Après la pluie ― 2014/09/01 01:13:16
野口五郎の持ち歌に「夕立のあとで」というのがあるが、ご存じだろうか。
ここ近年、よくある突然のどしゃぶりの雨があまりといえばあんまりな大雨であり、あまりにも豪雨であるために、ゆうだち、なんて風流な言葉で形容できる雨には、とんとお目にかからなくなってしまった。それでも私は、夏の午後、にわかに空が曇ってひと雨ざざああっと来た時には必ず野口五郎の「夕立のあとで」を思い出す。もちろん、ゴローちゃんの歌声で思い出すのだ。雨上がりのまちは瓦も街路樹も道も空気もきれいに洗われたように清澄だ。「夕立のあとで」はまさにそのとおりのことを歌っていて、ちょっぴり説明的ですらある。
野口五郎はたしか「私鉄沿線」という歌で大きな歌謡賞を獲ったので、昭和のアイドルについてよくご存じでないかたも「野口五郎/私鉄沿線」はセットでご記憶にあるのではないだろうか。でも、熱狂的ファンの立場から言わせてもらうと、駅とか改札とか部屋の掃除とかといった具象パーツが少々トキメキ感に欠け、よくできた歌だとわかっていても、けっきょく何が言いたいのかよくわからない「こころの叫び」とか「告白」とか「君が美しすぎて」とかの単なるそれらしいワードの羅列による抽象的ななんか青春やんこれ、みたいな歌のほうがわけもなく好きだったりするのである。ちなみに私が完全にイカレてしまったのは「甘い生活」で、この曲をきっかけにゴローちゃんはアイドル新御三家のひとりからメキメキと大人の歌手へと脱皮に脱皮を重ねていくわけだが、そのあとの幾つもの名曲に比べても、やっぱり「甘い生活」がいつまでもいつまでも好きだった。
「夕立のあとで」が発表されたとき、私はとてもがっかりしたのだった。その説明くささとメロディーラインがとても野口五郎を「老成」させて見せた。おっさんくさい。はっきりゆーとそういうことであった。なんかいやや、この歌。五郎が年寄りくさく見える。早く次の新曲出してくれ。そんなふうに思ったのをはっきり覚えている。それなのに、何十年も経った今、何かのはずみで古い歌を思い出す機会といえば、たったひとつ、夏の午後の雨降りなのである。夕立に遭うと必ず思い出すのだ、「夕立のあとで」を。面白いものである。大好きだった「こころの叫び」も「甘い生活」も、それほど「くっきりした」記憶を呼び起こすきっかけはない。野口五郎の持ち歌としてはそんなに好きでもなんでもなかったこの歌は、年を経るごとに、その歌詞の含む物語世界の大きさ、深さに自身が入り込んでいくような気にさせる。私は雨をきっかけに過去の恋愛を思い出すことはないが、夕立でこの歌を思い出したとき、否が応にも「少しは忘れかけてた」あんなことこんなことに引き戻されるのである。罪な歌である。
「雨あがる」というよい映画がある。この映画はフランスでたいへん好評を得たそうだ。かつて当時の相方の部屋でこのDVDを仏語字幕つきで観た。彼に限らず、日本の好きなフランス人は声を揃えてこの映画を大好きだという。仏語タイトルは「Après la pluie」(雨のあとで)。仏語タイトルを見たときも、私の思考回路は「夕立のあとで」を引き寄せた。「雨あがる」と「夕立のあとで」は描いている世界はまるで違うのだが、私の中では緊密にリンクしている(笑)。
雨は時に牙を剥き、そこかしこに残忍な爪痕を残すこともある。
生き延びている幸運を素直に喜び、生きていればめぐる季節と呼び覚まされる記憶を反芻しながら、毎日を大切に生きていきたいし、雨を嫌わず雨とともに在りたいと思うのである。
「夕立のあとで」
作詞:山上路夫
作曲:筒美京平
歌:野口五郎
夕立ちのあとの街は きれいに洗われたようで
緑の匂いが よみがえります
忘れようと 努めて少しは
忘れかけてた あなたの想い出が
急にあざやかに もどってきました
夕立ちの多い夏に 愛して別れた人です
風さえあの日と おんなじようです
通りすぎる 小さな軒先
風にゆられて 小さな風鈴が
遠い夢を呼び かすかに鳴りました
夕立ちのあとの街は なぜだかやさしげな姿
心にかなしく ひびいてきます
生きていれば 季節はめぐって
夏があなたの 想い出呼びさまし
過ぎたあの頃に もどってゆきます
忘れようと 努めて少しは
忘れかけてた あなたの想い出が
急にあざやかに もどってきました
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La myrtille ― 2014/09/03 20:59:52






Super Moon ― 2014/09/09 20:42:13
月もこのうえないほど綺麗やし。今夜8時頃の東の空。物干しから撮りましたの。

あーあ。周りは小汚い四角いビルばかりになりまして候。
ぼやくのはやめて、望遠でスーパームーンに肉迫っ。

ヘンゼルとグレーテルだって、月に光る小石を頼りに、森から家に帰ったんだ。
でも、昔はこうだった、だとか、もともとこういうもんだった、だとか、そんなことあまり言いたくないもんな。時間は必ず過ぎていて、ひとは誰でも同じように年をとり、世の中は変わる。変わっては、いきなりおとずれる揺り戻しに戸惑い、どう振る舞えばいいのか迷いやためらいを見せる。その都度人びとが知恵を絞って、その時点での最適の答えを出してきた。その時点での最適の答えが、振り返ってみればまったくよくなかったということは多々ある。気づけば軌道修正をするとか、同じ轍は踏まないとか、先人の死を無駄にしないとか、道の採りかたはいろいろさまざまだろうけど、つまりノスタルジーやそもそも論で「昔はよかった」を繰り返す愚とは、歴史に学ぶとか経験知とかって対極にあるはずやん。扱う対象の存在が大きければ大きいほど、積み重ねて結集されてきた叡智に負うところ大のはずやん。育児、教育、研究。経営、行政、政治。
右翼あほぼんはアベとかアソーだけやと思てたけど、じつはぎょうさんやはるねんて! びっくり。てか、ハーケンクロイツ掲げる日本人の団体があるなんて私は全然知らなかったんだけれども、そいつらとハイポーズで満面の笑みたたえた記念写真撮るってどんな現代の政治家なん。その噂の写真、何日か前にほかのブログ経由で見て吐きそうになったけど、外国メディアにも見つかっちまったぜ。恥!
内田樹@levinassien
L'Ecosse ― 2014/09/29 11:47:25


カンパンはもともと軍用の携行食として開発されたものです。
(起源は江戸時代らしいです)
その様な商品のためキャラクターは兵隊をモチーフとして誕生したそうです。
ただ、カンパンには兵隊さんそのものというわけではなく『武器を持たずに戦地へ赴き士気を高める軍楽隊であるスコットランドのバグパイパー』を採用しました。