Mickey, mon hero!2008/02/06 19:25:55

私がフランスにいた頃、ちょうど「ユーロディズニー」なるものが開園したばかりかあるいは開園間近か、というような時期で、出発前の日本ではけっこう話題になっていたように覚えている。留学先の学校では、日本人学生の口にはその話題が上ることもあったと思うが、ヨーロッパ人学生たちは押しなべて無関心であった。当のフランス人は、私が知り合った人たちだけがそういう人たちだったのかも知れないが、「そんな話題、触れたくもない」「あんなもの、フランスのいやヨーロッパの恥だ」と、決まって吐き捨てるようにいうので、ユーロディズニーの話なんかとてもできないのであった。
つきあっていたフレデリックはとても映画が好きで、素直にハリウッドのよさも認めていて、英語も堪能な比較的親米派の学生だったが、そんな彼でさえユーロディズニーのことになると、「あんなとこにゃバカしか行かねえよ」と鼻で笑うのだった。

私はディズニーには全然興味がない。ないが、幼少の頃はミッキーマウスもミニーマウスも大好きだった。それよりお気に入りがドナルドダックだった。私にとって、ミッキーやミニーやドナルドは「ミッキー」「ミニー」「ドナルド」であって、そこに「ディズニー」という言葉は付いてこなかったのである。
私はアニメおたくでもなんでもないが、「オバケのQ太郎」を白黒で見たのが唯一の白黒テレビの思い出である、という世代なので、テレビがカラーになってアニメが花盛りに放映される時代に子どもであったわけである。やがて、アニメ番組のキャラクターはすぐ子ども向けの商品に展開されるようになった。鉛筆やノート、下敷き。今ほどヴァリエーションはないけど、文房具屋さんに行くと色とりどりに、アニメキャラをあしらった製品の並んだ棚があり、私たちはそこで、小さい時分には母親にねだり、そこそこ大きくなってからは少ない小遣いと商品価格を見比べて長いこと思案に暮れたりしたものだ。
私のお気に入りは「トムとジェリー」アイテムだったが、ミッキーなどディズニーものはちょっぴり洗練された姿の商品として私の眼に映った。そのぶん高いので、なかなか買ってともいえず、つねづね「ミッキーマウスが大好きやねん」と口にしておいて、伯父や伯母からプレゼントしてもらうのを待った。叔母のひとりがあるときミッキーのハンカチセットをくれたが、それがどんなに嬉しかったことか。
そうだ、ミッキーやミニーは「商品キャラ」であり、彼らの動くさまというのは「トムとジェリー」ほどにはテレビでも映画でも見ていないと思う。中学生のときに英語の勉強用に買ったミッキーの漫画文庫がウチにはあるが、躍動感のあるミッキーたちには、その漫画でしかお目にかかっていないような気がする。

『白雪姫』『シンデレラ』『人魚姫』といった世界の名作童話をアニメ化したディズニーのいわゆるプリンセスものは、したがって私にとっては「私のミッキーやドナルド」たちとはまったく別物として関心外にあった。東京ディズニーランドというものができて、日本中の関心をさらっていたとき、「あんなモンすぐつぶれるさ」と誤った観測をしたのは私だけではないだろう。「ミッキーやミニー」の人気度と、それ以外の人気度の差は天と地ほどもある。単なる「ミッキーパーク」に成り下がっていずれつぶれる……と思っていたら。なんとまあ。

先のフレデリックは「ディズニーはパクリの天才」と断じ、『ジャングル大帝』がなかったら『ライオンキング』も生まれてなかっただろ、奴らのはそんな作品ばっかりだよ……と、もう忘れたが「●●は○○のパクリ」という例を幾つも幾つも聞かされた。そのうちの一つで、その時点ですでに絶版になっていたあるディズニー実写作品のビデオを観た。日本では公開されていないものだった。タイトルも俳優も忘れたが、主役はその頃人気絶頂を誇るハリウッド男優だった。その彼のごく初期の出演作で、フレデリックに言わせると「超駄作」。キャラクター設定や背景セットのつくりが何とかいう映画「丸写し」で、観た瞬間誰もが「盗作だ」という感想をもつという。私はその映画を観て、キャラ設定も背景も全然見覚えはなかったが、ストーリーの進行が部分的に日本のとあるアニメ作品とまったく同じであった。人物の台詞までそっくりだった。「うわ、おんなじ」と思わず口にした。「え、何と似てるの?」とフレデリックは訊いたがもちろん彼の知らないアニメで、同じと感じた部分の説明とその理由をわかってもらうのに時間を要したけれど、彼は「そ、巧妙なんだよ」と自説の揺るがないことを確信していた。
『ライオンキング』を作るにあたってディズニー側が「『ジャングル大帝』をヒントにしました」とか「ストーリーを借りてます」とか「リメイクします」とか、言明したかどうかは知らない。でも、そのこと自体は問題でなく、似たようなものを平気でつくって売れれば勝ち、みたいな態度が、自国の映画芸術に誇りをもつフランス人には癪に障るのであろう。フレデリックはハリウッドも同じ意味でパクリ野郎だと吐き捨てた。その中に優れた作品があるのは認めざるをえないにしても。
フレデリックは米国のB級映画を好んで観ていた。そこにはアメリカ人にしか出せないおかしみがあふれていて、紛れもなく彼らのオリジナルだといえる豊かさがあるからだと。

私は、映画は芸術だろうけど娯楽でなくてもいけないよ、と思っているので、パクリだろうとなんだろうと面白いと感じたほうに軍配を上げる。仏映画『赤ちゃんに乾杯』と米映画『スリーメンズアンドベイビー』とどっちが面白いかと訊かれたら当然前者だと私は自分の好みからそう答える。しかし逆の人もいるだろう。オリジナルがつねに最良であるとは限らない。とはいえ、やはりオリジナルあってのリメイク版、オリジナルあってのパクリなんだから、二番煎じはけっしてオリジナルには、遅れているという意味で、勝てないのだ。

ところで何の話だったかというと、Euro Disney である。
フランス語では「ユーロディズネ」と発音する。
この施設はのちに「ディズネロンパリ」(Disneyland Paris)と名を変え、今では「パルクディズネロン」(Parc Disneyland)というらしい。いたって盛況と聞く。十年、いやもっと前だろうか、当時の職場にフランスから17、8歳の研修生の女の子が来た。短期間の、研修とは名ばかりの日本旅行である。彼女は研修のはざ間に東京へも行った。
「東京のどの辺りを観るつもり?」
「ディズニーランドだけよ」
「え?」
「ディズニーランド、大好きだもん」
「そうなの? フランスにもあるよね」
「うん、日曜ごとに家族で行ってるよ。みんな大好き」
「ほんと? 私がフランスにいた頃はみんな嫌いだっていってたわよ」
「そういう人たちもいたみたいだけど、今はすごく人気あるのよ」

モンペリエで私はエーリッヒ(ドイツ人)とジュディット(ユダヤ系フランス人)という若いカップルのアパルトマンに間借りしていた。彼らにはジェレミーという3歳の男の子がいて、もうしゃぶりつきたくなるくらい可愛らしかった。ちょうど片言の会話をし始めた頃に私が住み始めて、お互いに格好の仏語教師であったが、またたくまにジェレミーのほうが達者なフランス語を駆使するようになって(当然だが)非常に情けない思いをした。
そのジェレミーがあるとき、「みけ、もねろ、みけ、もねろ」と楽しそうにお喋りしながらクッキーを食べていた。そばで母親のジュディットが苦虫を噛み潰したような顔をしている。「みけ、もねろ」は「ミケ、もう寝ろ」みたいじゃんかと私は可笑しくなって、いったいあなたの息子は何を言っているのと訊ねようとしたら、私が声を出す前にジュディットがまるで弁解するように「友達にもらったクッキーなの。こんなものが出回るなんて世も末ね」といい、クッキーの袋を私に見せた。
それは「ミッキーマウスのクッキー」だった。ディズニーのキャラクター商品。「こういうものからは遠ざけて育てているのに」と、憤懣やるかたない様子で大喜びのジェレミーを見るジュディット。母親の意図に反して幼い息子はすでに「ミッキーマウス」を知っていて、そのクッキーを思いもよらず食べることができてご満悦なのだった。
「みけ、もねろ」は「Mickey, mon hero!」(ミッキーが大好きだい!)であった。

ジェレミーは無事に成長していたら今は20歳くらいである。彼の眼に「パルク・ディズネロン」はどのように映っているのだろう。ディズニーで育ったといっても過言ではない先の研修生ギャルは今30歳前くらいか。幸せな家庭を築いて家族でまた「パルク・ディズネロン」通いをしているかもしれない。フランス人のメンタリティも、時とともに変わるのである。日本人だって、同じことだ。

ところで、ジェレミーは何度もいうけど本当に「美男子」だった。今、彼を20歳くらいと書いて、どんなイイ男に育ったことだろうかとよだれが出そうになったのである。ああ、もっと、何か証文みたいなものを書かせておくんだった。だってジェレミーは私のことをママの次に大事な女性といって、本当に慕ってくれていたのだから。大人になった彼にその書き付けを突きつけ、さあ、アタシと結婚しな……とバカな妄想をかきたててくれるほど、愛らしかったジェレミー。というわけで本エントリを「ええおとこ」カテゴリに入れてジェレミーに捧げます。わはは。(いらねえよというジェレミーの声が聴こえるようだ)