痛いの痛いの、とんでゆけ ― 2007/09/14 18:47:40
今日、ほんとうは「ええおとこ」カテゴリでひとつ書こうと思っていた。だけど気がかりなことがあるのと、それに関わる自己嫌悪とで、ぜんぜん「ええおとこ♪」気分に乗れないので、そっちはやめることにした。
先頃、鹿王院知子さんと食事をした。その席で、私たちは「あんなこと」や「こんなこと」を他愛なくお喋りした。「あのひと」の「こんなこと」や「このひと」の「あんなこと」をあげつらっては笑い話のネタにする私に、鹿王院さんは半ば呆れ顔でしかし優しく微笑んで相槌をうってくださっていた。
私は、しばらくぶりに会う鹿王院さんの健康のことやお仕事のことをまったく尋ねないばかりか(鹿王院さんは私のご機嫌うかがいはちゃんとしてくださったのである)、ご主人はお元気ですかとか、法事などで忙しい夏を過ごしてらしたのを知っていたのに大変でしたねのひとことも言わず、人の噂話に終始したあげく、気がつけば自分の娘の自慢話ばかりしていた。それに飽き足らず、この秋に目白押しである娘の諸芸の発表会の宣伝チラシを「見に来るよね、当然」といわんばかりに押しつけるという暴挙にまで出ていたのである。我ながら恐れ入る。
さらにさかのぼって9月の初め、社会人院生をしていたときのゼミ仲間だった涼子ちゃん(仮名)と卒業以来で再会したときも、同じような状態であった。涼子ちゃんは、コソボとかイラクとかリベリアとかいつ銃撃されたり誘拐されたりしてもおかしくないような場所で、難民への食糧配給とか亡命者の国境越えとか孤児の保護とかを支援する職務に就いてきた人である。しばらくぶりに故郷へ帰って次のステップに向けて英気を養いつつ国際資格試験のための勉強をしている人である。そのような(いろいろな意味で)貴重な友人を前にして、涼子ちゃんの「あの国ではアレが飛んできた」「この国ではこんな目に遭った」という得難い現場の話をへえ、ふうんとまるでタレントの離婚話でも聞くかのような態度で受け流したあと、気がつけば私は娘の自慢話をしていた。
もう諦めている。この癖は一生直らないであろう。思えば親になってから、私は人と話をするときに娘の自慢をしなかったことは皆無である。いつも自慢とは限らない、というのは詭弁である。ウチの子ちっとも算数できないの。あらイイじゃない、さなぎちゃんはスポーツ得意だし。そうなのよ、おっほっほ。で終わるのであるからして、自慢話である。
娘が小さかったときはどこへ行くにも連れ回していた。子連れで来た友人に向かってその子どものことを褒めもせずご機嫌とりもせずに済ますことのほうが難しい。わかっていながら私はどこへでも連れて行き、わかっているけどおだててもらっていい気分に浸っていた。
そしてその後は、ひとが私の娘について何も言わないときは自分から娘の自慢話をするようになっていた。
彼女が成長してちっとも可愛げなくなっても、ずっと。
11年余りのあいだ、ずっと。
このあと自分が生を全うするまでずっと、続くのであろう。
*
娘の足の疲労がピークに達しているようだ。
毎日、毎夜、痛がっている。ふにゃふにゃと弱音をひととおり吐く。足首、指の付け根、ふくらはぎと湿布だらけにして眠る。翌朝それらを一気にはがし、テーピングに換える。よしっとかうしっとか口の中で小さく気合を入れて朝練(陸上の走り込み)に出かける。放課後の走り込みを途中で抜けて、バレエの練習に行く。帰宅したら両足を氷水で冷やす。私が帰る時間には、ちょうど両足バケツに入れてテレビを見ているか宿題をしているかである。ちょうど冷水がぬるくなる頃なので保冷剤を追加する(これだけが私の仕事)。
食事をして、今日一日の出来事を互いに話し、風呂から上がると足の痛みに意識が戻る。
痛くてトウシューズ履けなかったよ。悔しそうにつぶやく。痛いという箇所は腫れてもいないし、赤くもないが、痛いというからには何らかの炎症が起きているのだろう。たぶん負荷がかかりすぎているのだ。バレエの練習のない日は部活のバスケがある。彼女の足は、休んだことがない。
身体そのものはものすごくスタミナがついてきたようで、まったく疲れを感じていないようである。もっと練習したいけど、授業が始まるし。もっと練習したいけど、レッスン時間終わるし。で、たぶん、もっと練習続ければ、もっと足が痛くなるのだ。
9月15日 運動会(雨天の場合17日に順延)
9月17日 バレエの発表会
9月22日 陸上競技地区予選
9月30日 和太鼓の発表会
10月8日 陸上競技大会(予選会とは別イベント)
(この後も飛び飛びで競技会や試合が続く)
つねに全力投球、その時点で最良の結果を出す。娘のモットーである、というか、人に言われなくても、目標に掲げなくても、そうせずに居れない性格である。子どもは誰でも計算して手を抜いたり力の加減をしたりということがまだまだできないものであるが、小学校高学年にもなってくると自分の中で優先順位をつけて、○○のための力を温存するために××は適当にやり過ごす、という術を知らず身につける。悲しいかな娘の場合、「放課後練習に臨むために算数の授業で寝ておく」ということはしても、「バレエのレッスンのために放課後練習をサボる」ということはできないのであった。
結果、彼女にとっては得体の知れない激痛が足を見舞う。
(疲労骨折してるかもしれないな……)
娘も私もたぶん同じことを考えている。だが、不安が増大するので口には出さない。
(複数の外科で何度も診察してもらっているし、杞憂に過ぎないさ)
これも、語彙は異なるだろうが同じことを考えている。でも、口にしたところで痛みは消えないからこれも言わない。
運動会、予定どおりできるといいね。
うん。もし(発表会と)重なったら、絶対痛くて踊れない。
いいさ、派手に転んじゃえ。発表会は来年もあるよ。
(真顔で)やだよ、そんなの。
土曜日の朝から昼過ぎまでさえ、降らなかったらいいんだよね。
うん。そのあとなら台風やハリケーンが来てもいい。
うーん、そうするとウチの家、飛ばされちゃうからちょっと困るな。(笑)
今日の午後、短いあいだに強い雨が降った。
また降るなら今夜、降ってくれ。明け方は、降るな。
降るな、雨!
痛いの痛いの、娘の足から、とんでゆけ!
とゆーわけで、ウチの子がどんなに頑張り屋さんかということを自慢したのであった。はっはっは。はあ~……。