漢字はお好き?2006/12/28 17:12:37

『漢詩入門』
一海知義 著
岩波ジュニア新書(1998年)


漢詩に興味をもってというよりも、この著者の書くものを読んでみたくて、わかりやすそうなティーンズ向けの本に手を出した。

高校時代、漢文の授業は嫌いではなかった。担当教師が情熱的だったことをよく覚えている。教科書一面にぎっしり詰まった漢字の、字間行間に潜むドラマを彼女が語るとき、まるで夢見る少女のような、あるいは恋心を燃やす乙女のような、熱っぽい視線を生徒に投げかけたものだった。
たいていの生徒はそれに辟易するか、しらけきって聞いていなかった。
とはいえ、この教師の説明はわかりやすかった。彼女の情熱は横に置いといて、漢文を読み下して意味を理解するということにさほど苦労は要しなかった……と思うのだが、私の場合、成績はさほどよくなかった。なぜだろう。わかってるつもりでわかってなかったんだろうな、としか言いようがない。
退屈極まりなかった現代国語のほうが、テストの点も通知票についた評価もずっとよかった。
けっきょく、「点を取れる科目を」ということで受験期に入ると漢文からは離れてしまい、以後、現在に至る。

どういうめぐりあわせか、今、漢字ネタのコラムの連載をひとつ持っている。
乏しい知識ではわずかな字数のコラムさえままならず、否が応でもあれこれ調べなくてはならない……ので、さまざまな漢字関連の本に手を出しまくる日々である。

『漢字 漢語 漢詩 雑談・対談・歓談』
加藤周一+一海知義(かもがわ出版)

この本の中で、一海氏は、3000年前の漢詩も現代人がほとんど注釈なしに読める、日本人でさえ読める、漢字が数字のように、地域的かつ歴史的な共通語(字)の役割を果たしているからだ、ということを述べている。

今さらながら目から鱗のひと言だった。
このひと言に惹かれて、他の著書に手を出す気になったわけである。

及時当勉励 (時に及んでまさに勉励すべし)
歳月不待人 (歳月は人を待たず)

陶淵明の五言詩にある一節だが、「若いうちに勉強に励めよ、時間はすぐに過ぎるぞ」という意味ではなく、「勉励すべし」は「無理してでも遊ぶんだぞ」という意味だそうだ。若さを謳歌できる日々は短いから、今のうちに大いに愉しもう、というメッセージ。
漢字が並んでいても、それは言語の形態がそうであるというだけで、別に難しいことを述べたり表現しているわけではない(って、当たり前だけど。中国語ではキモイもヤバイも漢字で書くし)。むしろ、え、そんな馬鹿馬鹿しいことうだうだ言ってんの、という素直な内容が多い。
漢詩も、現代詩と同じように、普通に鑑賞すればよいのである。

ティーンエイジャーたちよ、この本を読んで、漢詩に親しみを感じてくれ!などという気持ちはさらさらない。というより、ジュニア新書を読んで納得してるあんたが書く漢字ネタのコラムってどんなんなのよと、自分でツッコミを入れたくなって、情けない。

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