/Remy de la Mauviniere
La chaine humaine a rassemblé 20 000 personnes selon les organisateurs, 4 000 selon la police. | AP/Remy de la Mauviniere



2年前、私は何を考えていたんだろうとふと思い、マイブログのアーカイヴから抜粋してみた。……2年前に考えていたことと、今と、突き詰めれば同じことを考えている。同じことを願っている。自分自身も、けっきょく変わっていない。だが、惨状のなか、歯を食いしばって前を見て歩けた人と、何もかも失くして絶望に打ちひしがれたまま時が止まってしまった人との、生活環境の差は開くばかりだ。
 *
2011/03/13 01:15:15
ずっとラジオをつけっぱなしにしている。いつもインターネットで聴いているRadio France Internationaleである。15分ごとにニュースが更新されるが、必ず日本の地震と津波の最新情報を伝えてくれる。
地震が起きた時、私の町は震度3だったそうだが、私は出張先で取引先の営業さんが運転する車で移動中だったので何も感じなかった。地元に帰りJRの駅に降り立つと、新幹線乗り場方面がただならぬ人だかりで、また人々の表情は一様に険しく、なにがしかの異常事態が起きたということがわかった。間もなく駅のアナウンスが東北に地震があったために新幹線が運休となっていることを告げる。それはもう何度も繰り返されているらしいアナウンスだった。東北って、そんな遠いところの地震のために全線ストップしちゃうなんていったいどんなに大きい地震だったんだろう。とりとめもなく思い巡らしながら帰社すると、東京に家族のいる社員たちが「電話が全然つながらない」といって青い顔をしていた。
東京の混乱ぶりを把握でき、社員の家族たちの安否も確認できたが、インターネットには大津波の映像が配信されていた。それは仙台空港を飲み込む瞬間の映像だった。明らかに悪意をもった黒い泥波が、人間の築いたものを食いつくそうとするかのように、牙を剥いて襲いかかった瞬間だった。
とんでもないことが起きている。
内陸に住む私たちは、紺碧の空と海への憧れは強いがその怖さを想像することができない。波は海底の震動によって巨大になりどんな遠方からでも勢いを保ったまま陸地へ到達し道も家も人も飲み込んでしまえる、そういうものであることに、思いが行かない。
火災も発生した。
1995年の地獄絵のような映像が瞬時にして甦る。
どうか早く鎮火して! などといくら願っても祈っても届かないのだ。
気になるが、金曜は一日出張先にいて、社内での仕事が山のように残っていたので、まずはよそ見をせずに黙々と原稿を捌いていった。
帰宅してマイMacのメールを開けるとフランスからこちらの様子を心配するメッセージが届いていた。
1995年のあの日の翌日も、遠方からたくさん電話をもらった。高い電話代をものともせずに皆かけてきてくれた。数時間もの間まったく電話がつながらなかったので、私も神戸の友人につながらなかったし、私にかけようとした人たちも何度も試みたようで、ようやく私の声を聞いたとたん電話の向こうで大泣きする人もいた。
あの時も、今回も、同じだ。
私や私の町を案じてくれるその気持ちは痛いほど嬉しい。
が、私たちには何も被害がない。
「大丈夫だよ」
とのこちらの声に
「ああ、よかった!」
と心底安堵してくれるその言葉に複雑な気持ちになる。なにも、よくなんかない。問題は「ここ」ではない。何も喜べない。
自分が書くことをなりわいとしていることに、とてつもなく無力感や虚無感を覚える。ここでこうしてぐだぐだ書いていて、どうなるというのだ。誰ひとり救えはしないのである。どんな傷も癒すことはできないのである。何も、前に進められないし、何も、受けとめることができないのである。
身を挺して被災地のために働く人々に、神よ、力を!

2011/03/16 01:46:47
昨日、卒業式だった。
こんなときだけれど、子どもたちには心の底からおめでとうを言ってやりたい。この日を無事に迎えることができたことを、素直に、心から、喜びたい。
式典に先立って、全員で、今回の災害で亡くなった人たちに黙祷を捧げた。
また、卒業生を代表して元生徒会長が述べた答辞では、命の尊さを肝に銘じて……と、東日本の大地震に触れていた。
(……)
子どもたちが大人へのステップをのぼろうとするときに、こうした事態を見聞し考える機会を得ていることは、当事者の方々にはたいへん不謹慎で申し訳ないけれど、成長の糧にはなると思っている。願わくば、子どもたちが大人になり、それぞれの場所で役割をもち、社会に何らかの貢献をするときには、十代のときに自分の国を襲った未曾有の大災害にうつして、人事を尽くせる人になっていてほしいと思う。
おめでとう。この春卒業を迎える子どもたちみんなへ。
おめでとう。さなぎ。

2011/03/18 22:21:37
一日がすごく長い。
(……)
自分の時計が被災地情報で刻まれるので、被災者の置かれている状況に変化や進展が見られないと長く感じるのである。
(……)
普通に寝て起きて、洗濯して食事つくって、いつものようにコートを着込みマフラーと手袋を着け、自転車にまたがって職場へ向かう。原稿を急かすクライアントに心の中で舌打ちしながらもう少し待ってと懇願したり、今たいへん混んでましてと言い訳したり。そんな、ともすればチキショーバカヤローとわめいてばかりの日常がいかに幸せなものかを改めてかみしめては、いる。
いるが、それでも私には私の、まったくもって憂鬱にさせてくれるさまざまなモンダイが、眼前に数え切れないほど多くのハードルとなって立ちはだかってくれる。私は家も流されていないし、原発からも遠いし、現状に文句を言う筋合いは何もないかもしれないが、手に負えない、私ひとりでは解決に程遠い難題をいくつも抱えている。
(……)
母親は目に見えて衰えてきている。病気ではないが、いろいろとよく間違えたり忘れたりすることが多くなった。このことはもう数年来起こっているのだけれど、運動能力の低下は顕著で、やはり歩けなくなると外に出るのが嫌になるし、外に出ないと刺激がないので記憶力やコーディネート力が低下する。そんなわけで任せていたいろいろなことを任せられなくなり、といって何もさせないわけにもいかないのでできることとできないことをこちらで調整してやってコントロールしながら、できることはできるだけこなしてもらわなくてはならない。そんなに複雑でも難しくもないことなんだが、いかんせん私に時間がないのでじっくり検討する機会がないのだ。てことはつまり、母が担ってくれていた家事はなし崩し的に私の役割と化しており、まったく毎日一秒だって家では座っていられない。
娘は何でもひとりでできるようになったが、とりあえずオカネのかかるヒトなので、もっと副収入が欲しいのだけれど、現状では家で一秒も空いた時間がない。これではスーパー闇仕事も請けられない。
(……)
食糧確保もままならない被災地の皆さんを思うと、贅沢な難題だとはわかっているが、だからといって放棄できない。はあー。と、眼前の山積み問題あるいは無数のハードルってやつのひとつふたつを披露してみた。ま、がんばるさ。とりあえず私は母親で世帯主だからさ。

2011/03/19 22:47:43
パリの猫屋さんブログを読むと、リベラシオン紙によると《フランスはアレヴァ・EDFなど原発企業が所有する130トンに及ぶ核対応特殊マテリアルを日本に送る予定》なのだそうだ。つまり原子力のプロたちが「これ使いな」と困ったときのお役立ちツールをくれるというのだけど、原発事故からこっち、嫌というほど感じたのは、日本ってほんとアマチュアなのね、ということだ。原発なんて、一介の電力会社がやることじゃないんだろう。発電には違いないけど、扱うものは核である。核兵器を長年研究して開発して実験して、なんてことを専門企業がやっているような国とは、その実力においてプロ野球と草野球、いや三角ベースほども差があるのだ。
フランス語でニュースを読むといったって、難しい話になると辞書を引いたってわからないし、そんな暇はないので見出しだけ見て何を報じているかだけを目で追う程度のことしかしていないが、フランスは原発大国なのでおのずとその記事が多数を占め詳細になっていることはわかる。連日リアルタイムで原発の様子をレポートし、詳しい図表をつけたりしている。国内紙の記事を読むよりよほどわかりやすかったりする。
私には、放射能のほんとうの怖さはわからないし、国内にわかっている人がいるとも思えない。私たちは被爆国の国民だけど、そのことと、原子力発電によるエネルギー生産とは次元が違うと考えてきた。みんなそうだったはずだ。
日本では、「だからいわんこっちゃない」的な論調が目立つように思うがどうだろう。「世界唯一の被爆国が原発をもつなんておかしい」とか「地震国で津波の恐れもあるのに沿岸部に原発建てて」とか「そもそも東電の隠蔽体質がこの事態を招いた」とか。いちいち正論だが、けっきょくは犯人探しにすぎない。犯人なんかいないのに。要は私たちみんな身の程知らずの未熟者だったわけだからここは大人のいうことを聞きましょう、プロの助言を容れましょう、ということを、それなりの立場にある人にいってもらいたいし、そうした発言を広く国民に知らせてほしい。伝わってくるのはメディアサイドの揚げ足取り的な詰問に対する言い訳や、重箱の隅をつつくようなあら探しや失態のリストアップ的記事ばかりである。また現在懸命に実施している作業をレポートする記事の横に必ず「遅かった」だの「最初の判断ミスが招いた現状」だの、識者のコメントがくっついている。物事、多角的に見なくちゃいけないし、賛否両論ある時はその両論とも載せるのがメディアの仕事とはいえ、あまりにも、最前線で働いている人に失礼じゃないかい、と怒れるのである。

2011/03/23 01:16:53
ガイガーカウンター、送ってあげようか?
そんなことを言われたけど、要らないと言った。だって、そんなこといちいちしてるほど日常に余裕ないもん。だけど、いずれ、自分で携帯するほどではないにせよ、放射線計測器がぐっと身近なものになるのだろう。今火災報知器の取り付けが義務づけられているが(ウチはまだ付けてないけど)、そのうちガイガーカウンターの取り付けとか携帯とかが義務づけられるようになるんじゃないだろうか。なんてこった。
チェルノブイリの子どもたちが描いた自画像を集めた絵本を、何年か前に娘と読んだ。自画像にはのど元に必ず甲状腺がん治療痕とわかる傷が描き込まれていた。その意味がわからない娘に原発事故のとおりいっぺんの説明をし、絵本をめくりながら、ほんとうにこの子たち可哀想ね、なんて言っていた私に、いったい何の意味がわかっていたというのか。原発は自分の国にもあって、同じことが起こる可能性はもちろんある、などと理屈では言いながら実質事故の可能性はゼロだとどこかで過信していた自分たちの浅はかさ。
新聞に、ハンナリーズ(地元のプロバスケチーム)の外国人選手が契約を解除して帰国したと書いてあった。原発事故の影響を恐れる彼を誰も責められない。誰もが、文字どおり潮が引くようにいなくなる外国人たちのことを、ちぇ、なんだよ、と心の中で舌打ちし口をとんがらして、苦渋に満ちて見送っているだろう。だけど、外国人たちの気持ちは、わかる。自分がその立場だったらきっと日本へ飛んで帰ってきたに違いない。
(……)
知らされていないこともあるだろうが、知らされたとしてもわからないことだらけなのである。不安だが、不安を消し去ってはいけないと思う。村松さんも心が大事ブログで言っている。原発事故に過剰反応する人々を嘲笑する前に、とりあえずいま喫緊の状況にはない、余裕のある者がすべきは、よく考えることじゃないのか。なぜチェルノブイリでは子どもたちばかりが甲状腺がんで死んでいったのか。それは彼らが乳児や胎児であったときに汚染食物を体内に取り込んでしまったからだ。何も知らず、わかっていなかった大人たちが、とりあえず子どもには食べさせなくちゃととった行動が数年後の悲劇を呼んだ。いま、大人がすべきは「疑わしき」をすべて子どもから遠ざけることだ。
農作物の出荷が止められたが、ちょっと放射線被っただけの食材は洗えば大人には大丈夫だ(子どもはダメ)。放射能汚染は伝染病ではないから、現場にいた人から放射線が「うつる」こともない(だから差別はナンセンス)。危ないのは土と水である。土に、汚染物質が染みていき、汚染物質を蓄えた大地から湧く水も汚染される。そこに負けじと生える植物もまた、体内に汚染物質を孕む。チェルノブイリがそうであるように、現場はゴーストタウンジャングルと化す。
福島第一原発の周囲はこの先何十年も立ち入りできない、もはやそういう場所になってしまった。そういう場所を抱えて、日本という国は、この地球上で生きていくのである。
そのことを考えていかなくてはならないのだ。
 *

(アーカイヴのコピペ ここまで)
Des milliers de manifestants ont défilé samedi à Tokyo pour exiger l'abandon rapide de l'énergie nucléaire au Japon, près de deux ans jour pour jour après le début de la catastrophe de Fukushima. | AFP/YOSHIKAZU TSUNO
Des milliers de manifestants ont défilé samedi à Tokyo pour exiger l'abandon rapide de l'énergie nucléaire au Japon, près de deux ans jour pour jour après le d'ébut de la catastrophe de Fukushima. | AFP/YOSHIKAZU TSUNO


違憲ジミントーわしらヤなこと忘れて金儲けゴーゴー政権、の「アメリカLOVE!」ぶりには今さらながら呆れる、いや、ずっとそうだったんだけれど、こうまで恥ずかしげもなく尻尾を振られたんじゃ二の句も継げないってゆーかさ。アベ極右シンゾーの、笑わせてくれた衆院選のスローガン「日本を、取り戻す」、正確に最後まで書かなきゃズルイよね。「日本を、取り戻(して米国に渡)す」。でも、どこから取り戻す気だったのかな。米国のほかに日本を占領している国、思いつかないんだけどね。

……。
……。
3月11日です。