幾重にも層を重ねたような密な経験2018/06/27 01:07:55

児童文学作家と画家が語る戦争体験
『子どものころ戦争があった』
あかね書房編(1974年初版第1刷、1995年第12刷)

有名な本である。そのせいかいつでも頭の片隅に書名があって、それゆえついいつでも読める気になっていて、読む機会がなかった。なんということか。ぐずぐずしているあいだに、寄稿されている多くの作家が鬼籍に入られた。
収められている体験談の著者は以下のかたがたである。錚々たる顔触れ。

長新太
佐藤さとる
上野瞭
寺村輝夫
岡野薫子
田畑精一
今江祥智
大野允子
乙骨淑子
三木卓
梶山俊夫
新村徹
奥田継夫
谷真介/赤坂三好
さねとうあきら
田島征三
砂田弘
手島悠介
富盛菊枝
山下明生

どのかたのどの話がどうだということなど言えない。どれもこれも凄まじい。凄まじいがどのかたのお話もどことなくユーモアがあり、過酷な体験にもかかわらずあっけらかんと笑い飛ばせそうな雰囲気に満ちている。実体験を語られているのに、まるで彼らがつくり出す児童文学の世界にトリップしたような気にもなる。さすがは作家のみなさんというべきか、語りの力は素晴しいのであった。しみじみ思うのは、これほどまでの経験をしてきたからこその、児童文学なのである。これほどまでの経験を下敷きにしているからこそ、軽はずみな表現で命の重さや尊さを振りかざすようなことはしないのである。優しさや思いやり、痛みや苦しみといったわかりやすい言葉で説明してしまえるほど、人と人との情愛や、かかわりあうことで生まれる感情の擦れやぶつかりは単純ではない。子どもの世界だからこそ、それらには名前はまだない。子どもたちは自分たちの世界で次々に生まれでてくる好感や愛情や親しみや嫌悪や憎しみや軽蔑の思いに、自分たちなりに名前をつけ認識して心に記録を刻んでゆく。そのありようは、子どもが十人いれば十通り以上になるだろう。そうしたものに最初からラベルや札を与えてはいけないのだ。
なぜ、平和な時代ゆえにむき出しになるわがままやエゴイズムをしぜんに生き生きと描き出す力というものについて、辛酸をなめた戦争体験者である作家たちのほうが勝れているように感じられるのだろう? なぜ、現代の平和な時代の作家には描ききれないのだろう? 現代の作家たちにしか描けない要素はあるはずだ、技術はあまりに早く進歩し、時代はものすごい勢いで変化したのだから。しかし、児童文学に限って言うと、昨今流行りのニヒリズムなどを匂わせても、あるいは安易な泣かせるストーリー仕立てにしても、喜ぶのは大人ばかりで、子どもは大人を喜ばせるためにそんなものでも読むけれど、ほんとうの意味で心をとらえているようには思えない。子どもには、普遍的でありきたりな体裁をしていながら、深い物語が必要なのだろう。
深い物語は幾重にも層を重ねたような密な経験をした者でなければ、書けないのだ。

……ということは抜きにしても、戦時下の体験物語として興味深く楽しめる一冊である。子どもたちに親しめるように、ふりがなが丁寧に振ってある。絵本作家の挿絵も面白く、悲しい。
何度も読み返したい。

すべての女性たちに安全で安心できる職場環境と報酬と保障がもたらされんことを2018/06/25 01:07:17

『シングル女性の貧困
——非正規職女性の仕事・暮らしと社会的支援』
小杉礼子、鈴木晶子、野依智子、(公財)横浜市男女共同参画推進協会 編著
明石書店(2017年9月)

ある分野、領域の調査結果と分析をまとめた本というのは文中に数値が多く、著者編者はわかりやすかろうと掲載しているのだろうがお世辞にもわかりやすいとはいえない表やグラフが誌面を大きく占め、そのために、タイトルに心惹かれても、ぱらぱらとめくってあ、ダメだ読めそうにないとまた書架に戻す、ということに、わたしの場合はなりがちである。ほかのみなさんはけっしてこんなふうではないのだろう。だからこの手の本はつねに存在するのだ。日頃の仕事で数字ばかり追っている人や、四角四面なお役所文書ばかりを相手にしているような人であれば、むしろ読みやすいと思うのかもしれない。

わたしがこの本をなんとかかんとか読了できたのは、「第1部 非正規職シングル女性のライフヒストリー」と題して、5人の女性へのインタビューをまとめた章があったからである。
ここには、女性たちの切実な暮らしぶりが浮き彫りにされていた。具体的で、可能な範囲で家族、私生活についても語られており、現在正規職に就けずにいること、シングルでいることが、けっして昨日今日の問題ではないことがよくわかる。
そうなのだ。これは女性だけでなく男性にもあてはまると思うけれども、何十年も経って、ひとは自分の生きざまが幼少時の「あのこと」「このこと」に根ざし左右されていることにいきなり気づく。しかし過ぎた時間は取り戻せない。幼い自分も思春期の自分も若い自分も、そしていまの自分も全部受け容れて、前を向いて生きるしかないのだ。
生きるしかない、というわけで、5人の女性たちは非正規職に甘んじながらも、「もうあと少しの」安心や安全、将来の保障を求める。まったく、そこはわたしも声を大にして言いたいところだ。

5人のライフストーリー(取材は2016年に行われた)から印象に残ったところなどを挙げる。
まず、5人は全員40代。バブルが終焉し就職氷河期を体験した世代である。
そして、経済的な豊さはかなりいろいろだが、いわゆる富裕層にあたる人はいない。両親が離婚した人、学費がなく大学進学は諦めた人、稼いで家計も助けてきた人。
さらに、全員が、派遣労働を経験している。

働く母に代わって子どもの時から家事を切り盛りしていたという女性は、幼い頃から父が酒に溺れ母を殴るのを見てきた。兄は引きこもっていて何もしなかった。女性は貸与奨学金を得て短大を卒業し、ある企業に正社員として就職。この頃両親の離婚が成立。奨学金の返済等に充てると手取り給与は雀の涙だったが、自分でなんとかやりくりできることに自信ももち始めていた。ただ、所帯をもった(家にいた時は何もしなかった)兄には、母は月々経済的援助をしていたことが少し悲しい。
最初に就職した会社に10年、リストラが激しくなり会社の業績悪化を感じて解雇される前に、と思って退職。その後派遣に登録、簿記やパソコンのスキルを磨き、時給は1450円。当時としては悪くなかったが、2004年頃から派遣という働きかたが変わってきたと感じた。
(2003年に派遣法改正がなされ、2004年から製造業にも派遣労働が解禁された)

わたしも派遣会社に登録したことはある。90年代の前半だ。当時ろくにPCも触れなかったわたしは、派遣会社のオフィスでの、登録の際の情報入力すらまともにできなかったし、スキルをテストするためにいろいろなツールを試されたが、もう惨憺たる結果だった。それでも登録できたのは、フランス語ができるというその一点だけで、そういう「スキル」はその派遣会社にあってはまことに珍しかったからにすぎない。しかしそのときわたしは、なるほどこういうものをたたたたたっと扱える人が颯爽と派遣されるわけだ、そして経理や情報管理の部門などで文字どおり「仕事だけして」、その企業の効率化に貢献するわけだ、と非常に納得したものである。とても真似できないと思ったし、真似するために身銭切ってスキルアップや資格取得に励もうとも思わなかった。

この女性が感じたように、2004年から派遣に対する風向きが変わる。誰でもできる仕事が待っている、登録の際にスキルテストなんかないという状況になった。それは人より抜きん出たスキル、といったものが尊重されなくなったことも意味する。付加価値のある人材として重宝されていたはずが、そうした捉えかたをされなくなって時給も下がる。抜きん出ていたスキルがいまやたいてい誰でも身につけている程度のものとなるのに、そう時間はかからなかった。

この女性は、派遣された企業でいわゆる「派遣いじめ」に遭っている。パワハラもセクハラもあったことだろう。正社員は同じまたはそれ未満の仕事量や成果でも待遇は上。正規で入社した新人教育も派遣や契約社員の仕事、なのに困っている若手社員にアドバイスすると他の正社員から「何様のつもり?」などと言われたという。

モラルもなにもあったもんじゃないのね。
まったく、小さな世界で立場の弱い他者を小突いてふんぞり返って悦に入るやつの気が知れない。

この女性は、過労で病気になったこともあり、復帰後も心労が重なって、インタビュー時点では失業保険を受給していた。年端もいかない頃から父親の暴力を目の当たりにし、母を助けて家事労働にいそしみ、なのにお母さんは何もしないお兄ちゃんを大事にすると感じてきた。有形無形の暴力のなかで多くの仕事をひたすら自分の役割として受けとめてきたこの女性は、大人になって理不尽な職場にあっても反論どころかささやかな意見を述べることすらせずにやり過ごしてきたのだろう。心身を深く傷つけられ、その傷痕は絶えず疼いてきたはずだけれど、それを傷だと感じなくなるほど麻痺しているのではないか。わたしには、その疼きはとうてい想像できない。


もうひとり、図書館司書として四つの図書館で働いてきた女性の例。
図書館司書というのは非常に専門性の高い資格だと思っていたが、違うのか? とこの人の例を読んで思った。
彼女は、中学3年のときに父親が勤めを辞め(理由や事情は明らかにされていない)、自分は大学進学はできないと考えて、高校卒業後保育士資格を取れる教育訓練施設に進み、修了後は東京に出て保育士として働き始めた。しかし、そこで働く母親たちの余裕のないさまに直面し、自分の今後を自問。故郷に帰り、大卒資格を通信教育で取り、さらに図書館司書の資格を取る。当時は正規の図書館司書が当然のように存在していた。採用枠は少なく、就職は難しいと覚悟していたが、その後司書の非正規化が進み、臨時職員や嘱託員というかたちで、公的施設のライブラリー職員になる。時給は1000円に満たない。

《図書館司書の資格は、簡単に取得できるが、持っているだけでは専門性があるとはいえない。(中略)地域の図書館には地域の図書館司書として長期に働いて、積み上げる専門性がある。大学の図書館も同じだ。》(29ページ)

図書館員を、図書館カードと書籍に付いたバーコードをスキャンするだけの仕事だと、勘違いしている人が、この世の中には非常に多いと思う。よくないと思う。

彼女は、とりあえずいまは健康で、ひとりで暮らすぶんにはなんとかやりくりできている。しかし、親戚の冠婚葬祭などで何も心づけができないことに心を痛める。いまは健康といっても、老後に備えてなどいないし、いきなり病気になっても治療費はない。しかし、彼女はなんとか頑張ろうとしている。

《この仕事に意義を感じている司書が、全国で苦しみながらもがんばっている。私もこれからもがんばってしまうのだろう。失職するまでは。》(同)

同じ仕事を地道に積み重ねてこそ備わる専門性というものがある。なにも難しい大学、大学院を出たから専門家になるわけじゃないのだ。ネームヴァリューのある大学を出て付された学位や、難関を突破して合格し取得した資格はもちろん価値のあるものである。しかし、そうした「手続き」なしに、ひたすら取り組み続けた蓄積で得られた専門性も、見た目にわかりやすい資格以上に、敬意を表されるべきものである。
本邦は、賞とかメダルとかの獲得者や勝者ばかりを褒め讃えまつりあげる傾向がある。地道な努力に光を当て評価するということには興味がない。こういう国は、滅びる。

また、誰もが専門性をもてるわけでもない。専門性のないことを恥じる必要もない。
わたし自身は、見事に専門性は皆無である。幼い頃の夢はもちろん、大人になってこれをやろうと思って歩み始めたはずが、いつもなんだか途中で横道に逸れた。わたしの問題は、たぶんそういうことに問題意識をもたず「なんとかならあ」とふらふら生きてきたことに尽きるのだろう。しかし、それでも生きている。幸運だったとしかいいようがない。必ず誰かに助けられてきたわけである。ありがたいことだし、それはそれで素直に喜びたいと思っている。
本書の一論考には、こうある。

《転職を何度も繰り返す貧困女性は、そうしたキャリアの一貫性を構築しにくい女性の実情を描き出しているといえる。》(97ページ)

そのとおりである。ただし、わたしが本書で調査分析対象になっている女性たちと違うのは、ほぼ一貫して正社員として就業してきたことだろう。最初に勤務した大手メーカーで、企業の正社員の堅苦しさを感じたのに、わたしはその後ふらふらするなかで、アルバイトでもいいよ、仕事一本ずつの契約でもいいよと言われても、正社員として雇用してほしいと強く希望を言って採用された。会社に保障されることの意味を思い知っていたからだ。
くたくたになるまで働き詰めだったとしても、正規雇用という立場を保障されていたことは大きい。それをもたずに、派遣だのバイトだの契約だのという不安定な状態で、いつ切られるかという崖っぷちな精神状態でいると、仮に人生を切り拓こう、次のページをめくろうという気持ちがあっても、なかなか舵を切ることはできないだろう。

非正規職が身分の安定しないままなのに、なぜかフリーランスを奨励するようなことを、本邦では行政のアタマがのたまう昨今である。労働環境はますます悪化が進むばかりだ。こういう分野に自浄作用はない。放置してもよくはならない。みんなで声を上げなくてはならないのだ。

ケーススタディとして紹介された女性たちのみならず、本書の研究対象となっているすべての女性たちに安全で安心できる職場環境と報酬と保障がもたらされんことを(ついでに、わたしにも)。
40代半ばまで、あっというまに過ぎてしまったと感じている人が多いだろう。だけど、積み上げた時間のすきまに必ず幸福の種がある。それを上手に芽吹かせて、幸せになってほしいと思う。

おびただしい兵隊がおびただしい市民を殺し続けた2018/06/21 23:01:55


『証言 沖縄戦の日本兵 ——六〇年の沈黙を超えて』
國森康弘著
岩波書店(2008年)


10年前の本だけれど、どなたであれ一読をおすすめする。
というか、日本人全員が読むべき本である。
これが刊行された当時も、その前も、そして今も、「本土」による沖縄蔑視は相変わらずである。今なお沖縄が抱える諸問題を、自分の国のこととして、自身の問題として捉えて考える人は悲しいほど少ない。文字どおり彼らの問題は対岸の火事であり、どこまでも他人事(ひとごと)なのである。
わたしたちヤマトンチューにとって沖縄は恰好のリゾート地であり、美しい海と珊瑚礁が迎えてくれる非日常の舞台であり、琉球という「異文化」に触れることのできる安上がりな旅先である。わたし自身、ハワイやグアムなんぞに行くぐらいなら沖縄のほうが何万倍もいいと思う。そう思いながらまだ沖縄本島には行ったことがないけれど。
宮古島には幼かった娘を連れて二度行った。子どもを喜ばせるというよりも自分自身の骨休めの意味合いの強い旅だったので、観光よりただ海辺で寝そべっていた時間のほうが長かった気がする。二回めは娘がもう小学生になっていたので、夏休みの宿題のネタにできそうなことはひととおりしたかな。グラスボートに乗って海の生き物を覗いたり、シュノーケリング体験をした。
このようにヤマトンチューは沖縄をリゾート地として消費している。もちろん、ここで悲惨な戦闘があり、無策で無能な日本軍のせいで死ななくてもいい多くの地元住民の命が失われたことは、史実としてみな知っている。しかし、現代のわたしたちはそれをまるで知らないかのように振る舞って沖縄で幸せなひとときを過ごすことが善であるように勘違いをしている。
沖縄を観光で訪れ、お金を落とすことは重要だ。もっとどんどんやるべきだ。だがわたしたちは琉球王国を日本に併合し、次には米国に差し出し基地の掃き溜めにしたヤマトの人間であるという自覚をつねにもっていなければならないと思う。敗戦の事実はいずれ単なる史実として歴史書に記載されるだけであるが、その敗戦に至る長い時間のなかで、おびただしい兵隊がおびただしい市民を殺し続けた。わたしたちはその兵隊たちの子孫なのだ。
第二次大戦は、人間が面と向かって人間を殺した戦争だった。
本書で著者は、多くの証人に重い口を開かせ、経験談を引き出している。ひとりひとりがその手で殺した人間の命に思いを馳せ、体験を語っている。著者の筆致は、淡々としている。そのことがいっそう、事実を重く突きつける。

読むのは辛いが、本書はコンパクトにまとめられており、重いテーマのわりにはすっすっと読み進むことができる。これがすべてではないし、ほんらいもっと多くの証言や証拠を掘り起こし記録して、映像化などによって広く周知するべきである。「日本人の必須基礎知識」のひとつである。

Bonne année 2016!2016/01/04 01:19:59

2016年になっちゃいました。
あれれ? という感じです。
忙しくしていまして、ついついここがほったらかしになってしまいました。少し手入れをしてまた書き始めようと思っています。

そんなわけですが、とりあえず、

あけましておめでとうございます。

本読みブログのつもりですが、もちろん本は読んでいますが仕事がらみで読むことがますます増えて、なんだかしっとりいい気分になるということが少ないんですよね。どんな本も、どのような理由で読む場合も、多寡はあれど必ず有意義なんですけどね。

ブログに書くってことは、多寡はあれど読み手の存在を意識しますよね、いちおう。いいも悪いも正直に書くにしろ、そのことじたい面白がってもらわなくちゃ書く意味ないと思ってるんですね、私は。そんなふうにあれこれ思いめぐらすとけっこう時間かかっちゃってタイムリミットが来てしまうのです。

2014年の3月で会社勤めを辞めましたが、あんなにカンカンにいっぱいいっぱいになって働いていたのに、そしてそれを辞めたのに、真実自分のエッセンシャルな自由時間は少なくなりました。融通は利きますし、時間配分も自分で決められる生活ですけれども、けっきょく、勤めを辞めて得た時間のほとんどを家事と介護に充てており、その家事と介護の範囲でのやりくりや効率化をもっと革命的に行わない限り、好きなことをする時間なんて持てないのです。だって、家事と介護の時間以外の時間を使って稼がなくちゃならないでしょ。

と、そんなことをうだうだ言ってる間に世の中は進歩しちゃって、私がブログ書きに主に使っているMacBookも古くなって、負荷が大きいのかとても動きが鈍くて、アサブロの管理画面の操作も思うようにいかないことがしょっちゅう。そうね、これがいちばん大きな理由かな。久しぶりだしなんか書いとくかあ、と思って開こうとしてもちっとも画面が開いてくれなかったり、開かないまま途中で止まったり、やっと開いても入力(漢字変換)が進まなかったり。
今は、珍しくすいすいと入力できてる。キーを叩くのと変換して入力されていくのとスピードがほとんど一緒。いつもこんなだといいのに。

今年も更新は頻繁ではないかもしれませんけど、ブログを止める予定はありませんから、よければ時々覗いてくださいまし。更新してなくても、私は元気で何のかのといつもウロチョロしています。京都へ来られる時はお声かけくださいね。

それではまた次の機会に。

本年のご多幸をお祈りしつつ。

Urgent!2014/10/02 12:12:46

署名をお願いします!

「決して他人事だと思わないでください。安全圏はありません。これが見過ごされるならば、あらゆる論題に関する言論が同種の攻撃にさらされるおそれがあります。そして実際にそうなってからではもはや遅いのです」(Change)
http://chn.ge/1yyWaBy 

私も署名しました。

下記も参照してください。

http://www.labornetjp.org/news/2014/1411366582356staff01

この脅迫問題については、植村氏らを追放しろだとか抹殺せよだとか物騒な言葉でこの許し難いテロ行為を肯定する人びとが非常に多いことが、たとえば当事者の名前で検索をかけるとよくわかり、唖然とする。いったい、この国の人びとが持って(いると私は思っていたんだけれども)いた良識とか慎み深さとか、そういうものはもう完全に消滅してしまったのだろうか。いや、私だって上品とは言えない言葉でアホ安倍を罵ることはしょっちゅうだが、一国の国家元首がつねに支援と罵倒の両方を受けるのは宿命である。賛辞と批判に晒されるのは無視されていないという証拠だから、喜べよ、アベ。だが、植村氏は、一記者にすぎない。そして現在は記者を辞めている。いったい、彼の罪は何? 第二次大戦時の大日本帝国陸海空軍の罪に比べて、どうなの? そして今日、信じられない悪政で日本を内から滅ぼそうとしているアベ&his friendsの罪と比べて、いったい?

いろいろ探したけどありすぎて(苦笑)
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-5971.html
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-5978.html

http://lite-ra.com/2014/09/post-507.html

http://m-hyodo.com/circumstance-2/

http://kuronekonotango.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-0693.html

http://ianhu.g.hatena.ne.jp/nagaikazu/20140901

こっちも見過ごせないよ。
http://news.livedoor.com/article/detail/9310435/

マジ、許せん。

追加します。2014.10.3
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20141002/272048/
http://blog.goo.ne.jp/okunagairi_2007/e/89602fff310eaca1a41fb0a870ff641b

Il neige...2014/04/07 22:27:29

筆記用具、持ってる?
『書く力をつけよう 手紙・作文・小論文』
工藤信彦著
岩波ジュニア新書(1983年)


娘からぽつりぽつりと来るメールを読むたびに、ああほんまにお前は作文コンクールなるもので三度も賞を獲ったのか、ほんまにお前は出願時の自己PR書提出と試験日の小論文とで高校入試を突破できたのか、それって全部何かの間違いだったんじゃないのか、といちいち思う。それほどまでにヤツの文章には誤字誤変換が多く、口語と文語の区別ができてなくて、主従がねじれて、文章の主体が不明で、議論は支離滅裂である。今始まったことではないし、我が娘に限った話ではない。そんなことから、2、3年前だが、ここはひとつ青少年の未来のために小論文塾をやるぞという話が私の周囲で一度盛り上がったのだが、塾用のサイトをつくるぞ!と言っていた人の体調がすぐれず立ち消えになった。だがもし始めていたらどうだったか。どんな形で始めたにせよ、今の子どもたちの手の施しようのないほどの「書けなさ」に愕然とするばかりだったんじゃなかろうか。書けないだけではない。きちんと話せない。ひと昔前の日本人と違って今の子どもたちは人前で話すことを怖がらないが、それときれいに話せるということとは別問題である。ふだんラジオを聴いているのでよくわかる。若いアナウンサーたちは、アナウンサーを名乗るための訓練を受けている人たちである。美しい声の持ち主たちである。発音もよい。明朗である。しかし、話しかたは美しくない。ニュースを読んでいる時を除いて。はっきりと言葉を発音するが、例外なく「ら抜き」であり、必要以上に語尾が伸びる。とにかくなんでもどんな時でも最後に「で」をくっつけて、「それでぇ〜」「○○でぇ〜」「△△になったんでぇ〜」「なのでえー、それは違うということでぇー」……。
破綻しているのは娘の文章だけではない。日本全体の話し言葉と書き言葉だ。つまり日本語の遣われかたそのものが破綻している。
私たちの先行世代が育てて世に出した駆け出し社会人たちがこのていたらくであるということは、先行世代の日本語もアヤシイものであり、こうなると、私たちが育てて世に出さんとしている青少年たちはもっとアヤシく、私たち=青少年の親たちの日本語もアヤシイ。アヤシイもんたちがアヤシイもんたちを育ててアヤシさの二乗三乗にしたらアヤシイがふつうになりアヤシイのスペリオールが出現しさらにアヤシイものを求める世となってしまうだろう。アヤシイ日本語に歯止めが効かなくなる。

そんなところで、こそこそと小論文塾サイトを開いても、焼け石に水。

そうした絶望感に苛まれていたある日、仕事帰りに立ち寄った本屋で目に留まったのが本書である。

表紙がいい。
HBの鉛筆がある。万年筆もある。

著者の工藤先生は1930年生まれの国語の先生だ。
本書はとても真面目で地に足着いた、綴り方の学習書である。
日記を書くことの楽しさと、思わぬ効用を語る。
手紙を書く時の礼儀作法を説く。
感想文を書く時の、対象作品に対する心得を、丁寧に述べる。
奇をてらったテクニックや、必ず試験に出るテーマだとか、これを知っておけば試験はクリアできるとか、そんなことは1行も書いてなくて、文章を書くという行為のシンプルなよさ、楽しさを知らせたいという情熱にあふれている。

《みなさんは、文章を書くということを、どのように考えていますか。心のなかにもやもやと存在しているものを、ことばで書き表わしてみると、自分の感じたり考えたりしていることが、はっきりと見えてきて、それによって自分をあらためて見直すということがあるでしょう。文章には、心で感じたり考えたりしていることを、整理する働きがあります。
 また、文章を通して自分が考えたことを相手に伝え、相手からもまた考えを示されて、お互いに心を通じあって生きてゆくことができます。これは、人生において文章のもつ重要な役割です。》(2ページ)

冒頭のこの数行で、この先生がどれほど日本語と日本語で書くことを愛しているかがわかるというものである。なんと、文章を書くということは単純で素直な営みなのであろうか。こんなに単純で素直なことならなぜに私たちは文章を書くことにこれほど四苦八苦するのか。

《ことばは心を裏切ると、よく言います。感じたことや考えたことをことばで表現してみると、どこか気持ちとくいちがってくるのです。ことばはなかなか心を正直に伝えてくれません。ことばを見出せないもどかしさがペンを止めてしまいます。》(3ページ)

「ことばを見出せないもどかしさがペンを止めてしま」うだなんて、ああ、工藤先生、あなたは詩人ね。書けずに苦しみ、んんががががコンチクショウ、と叫ぶさまを、「ことばを見出せないもどかしさがペンを止めてしま」う、とこれほどまでに美しい表現で言い放った人がいたか? しかも、べつに美辞麗句を連ねているわけではない。
しかし私たちが日常ぶち当たっているのはまさしく「ことばを見出せないもどかしさ」なのである。

感想文の章で工藤先生は三好達治の詩を引いて、こう述べる。

《詩の読み方には、その作品を読む人のさまざまな読み方があっていいでしょう。この詩で注目したいところは、〈雪ふりつむ〉という表現です。
 みなさんの知っている雪はどのように降りますか。遠い異国となってしまったサハリン(旧南樺太)生まれの私の記憶の中には、雪は降らせるものではなく、降りゆくものでしかありません。(中略)雪の降り方が一様でないように、人びとの雪の感覚もまた、多彩なのです。したがって、いくつかの感じ方があるのではなく、一人の人間には一つの感じ方しかできないことを知ることが、大切なのです。》(113〜114ページ)

日本語は、雨や雪、風や陽射しなど天候や自然現象の表現に富むとはよくいわれるところだ。とはいえ、数多の表現のあることと、ある人間の感じかたのありようとはかかわりがない。降る雪をみてどう感じるかは雪を見る本人固有のものだ。
三好達治が「ふりつむ」と表現した雪は、三好が見た雪だ。三好の見た雪を想像する。もはや降る雪を三好と同じ時間空間では見られない以上、想像するしかない。ここで想像力が問われるが、「一人の人間には一つの感じ方しかできない」。とすれば、「ふりつむ」ってあんなんかな、こんなんかなと思い描くのではなくて、ただ三好が見た雪を三好になって心眼で見る。
そうすると、この詩を対象にした感想文なんぞ、シンプルにシャッと書き上がるであろう。
だが、けっして、近道をガイドする学習書ではない。そうではなくて、きちんと射るべき的を射ること、「コア」を見誤らないこと、回り道になってもたどるべき場所をたどること。それらのことは工藤先生も力説しておられる。

それにしても、工藤先生の文章は「の」がきれいだ。「の」を美しく使うこと。現在失われている用法のうち、いちばん忘れて欲しくないのが「の」である。どの「の」のことか、わかる?

Moi non plus, je n'aime pas les jeux d'olympiques.2014/04/05 21:53:27

表紙もイマイチだ。オリンピックのメインスタジアムには見えないぞ。地区予選会場みたい、中学生の。
『街場の五輪論』
内田樹、小田嶋隆、平川克美共著
朝日新聞出版(2014年2月)


つねづね申し上げているように、東京オリンピックの招致には大反対だったわけである。東京だろうが大阪だろうが名古屋だろうが、大反対なのである。私はスポーツ観戦は好きだし、オリンピックで活躍するなんて、およそスポーツ好きな人間なら一度は夢見る頂点の栄誉だ。そのことだって否定しない。でも、オリンピックというイベントは全然好きではないのである。個別のゲームの観戦はしないでもない。昔から体操の演技は好きであった。ナディア・コマネチなんて私が男なら、今の表現でいえば「萌え」まくっていたであろう。新体操とかシンクロはあまり好きではなかったが、水泳の岩崎恭子ちゃんとか長崎宏子ちゃん(だったよね)には大いに期待したものだったし。でも、なんというか、個別に応援したい選手を目一杯応援する機会であるとか、よく観ておきたい種目をとびきり上等なプレイヤー達のプレイで観られる機会であるとか、普段は知らないスポーツについても観戦の機会があるとか、そういう個人的な趣味の範囲を満足させてくれる要素というのは、それぞれの競技のそれぞれの大会で得ればよいことであって、オリンピックというごたいそうなイベントにしてご提供いただかなくても困らないのである。こんな私のような者でもスポーツに打ち込んだ経験も勝利に酔った経験も怪我でプレイを断念した経験もあるので、思うような結果を出せなかった選手の気持ち、存分に力を出し切っても負けた選手の気持ち、てなものだって少しはわかるのである。目の前の勝負に全力を出し切ることだってたいへんなのに、背後でメダルの数をカウントされたり、国家の威信がどうのこうのと言われたり、経済的波及効果は何億円とか算盤はじかれたりして、そりゃいったいスポーツなのかいって話だよ。お国のために戦うなんて、もう第二次世界大戦の敗戦でこりごりじゃんか。お国のために戦うという言葉を使わなくても、ニッポンのみなさんの期待に応えますっていうのはつまり、同じことじゃんか。やめようよ、もう、そういうの、ってつくづく思うのよ。気持ち悪いって。というわけで、なぜ東京にオリンピックが来て欲しくなかったかと言うと、このイベント、ひたすら気持ち悪いからである。いえ私はね、前の東京オリンピックの年に生まれたざんすよ。自分の年を数えたり、生まれた頃の時代を想像するのにこれはとても便利だよ。1964年という年、当時は冬季五輪も同じ年に開催されていたからどっかで冬のオリンピックやってたんだよね、それと阪神がリーグ優勝してるのよウチのオヤジは大喜びだったらしいよ私が虎の優勝を呼んだって(笑)。海外旅行もできるようになったんだってこの年から(それまでできなかったってのが信じられないんだけどね、そんな国そんな時代だったんだよ)。敗戦後約20年経って、やっと顔を上げて世界に向けて「こんにちは、ニッポンです」っていえるようになった頃だったんだ。オリンピックはそんなニッポンにキラキラのメダルをくれたんだ。だから開会式の10月10日を体育の日として日本人の記憶に刷り込みたいと思ったんだろうに、どっかのアホがハッピーマンデーとか言って10月10日を忘却の彼方に押しやってしまった。その頃からじゃないか、オリンピックが金の亡者たちのための金儲けのためだけのイベントに成り下がったのは。2020年。きっと、それぞれにとって忘れ難いさまざまな出来事に彩られることになるであろう2020年、その一年の中でひときわ輝く東京オリンピック。ほんとうにそうなればいい。そのとき、日本と日本人が、心の底から世界の人々を迎え入れることができ、心の底から国際交流と親善のために選手と関係者と観戦に来る人々をもてなすことができ、心の底から世界の人々と笑い、語らうことができ、豊かな自然を湛える美しい国土と清廉な大和魂を印象づけることができればいい。何の憂いもなく、心に疚しいことの微塵もなく、後ろめたい気分などかけらもない、晴れ晴れとした気持ちでオリンピックを開催できるなら、いい。

しかし、そんなこてゃーありゃーせんがよー、と思う人たちが、なぜそう思うのかを好きなだけくっちゃべっているのが本書である。2013年10月に行われた鼎談を収録したものだ。

ふだんウチダのブログや書き物を読んでいる私には、目新しい内容ではないことはわかっていた。それでもこの本を買ったのは、やはりオリンピック招致キャンペーンが余りにも気持ち悪くそらぞらしく、無邪気に一生懸命になっている人たちには悪いけど安倍や猪瀬が目立ちたいだけのパフォーマンスにいいようにつきあわされているようにしか見えなくて、吐きそうになるくらい嫌だった、だから、この本を読めば、「そうよ、そのとおりよねウチダ」「同感だわウチダ」「あなたって私の分身のようだわウチダ」「私の気持ち全部知ってるのねウチダ」「あなた以外に私を理解してくれる人なんかいないわウチダ」……とこのようにウチダLOVE全開になれて鬱々とした日々のモヤモヤをすっ飛ばせるかと思ったのである。

しかし。

たしかに内容は、「そうよ、そのとおりよね」「同感だわ」の連続なんだけど、うなずく相手がウチダではないのである。小田嶋や平川なのである。この本さ、わたし、頼んでもいないのにAmazon.co.jpから内田樹の新刊が出ますよってメール来たのよ、それって内田樹が著者ってことでしょ。でもよく見たら共著で、しかも鼎談だって。どうしようかなってかなり迷ったけれどもやはり先述のような理由から買うことを決め、予約を入れたのである。こんなふうにまだ出てもいない本を予約して買うなんて、チョー珍しいことなのだ、わたしの場合。いちおう期待したのである、中身に。なのに届いた本を読むと(数時間で読んでしまった)、小田嶋と平川ばかりが喋っている。ウチダ、セリフ少なっ。これ、そう思うの私だけかな? なんかさ、すっごく、めっさめさ、騙された気分(笑)。

しかし、まあ、3人が3人とも今回の五輪招致騒ぎを苦々しく思い、招致が決まって憂鬱になっている人々なので、主張は一緒で、同じ考えをもつ者にとって読みやすくひたすら相づちを打ちながら読み進める1冊には違いない。自分のモヤモヤを誰でもいいから言葉にしてくれないかなと思ったらこれを読めばきれいに言葉になっていて、一時的にはスッキリする。しかしその「モヤモヤ」は著者たちももっているので、けっきょくこのモヤモヤなんとかしてくれよどうにかならんかい、という感じで鼎談が終わるので、モヤモヤの根本原因の解決には、もちろんならない。ならないが、オリンピックなんかやめようぜと思う人が少なくとも自分を含めて4人居ることがわかったんだし、ならばもう少しいるだろうということで、希望をもつこともできる。

何の希望?
東京オリンピックの中止。
……無理か……。

何の希望?
まともな思考の日本人も少しは存在すること。
ほんまやで、たのむわ。

Idiot...2013/11/19 12:01:00

(写真は「田中龍作ジャーナル」11月18日より)


東日本大震災の混乱を収拾できないお子ちゃま内閣でおろおろしていた民主党をののしり、自民党のほうが何倍もましだと声高に発言していた人がたくさんいたが、この事態になっても、いまなお本当にそう思っているのだろうか? 民主党はほんとうにスカポンタンだったけれども、それでもジミントーの数万倍ましだった(注:野田が首相になる前まで)。混乱は続いただろうし、福島原発が危険であることは同じだろうし、列島の汚染が進むのも同じだろうし。だけど、憲法改悪や秘密保護法なんて話は出なかっただろう(わかんないけど)。お子ちゃまなりに、もうちょっとバカ正直な政治をして(わかんないけど)、おめーらあほやろーと多方面からいわれながら、でも、やってることはこっち(国民)の側からはよく見えたんじゃないか。……ま、わかんないけどね。なんたって「亜ジミントー」だからな。「自由民主党」の「自由」を取っただけの党名だもん、ジミントーのできそこないだったわけだよ、といったらジミントーのほうが「できてる」みたいにきこえるだろうけど、「悪党」より「悪党のできそこない」のほうがましだ。

反対の声を挙げなくてはいけないんだよ、アホアベのやってることすべてに。アホアベの存在自体にもNOといいたい。気持ち悪い。今、自分の人生で最悪、この国。


ではいくつか引用。

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「田中龍作ジャーナル」11月18日
http://tanakaryusaku.jp/2013/11/0008221

そして、メディアは日本を戦争に導いた
2013年11月18日 17:37

昭和の暗い時代と似てきたことに二人は警鐘を鳴らす。

「背筋が寒くなると同時にマスコミに怒り」。歴史に詳しい2人の作家(半藤一利、保阪正康両氏)が対談した『そして、メディアは日本を戦争に導いた』(東洋経済新報社刊)を読み進めるうちに、こうした思いがこみ上げてきた。

同著は半藤氏が自民党の改憲草案に愕然とするところから始まる―
表現の自由を定めた憲法21条の1項は原行憲法と何ら変わりない。だが「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない」とする第2項が新設されている。
半藤氏はこれを報じた新聞をビリビリと引き裂いてしまった、という。その怒りを次のように説明する―

「公益」「公の秩序」とはいくらでも広げて解釈が可能である。要するに「権力者」の利益と同義であり、それに反するものは「認められない」。すなわち罰せられる、弾圧されることは明らかだ。昭和史が証明している。
改元から昭和20年8月15日までの昭和史において、言論と出版の自由がいかにして奪われてきたことか。それを知れば、権力を掌握するものがその権力を安泰にし強固にするために拡大解釈がいくらでも可能な条項を織り込んだ法を作り、それによって民草からさまざまな自由を奪ってきたことがイヤというほどよくわかる。権力者はいつの時代にも同じ手口を使うものなのである。
改憲草案の9条2項は「国防軍創設」を明言し、集団的自衛権の行使を可能にする。不戦の誓いである憲法9条を戦争ができる条文に変えているのが、改憲草案の真髄だ。安倍政権の真骨頂でもある。


11日、TVキャスターたちが「秘密保護法反対」の記者会見を開いた。筆者が「遅きに失したのではないか?」と質問すると、岸井成格氏(TBSに出演/毎日新聞特別編集委員)は「こんな法案がまさか通るとは思っていなかった」と説明した。
ベテラン政治記者の岸井氏が、自民党の改憲草案を読んでいないはずはない。安倍晋三首相のタカ派的性格を知らぬはずはない。

半藤氏と保阪氏はメディアの戦争責任を厳しく追及する。軍部の検閲で筆を曲げられたと捉えられているが、そうではない。新聞は売上部数を伸ばすために戦争に協力したのである。
日露戦争(1904年~)の際、「戦争反対」の新聞は部数をドンドン減らしたが、「戦争賛成」の新聞は部数をガンガン伸ばした。日露戦争開戦前と終戦後を比較すると次のようになる―

『大阪朝日新聞』11万部 → 30万部、
『東京朝日新聞』7万3,000部 → 20万部、
『大阪毎日新聞』9万2,000部 → 27万部、
『報知新聞』  8万3,000部 → 30万部
『都新聞』   4万5,000部 → 9万5,000部

いずれも2倍、3倍の伸びだ。半藤氏は「ジャーナリズムは日露戦争で、戦争が売り上げを伸ばすことを学んだ」「“戦争は商売になる”と新聞が学んだことをしっかりと覚えておかねばならない」と指摘している。

半藤氏はとりわけ朝日新聞に厳しい。満州事変が起きた昭和6年当時に触れ「朝日新聞は70年社史で“新聞社はすべて沈黙を余儀なくされた”とお書きになっているが、違いますね。商売のために軍部と一緒になって走ったんですよ」と。
『大阪朝日』は満州事変直後までは反戦で頑張っていたが、不買運動の前に白旗をあげた。役員会議で編集局長が「軍部を絶対批判せず、極力これを支持すべきこと」と発言した。発言は憲兵調書に残っている。会社の誰かが憲兵に会議の内容を渡した、ということだ。

「民主主義のために新聞・テレビが戦っている」などと ゆめゆめ 思ってはいけない。ブッシュ政権のイラク侵攻(2001年)を小泉首相が支持すると、日本のマスコミはこぞって戦争賛成に回った。
国民に消費税増税を押し付けながら、自らには軽減税率の適用を求める。これがマスコミの実態だ。彼らは部数を伸ばし視聴率を上げるためなら、国民を戦争に導くことも厭わない。

(出典:『そして、メディアは日本を戦争に導いた』より)
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下記リンクも読まれたし。

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「レイバーネット」
国会前で「秘密保護法反対」座り込み始まる~新社会党が呼びかけ
http://www.labornetjp.org/news/2013/1118shasin
「Finance GreenWatch」
スイスメディアも日本の特定秘密法案に懸念
http://financegreenwatch.org/jp/?p=38379
「かっちの言い分」
ばかな自民党の補完野党が、戦後最大の悪法制定に加担する
http://31634308.at.webry.info/201311/article_15.html
「カレイドスコープ」
秘密保護法案21日にも衆院通過か、そのとき自民党も終わる
http://kaleido11.blog.fc2.com/blog-entry-2484.html



「村野瀬玲奈の秘書課広報室」11月19日
「みんなの党」が特定秘密保護法案成立に向けて自民党に協力。「みんなの党」に抗議したい。
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-5024.html

(抜粋)

「みんなの党」が自民党に協力する「合意」がなされたと報道されています。みんなの党は自民党と違いはないと思っていましたからそんなに驚きはありませんが、「残念」です。それに触れたツイートで、同意できるもの、私が気づかなかったことを指摘していたものをメモ。

Pumpkin King @japanwings
みんな反対してるのに、どこらへんが「みんなの党」なのでしょうか?

はたともこ @hatatomoko
みんなの党が秘密保護法案で自公と修正合意、賛成するとの報道。首相が特定秘密の指定・基準作成など「首相が指揮監督」の修正内容。右傾化・軍国主義化の張本人・安倍総理が監督すれば、改善どころか改悪!みんなの党の山田太郎・川田龍平参院議員は反対勉強会の呼びかけ人。一体どうなっているのか。

Shoko Egawa @amneris84
この報道が事実なら、みんなの党は終わりですにゃ。官僚支配の打破を言いながら、官僚の情報支配を促進する法律に協力するとは。 →秘密保護法案:与党とみんなの党 19日大筋合意の見通し

徳永みちお @tokunagamichio
プライムNを見ていたら、みんなの党の浅尾が、特定秘密の指定を「政府」ではなく「首相」が定めるとした案を提示して特定秘密保護法案に賛同するとアホな事言ってたけど、、それって首相の胸三寸で、どんな倒閣運動も特定秘密違反ということで公安を使って阻止出来るようになるということじゃん!

ジャーナリスト 田中稔 @minorucchu
特定秘密保護法案の修正協議。けさ、NHKで安達宜正解説委員が指摘した通り、みんなの党が与党と合意する方向になった。ただ、衆議院の採決はこれから。参議院もある。反対世論を盛り上げ、廃案に。民主主義を守る戦い。

renbou-T @renbouT
秘密保護法案の「修正」協議でわかったことがある。法案を自公は胸を張って語れないのだ。だから法案成立にむけた共同戦犯が必要なのだ。国民の圧倒的な共感・支持を得られず成立させられる法律は法律と呼べるのか。与党がどんな形で法案を強行しようとも、必ず大波乱がおきる。

満田夏花 @kannamitsuta
本日、40人の市民が、みんなの党を中心に議員事務所まわりをまわり、「妥協せずに、反対を!」と訴えました。
明日(11/19)もやります!
⇒ ☆市民500人で国会に行こう!☆ STOP!! 秘密保護法 みんなのアクション

深草 徹 @tofuka01
特定秘密保護法案、自民、公明には反対を、みんな、維新、民主には部分的修正で成立させてはならないことを一人ひとりの創意と工夫で訴えましょう。この1週間、インターネットの力で生まれ変わりつつあるグラスルーツ・デモクラシーの輝かしい成果を歴史に刻みつけるべく頑張ろうではありませんか。

キレネンコ 特定秘密保護法案にNO @YumGreens
正念場です。みんなの党本部に明日の朝行ける人は行きましょう。
みんなの党は、自民の〝補完勢力〟として、秘密保護法を明日採決しようとしています。もう声を上げるのが明日しかないのです。

社民党OfficialTweet @SDPJapan
【秘密保護法案 廃案しかない】
秘密保護法案に反対する超党派国会議員の街頭宣伝が13日、東京・有楽町で行なわれ、社民、民主、共産、生活、新党大地各党の議員が参加した。
(社会新報11月20日号)


さらに重要な指摘を追加。


ののまみ 秘密保護法反対を議員に伝えよう @nonomami
フクイチ4号機燃料棒取り出し・・・わざと秘密保護法とぶつけてくる・・・同時多発で情報操作。秘密保護法のニュースが消える・・・これぞ「静かにやろうぜ」の<ナチスの手口

兵頭正俊 @hyodo_masatoshi
御用メディアの4号機の伝え方は、典型的な愚民観に基づいている。つまり取り出し作業が失敗したときに愚民どもに非難されないように、ニュースとしては流す。しかし、愚民どもがパニックに陥らないように、真実は語らない。これが、特定秘密保護法案を先取りした「公益を図る目的」の報道なのである。

FUJII Hiroyuki @fjhiro3
戦前も大政翼賛会化して民主主義が破壊されたわけだがまた繰り返すのか。「公明・維新・みんな」の罪は重い。
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数日前の、愛するウチダのツイート。

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内田樹 @levinassien
電話取材で「小泉元首相の脱原発発言をどう思うか?」アンケート。小泉さんがフィンランドに行ってそこで放射性物質処理の難しさを知って反原発に転じたというストーリーを本気にしているジャーナリストがいるとしたら、よほどナイーブな方でしょうとお答えしました。

内田樹 @levinassien
フィンランドに行くまで放射性物質の処理の技術的困難さについて「知らなかった」政治家が日本の原子力行政のトップにいたという話を信じる人がいることが僕には信じられません。彼は「複雑な問題を単純な問題に還元する」政治技術の達人です。そのことをみんなもう忘れちゃったのかな。

内田樹 @levinassien
かつては靖国神社公式参拝の有無に外交問題を縮減して「首相が靖国に行くかゆかないかを世界中が固唾を呑んで見守る」という特権的状況を作り出しました。その次は日本社会のすべてのシステム不調を「郵政民営化されていないからだ」というシングルイシューに還元して選挙に圧勝しました。

内田樹 @levinassien
複雑な政治的ファクターをわかりやすいシングルイシューにとりまとめて、それを仕上げて「すべては解決した」と言い切って、ほんとうの問題から国民の目をそらせるように仕向ける技術において、小泉さんは天才です。たいしたものです。今だってすべてのメディアが手のひらで転がされている。

内田樹 @levinassien
今の問題は「最終処理場があるのか、ないのか」だけに縮減されました。「ない」なら原発を止める、はい、おしまい。それまでの原子力行政のすべての失態と犯罪的行為についてはさらりとスルー。「処理場がある」なら原発再稼働を阻害する理由は何もない、という話になります。

内田樹 @levinassien
安倍自民党のアイディアは、小泉反原発をレバレッジにして原発問題を「ゴミ捨て場の有無」に縮減し、「捨てる場はある、だから原発再稼働に問題はない」という結論に世論を誘導することだと僕には思えます。どこにあるのかって?安倍さんが「完全にブロック」したがっているあそこですよ。

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まったく、いったいどこのどなたさんたちがジミントーを支え続け、アホアベを育てて担ぎ出し、またしてもジミントーを勝たせて、第二次大日本帝国へと突き進ませているのか。ジミントー支持者たちに唾吐きたい気分だが、その唾は私自身に跳ね返る。この事態は私たち全員の怠慢の賜物だ。だからこそ、いまはなにがなんでも反対の声を挙げなくてはならない。

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「原発隣接地帯から: 脱原発を考えるブログ」
β線汚染物質、明らかに海へ
http://fkuoka.blog.fc2.com/blog-entry-971.html

「JANJAN Blog」
子どもたちに負の遺産は残せないー熊谷あさ子さんの遺志ー
http://www.janjanblog.com/archives/103763

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下記は少し前のエントリーだが、いま一度読み返したい。

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「福島 フクシマ FUKUSHIMA」
汚染水より深刻  使用済み核燃料の取り出し ――収束作業の現場からⅡ
http://fukushima20110311.blog.fc2.com/
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今朝の新聞には燃料棒取り出し!と嬉しそうな見出しが躍っていた。なんだか「できたよママ!」みたいな。しかしとてつもなく危険なのだ。危険は危険なのである。国は知っているのだ。再度村野瀬さんち。

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「村野瀬玲奈の秘書課広報室」
関東以北への「警戒」
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-5025.html

これは一つの重大な警告。

ケイシー まつおか @Casey_Matsuoka
危機管理会社より連絡がありました。
18日から2週間、警戒レベルが上がります。
「火急の用以外の東北・関東へ渡航自粛」から
「関東以北への全面渡航自粛」に。
子供がいるアライアンス企業従業員に
家族の帰国を勧め、帰国できない場合も
すぐに出国できるよう常時準備を要請されています。
2013年11月17日 5:34 AM

ケイシー まつおか @Casey_Matsuoka
【緊急のお願い】
大地震、原発事故の被害状況は
まず在日米軍、在日公館、主要外資系企業に
伝達されます。
地震発生時は在日米軍の動きにご注目下さい。
また、外資系企業のお知り合いのご家族からも
情報を収集して下さい。
3日分の食料・飲料水・防寒具・薬品等の
ご常備もお願いします。
2013年11月17日 5:44 AM


なぜかといえば、『東電福島第一原発の燃料棒取り出し作業には人類史上最大級の危険が伴うと思った方がよいのか。 (4)』で書いたことが理由と考えられます。

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この警告を押さえつつ、騒ぎに乗じどさくさにまぎれて全部やりたい放題しようとするアホアベ一味を放置してはならない。ったく、サイテー。

Tu peux enlever de la peau de pomme sans cassée?2013/10/31 20:02:26

史上最強の雑談(6)

『人間の建設』
小林秀雄、岡潔 著
新潮文庫(2010年)


ある知人が、齢93になるさる御方から茶を習っている。93という御歳で人にものを教えることができるという、その事実だけでもうひれ伏したいくらい尊敬に値する。わたしは茶道はまったく門外漢だが、そのことは今さらどうしようもないので恥じることはないと思っている。しかし茶道を心得た人(にもいろいろあるので一概には言えないけれども)はおしなべて態度が謙虚で(態度だけだったりもするけど)、気働きにすぐれている。気が利くのである。みなまで言わずとも判じるのである。冴えているわけである。さらに、茶を嗜む人は食事の時など手の動作が美しい。もちろん立居振舞もたおやかできれいだ。それは、舞踊をする人のピシッと背中の伸びた美しさとはちょっと違う。もう少し、体の重心が下に位置しているような、そして危なげなく、しかしけっしてどっしりしているのではなくて、和服の裾さばきも軽やかに、しなやかに動作されるのである。凛々しさとなよやかさが共存し均衡した美しさを保つのは日本人のなせる業だと思うのだがどうであろうか。
知人が知る茶人には90を超えた人がぞろぞろいるといい、どの御方もしゃきっとなさってて頭脳明晰言語明瞭、茶の湯の心を後世に伝えねばという使命感の強さには圧倒されるという。知人の師匠も、そうと知らずにそのかたを街角で見かけたらたぶんただの縮こまったお婆さんにしか見えないのだ。見えないのに、ひとたび茶室に入ったら彼女は縮こまった婆さんなどでは全然なく、360度の視界をもち些細な瑕疵も見逃さず間髪入れずに叱咤するスパルタ師匠なのである。怖い(笑)。
美を愛でる、美を追求するということは特別なことではない。足元に落ちてきた枯葉の色に季節を感じたり、絵具では出せない微妙な色を見出したり、その葉にもかつて命が宿っていたことに思いを馳せたり。だか、といったようなことは、いちいち言葉にするとめんどくさいが、人であれば瞬時に心をよぎるのである。きらりん、とからだのどこかに響くなにものかだ。理屈でなく、情緒なのである。いい男とすれ違うその瞬間に胸キュンとなるその感じ、それはただキュンとするだけである。ただううっとかおおっとか胸に迫るものがあったり、ぎゅっと心をつかまれたりぐりぐりされたりする感じ。おお、前からよさげなスーツを着て歩いてくる30代後半とおぼしき青年は目鼻立ちがすっきりくっきりしていてなかなかイケメンな感じだわおいしそうだわつまみぐいしたいわ、なんて、言葉にしてしまうとたしかにこれくらい、あるいはこれ以上の感動(?)を、0.001秒くらいの間に胸に響かせているにしても、言葉でなく情緒で人は喜怒哀楽を素直に感じては吐露するものなのである。毎秒のように。

情緒豊かな人は、生命の尊さにあふれているのである。それは純粋である。

《岡 情緒というものは、人本然のもので、それに従っていれば、自分で人類を滅ぼしてしまうような間違いは起きないのです。現在の状態では、それをやりかねないと思うのです。》(「人間と人生への無知」45ページ)

《岡 (前略)欧米人には小我をもって自己と考える欠点があり、それが指導層を貫いているようです。いまの人類文化というものは、一口に言えば、内容は生存競争だと思います。生存競争が内容である間は、人類時代とはいえない、獣類時代である。》(「人間と人生への無知」48ページ)

《岡 (前略)何しろいまの理論物理学のようなものが実在するということを信じさせる最大のものは、原子爆弾とか水素爆弾をつくれたということでしょうが、あれは破壊なんです。ところが、破壊というものは、いろいろな仮説それ自体がまったく正しくなくても、それに頼ってやった方が幾分利益があればできるものです。(中略)人は自然を科学するやり方を覚えたのだから、その方法によって初めに人の心というものをもっと科学しなければいけなかった。それはおもしろいことだろうと思います。(中略)大自然は、もう一まわりスケールが大きいものかもしれませんね。私のそういう空想を打ち消す力はいまの世界では見当たりません。ともかく人類時代というものが始まれば、そのときは腰をすえて、人間とはなにか、自分とはなにか、人の心の一番根底はこれである、だからというところから考え直していくことです。そしてそれはおもしろいことだろうなと思います。》(破壊だけの自然科学)55~58ページ)

《岡 (前略)つまり一時間なら一時間、その状態の中で話をすると、その情緒がおのずから形に現れる。情緒を形に現すという働きが大自然にはあるらしい。文化はその現れである。数学もその一つにつながっているのです。その同じやり方で文章を書いておるのです。そうすると情緒が自然に形に現れる。つまり形に現れるもとのものを情緒と呼んでいるわけです。
 そういうことを経験で知ったのですが、いったん形に書きますと、もうそのことへの情緒はなくなっている。形だけが残ります。そういう情緒が全くなかったら、こういうところでお話しようという熱意も起らないでしょう。それを情熱と呼んでおります。どうも前頭葉はそういう構造をしているらしい。言い表しにくいことを言って、聞いてもらいたいというときには、人は熱心になる、それは情熱なのです。そして、ある情熱が起るについて、それはこういうものだという。それを直観といっておるのです。そして直観と情熱があればやるし、同感すれば読むし、そういうものがなければ見向きもしない。そういう人を私は詩人といい、それ以外の人を俗世界の人ともいっておるのです。(後略)
(中略)
 岡 きょう初めてお会いしている小林さんは、たしかに詩人と言い切れます。あなたのほうから非常に発信していますね。》(「美的感動について」71~74ページ)


情緒豊かな人は、詩人でもあるだろう。やなせたかしは詩人だった。わたしは、たった1冊持っているやなせたかしの詩集の中の、りんごの皮を切れないようにむく、という短い詩が好きだった。切れずに長く手許から下がっていくりんごの紅い皮、それはまるで赤い川のようでもあった。彼のその詩を読んで以来、わたしはりんごの皮を剥くときはただひたすら切れないように剥くことだけを念頭において剥くようになった。あとから実を切り分けること、芯を取り除くこと、食べること、料理に使うことなど何も考えず、巻きぐせのついたリボンのようにくねくねと垂れ下がるりんごの皮の姿を想像しながら(だってそれをリアルに見ながら剥くことはできないから)。何年も何年もあとになって、小学校の家庭科の宿題にりんごの皮むきをマスターせよといわれた娘が、不器用な手で、無心に、りんごの皮を切れないように丁寧に剥く、その剥かれて垂れ下がるりんごの皮を見てわたしは、昔好んだやなせたかしの詩の数々を思い出した。今は我が家では、りんごは皮を剥かずにいただくのを常としているので、もうりんごの皮を切れないように剥くことはしなくなった。それでもわたしはりんごを使って料理をするとき、やなせたかしの詩のフレーズと、切れることなく剥けたりんご1個分の「赤い川」、得意げにそれを両親と弟に見せる自分、娘に見せる自分、わたしに見せる娘、そしてそれぞれの感嘆の声などが、ひゅんひゅんと脳裏を交錯するのを感じる。だからどうだということはない。これまでもなかったし、いまもない。やなせたかしさんは矍鑠としていつもお元気そうだった。おそらく亡くなる間際まで、しゃきっとして、りんごの皮を切れないように剥いておられたであろう。きっとそうに違いない。詩人だったから。

C'est l'automne...2013/10/06 12:45:02

空の真ん中に白いすじ。いったいどこから飛んだ飛行機がそんな飛びかたをしたのか。はたまた、落ちたのか? ちなみにこれは東の空。


『辰巳芳子のひとこと集
   お役にたつかしら』
辰巳芳子著
文藝春秋 (2013年)


辰巳芳子さんを尊敬したり敬愛したり、ヅカファンのように盲信的に愛したり、ストーカーみたく追っかけしたり、ただひたすらその料理指南書を学んだり、とにかく辰巳センセはスンバラシイ!と崇拝する人は今や山のようにいると思うが、私も、いや私は盲信してないし追っかけてないしそんなに料理を研究してもいないけど、私もその山のような人々のひとりである。

本書は、ここでも何度か取り上げたことがある、辰巳さんの「鋭いひと言」をかき集めた本である。なんでまたそんな本つくるねん、と思った。たしかに辰巳さんの言葉は重いし忘れがたいけど、それは料理をはじめとする、食を中心にした生活のありさま、季節の移ろい、そうしたものとともに綴られるから意味をもち、色みを帯び、重さを増すのであって、言葉だけを切り取って、そんなアータ、世界の格言名言集やないねんから、逆効果やないやろか〜と思ったんである。

私は、実はそれほど辰巳さんの本を読んでいない。日本の食文化に警鐘を鳴らした2、3冊の単行本と、いつかマイブログで紹介した小振りなスープのレシピ本だけである。オフィシャルブログにリンクを張っているけれど、正直、ときどきクリックして穏やかなご尊顔を拝するだけである。
そして、この人のお母様には、芳子さんがいたけれども、この人には、この人の料理を継承する人がいるのだろうかと、ちょっと心が曇る。
こんなに本をバンバン出して、映画もつくって、お弟子さんもぎょうさんいるみたいやし、レシピの継承は誰かが(というかみんなが)するとは思われるが、私は「辰巳芳子」をそんなに普遍的な、シンボライズしたものにしてよいのか、という疑問が少しある。
ボキューズとか、リュカ・カルトンとか、デュカスとか、レストラン経営の多国籍企業の「顔」ならいいんだけど、辰巳さんのメッセージって、つまるところ「おうちでご飯つくりなさいよ、家庭の味を大切にしなさいよ」ということだと思っている。味覚は人それぞれ固有にもつものだし、それに左右される家庭料理は間違いなく、家庭の構成員の好みや賛否に揺れながら、何らかの形、何らかの味つけを構築されて、その家の真ん中を流れる大河、というか地下水脈、つーか動脈のように、生命線のごとく流れて維持されて受け継がれていくものだろう。たいそうな表現をしたが、早い話、おうちでご飯つくりましょう、なのである。ならば、なんというのか、「辰巳芳子語録」というのはもしそれが彼女のいう「おうちでご飯つくりなさい」を幹にした枝葉のひとえだ、ひと葉、なのだとしたら、いわば「辰巳家」固有の、ごくプライベートな言葉としてそっと仕舞われて、しかるべきところにだけ開陳されていればよいはずである。

でも、もはや「辰巳芳子」は辰巳さんひとりのものでなくなっている。そんなの、とっくにご本人は自覚なさっていることだろう。なさっているだろうけれど、こうしてさまざまな出版物や映像で広く行き渡らせることは、けっして彼女が受け継いだ辰巳浜子の味や心を、誰かに遺伝することにはならないのである。そう思うと、やはり心が曇る。

本書には、私ごときの半端な辰巳ファンにも目に覚えのある辰巳語録が満載である。そして、お母様/辰巳浜子さんのことだけでなく、半端なファンである私はあまり知らなかったお父様のことも書かれている。辰巳さんは父も母もたいへん愛しておられた。戦争、高度成長、公害、バブル、震災、原発汚染。父と母への、そのまた父たち、母たちへの、揺るぎない愛と信頼なしには生き抜いてこれなかったかもしれない。本書の価値は、たぶん私ごときにそのように思わせた一点に尽きるかもしれない。

辰巳さんだけではない、1920年代生まれの、90歳を超えた、あるいは超えようとする人々の言葉は、もっともっと聞かれ、書かれ、伝承されなくてはならないはずだ。お元気でご長寿、いいですねえ、なんていっている場合ではない。このかたがたのほんの2、30年あとの世代にはどこかのソーリ大臣みたいに、戦争知らないから戦争やりたくってしょうがないのボク、みたいな極右アホぼん目白押しなのである。アホぼんどもにいいようにされないためには、さらに後続の私たちが、先人の言葉と知恵と行動に学ばなければならないのだ。

秋である。読書の、にしたい秋である。