野球少年 ― 2008/05/16 21:23:26
おい、そりゃ無理だぞ。俺は思わず口にしていた。少年の自転車は大人用だ、しかも極端にでかい。野球少年たちは大きく見積もっても小学三、四年生にしか見えないのに。
それでも当の少年は何とかこぐ態勢をととのえて、ペダルを踏み出した。前で待っていた二人がやれやれという表情で先に走り出す。
しかし、転倒少年は再びバランスを崩し、サドルから尻を外して足をついた。倒れこそしなかったが、後ろの籠に入れた大きなスポーツバッグが転がり落ちた。
薄情にも、前の二人は、今度は止まらずに行ってしまった。転倒少年、待ってくれよとはいわなかった。
俺は思わず駆け寄った。
「おい、もっとサドル下げられないのか……あ、ダメか、いちばん低いんだ、それで。これ、お前の自転車かよ?」
「いいえ、いつもは子ども用の自転車に乗っているんですけど、たまたま昨日パンクしちゃって、それがまだ修理から戻ってこないものですから、今日はしかたなくお母さんのに乗るしかなくて」
わざとぞんざいな声のかけ方をしたのに、予想を裏切る礼儀正しさと理路整然とした話しぶりに俺はたじろいだ。が、気を取り直す。ひるんでなるものか。
「危ねえよ、そんなの乗ってたら。どこまで帰るんだ? 送るから、押して歩いていこう」
「ありがとうございます。でも大丈夫です。ここまで乗れてきたんだし」
ぺこりと頭を下げられて、再びたじろぐ俺。いやしかしな、といっても少年は乗って帰ると言い張って譲らない。
「じゃ、押さえててやるから」
「ありがとうございます。ほんとに、ありがとうございます」
少年は、自分の胸の高さほどもあるサドルに、ようやく落ち着いて尻を載せ、ハンドルを水平に保てたところでペダルに置いた足に力を入れる。
「大丈夫か……よし、離すぞ」
少年がまっすぐ走り出す。
「あんまり急ぐなよ、気をつけろよ」
伴走したい衝動に駆られたが、俺は手をメガホンの形に作ってもう一度叫んだ。
「気をつけろよ!」
「ありがとうございます!」
少年はまっすぐ前を向いたまま、形を水平に保ったまま、大きな声で何度目かのありがとうを叫んだ。背番号「5」が見えなくなるまで、俺は少年の背中を見送った。