Ils savaient tout. Mais ils n'avaient pas le dit. C'est dure. Ils sont absolument responsable, je crois.2013/03/05 13:19:19


また、3月11日がやってくる。
もう、2年も経つのですね。
生きていかなくちゃならないし、よりよく生きていきたいと誰もが思う。よりよく生きていくための道筋が幾とおりか示されて、選択の幅や余地があるなら選ぶ本人にも若干の責任はあるけれど、いまあるのは選択肢のないぎりぎりの生。「こうするしかしょうがない」という条件的に底をついたかたちでの、我慢を強いられての、生。ならば、せめて、法律をつくったり変えたりする立場、制度を整える立場にある人々が、ひとりひとりの生きにくさや生きづらさの軽減のために、もっと誠実に働いてほしいと思うのだけど。

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2013-03-05
〔イアン・アッシュさん 2011・3・15 東京 停電の暗闇の中からの映像レポート〕 3・14の記者会見で日本の放射線医学の専門家は在京に外国人に、こうアドバイスしていた、「できるなら日本から逃げたほうがいい!」
「机の上の空 大沼安史の個人新聞」より
http://onuma.cocolog-nifty.com/blog1/2013/03/post-65ee.html

動画はここです。イアンさんのサイトへのリンクもあります。
https://www.youtube.com/watch?v=S4j4C9nixic

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医師たちは最初から「やばい」とわかってたんだよね。なのに言わなかったし、今も言わない。医師としての良心がどこにあるのかって話になってきちゃう。放射線医学の分野に従事する人たちが、もっと積極的に発言してほしかったと、今でも思う。医療で放射線を扱う人たちだからこそ、その発言には説得力があったはず。高度先進医療のニーズも高まっているこのご時世、みんなが放射線を怖がったら困るとでも思ったのかな。広島、長崎の原爆被爆者や、チェルノブイリの被曝者治療にあたってきた医師たちの発言とはまるで正反対の見解しか出さなかった。その罪は重いよ。
「だいじょぶだいじょぶ、どうってことない」
それは彼ら自身の信念かもしれないけど、もし、ほんのわずかでも「危険かも」と思ったのならきちんと発言してほしかった。ガイジン向けの会見でぽそっと言うだけじゃなくて。なんでガイジンには逃げろと言って福島の人には言ってくれなかったのか。
その罪はほんとうに重いよ。

私もそうだけど、基本的に、医師の言うことは絶対であり、信じたい、みたいな「医師性善説」がこの国にはあるよね。権威に任せて好きなこと言っている某山下とかをいまだ信奉している人々もいるわけだから。でも、そのことに胡坐をかくなと言いたいよ。
まあねえ、実際、こんなことにならなかったら某山下はそれはそれは立派な大先生のまま生涯を終えることができたでしょうよ。ふん。

良心ある医師が、危険や悪影響について自身の知見をはっきり言えない事情を抱えているとしたら、その医師の問題ではなくこの国の医療界に巣食うビョーキのせいだよね。まあねーこんなこと言ったらミもフタもないけど、医療界+製薬業界+お役所+大手メディア&広告代理店っていわゆるムラだもんね。花粉症利権もしかり、だし。原子力ムラともムラどうし仲良しのはずだし。


こちらにも同感です。

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何故、医師としての被曝対応が、日本の医者はできないのか。首都圏スポーツ関係男性に相次ぐ突然死。
2013-03-05 06:43:23 

ずっと思っていたことを書きます。僕は、バンダジェフスキー博士を来日させた時も、ずっと思っていました。そこに集まる医師たちの大半はなんなんのか。彼らは何がしたくて、集っているのか。

カルディコット博士の後も感じています。

最初から、来ないタイプの医師は論外とおもっています。少なくとも、本人の知見をきちんと確認すべきなのに。

もちろん、そうして集っている医師の方が、被曝問題を認識はしています。でも、それだけです。それで、いろんなデータを探して、集めて、この問題の批評をおこないたがっている人たちが多いです。

どちらかというと、放射能の問題に関心がある医師としての立場が大切なのかという方が多いです。

批評がただ悪いとは言いません。でも、そんなことは、汚染地では二の次だろうと僕は思います。汚染地である以上、健康被害が実際におきているのかどうかを、診ていくしかありません。細かく、一人一人の患者をチェックし、チェルノブイリ後に、ヨーロッパの医療機関がとってきたような、スクリーニング感覚を現実の患者たちに対応していくしかないと思います。まず、リスクを避けるためには、それしか医療的な対応はありません。

この被曝という時代に、これは、被曝なのかどうかというご高説をのたまうよりも、被曝症状に類似する可能性がある健康症状を、被曝影響かを前提として、考え続けるしかないと思います。被曝影響という要素を加えて、患者に向き合うしかありません。そうして初めて、患者への対応がうまくいくのが、被曝後、この時代の在り形と思います。

そして、そういうふうに立ち向かっている医師が、首都圏で圧倒的に少ない現実に驚かされます。

反原発の医師の中には、被曝影響を認めない人は確実にいます。それどころか、チェルノブイリで救援的な動きをした医者の中にも、今回の被曝を軽視しようとする感覚が強い事例があります。

本来、こんな悠長なことをしている時間の余裕はありません。

まず目の前の患者を確認してください。おかしな事態が起きているのかどうかをきちんと確認してください。

診療行為の中で、患者の肉体を見続けると、思わぬひび割れが目につくのかどうかということです。悪い兆候を見落とさないで下さい。あなたたち1人1人に、そういう医療をすすめて欲しいのですが。残念ながら、日本の医師は教わっていないことに鈍感で、踏み出そうとはしません。それよりも、プライドやデータ情報が優先します。

今の日本の被ばく状態が、どうなってくるかという、現場のつきつめの方が大切なんです。二次的な情報の評価などどうでもよいです。それよりも、目の前の状況を精査できるのかどうか。その現場感覚で、考えながら診察にあたる医師がどのくらい日本に存在するのか。

僕はこれが悲観的になりがちです。ごめんなさい。
(後略)

木下黄太のブログ「福島第一原発を考えます」より
http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927/e/b938fa74a2bfec0df539b4a49fa7f35a?fm=rss

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先日、ウチの近所にも回ってきていた空き缶回収のおっちゃんが逮捕されたのよ。「空き缶回収のおっちゃん」とはつまり、ホームレスで、回収した空き缶をアルミ再生工場へ持ち込んでわずかな収入を得て生きる糧にしている人のこと。ああいうのにも「縄張り」があるみたいで、ウチの近所にはいつもおんなじおっちゃんが来てたんだよね。我がまちでは、資源ごみの回収はいくつかに日程が分かれてて、普通のプラゴミ回収の日とは別に「ペットボトル+アルミ缶+スチール缶」の日がある。その日に、各家庭からゴミが出されて回収車が来るまでの数十分のあいだに、アルミ缶だけを、出されたゴミ袋から抜き取っていく。たいへんな仕事だ(笑)。そうしないと生きていけないわけだし、またあるいは、それが彼の選択とはいえ、ね。一度その手際を見たことがあるけど、みごとなもんよ。ぐずぐずしてたら回収されちゃうしね。
でもある時京都市はそれを禁止する条例だか法律だか、とにかく規則をつくったのよ。それは京都市の環境局がやりまっさかい、一般の人は、よそんちのゴミに手え出さんといてって。一般の人って、アンタ、ホームレスさんしかしてへんねん、そんなん。つまり、ホームレスさんからわずかな生きる糧を奪った挙句、逮捕。
京都市の役人って、京都府警の警官って、そんなに偉いのかい?
正確には、規則に違反して空き缶集めてたおっちゃんに注意した役人に、おっちゃんが楯突いたので、役人が通報して、公務執行妨害とやらで逮捕されたの。
ウチの近所の人が言うには、「たしかにあのおっちゃん、ちょっと態度悪かったしな、横柄やったしな。役人から目えつけられとったで、前から」。
回収した空き缶をいっぱい荷台に積んで、さびた自転車をキーコキーコこぐおっちゃんたちの姿は、すっかりなくなった。

鴨川河川敷の整備が進んで、きれいになりつつあるけれど、橋の下のダンボールハウスで暮らしていた人たちはどこへ追われたのだろう。

ホントに、弱い立場にある人たちに冷たいよね、この国。
国民もね。

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