闘う相手を持たないわたし ― 2008/05/29 20:44:11

講談社『本 読書人の雑誌』
April 2008
40ページ
「二つの神話」剣持久木
以前、だいぶ前だけど、まだ首相をやっていた小泉純一郎が、どこかの戦没者記念施設で特攻隊員の残した手紙や結果的に遺筆、遺品となったさまざまな展示物を見て号泣したという報道記事を読んだ。姑息なことをするよなあ、という感想をもった覚えがある。感動して号泣するのは勝手だが、公人の立場ではしてほしくないと思った。戦争の記憶は、重い。誰であれ、それを軽んじたり適当にあしらったりすることはできない。戦争を持ち出されると、体験者は悲痛になり、非体験者は沈痛になる。戦没者を悼むという行動は類稀なことでもなんでもない。なのにことさらそのような行動に出てやたらと痛惜の念をふりまいて見せ、普通の人の心の痛みにつけこむなんて、政治家として卑怯だ、とも思った。
剣持のこのエッセイによると、ニコラ・サルコジ仏大統領はやたらと「レジスタンスの闘士」の遺書を演説に引用するらしい。どの国の元首も、感動的なエピソードを政治利用する。たまのことなら話に抑揚をつけるためだろうと許してもやれるが、あまりあからさまで頻繁だと腹が立つ。どこの国民だって同じだろう。
ドイツ侵攻下にあったとき抵抗したレジスタンス活動についてはフランスでは神話化され、その神話は日本で特攻隊員を語るのに似ていなくもなく、神の業の域に昇華されて感動的に語られることしばしばだ。
もう一つ、フランスには神話がある。そっちはおもてだって感動的に語られることのない、「ファシズム神話」である。フランスは反ファシズムの国だが、反ファシズムであるためには敵としてのファシズムがなくてはならない。したがって国内に仮想的としてのファシズムに仕立て上げられた一団があったというのだ。剣持は、汚名を着せられた人々の遺族らに直接取材をして「ファシズム神話」に迫り、その成果を一冊の本にまとめたそうである。それは「記憶との闘い」であった長い歳月を聞き出して、いかにして神話が成立せられたかを追求する仕事だった。
さて。
目的をもって検索しお目当ての内容の図書を借り出す、ということをせず、いきあたりばったりに、タイトルが刺激的とか表紙絵が素敵とかたまたま目についたとかそういう理由で借りるということも、わたしの場合かなり多いのであるが、そういうふうに借りたものが大変面白いという確率が高いのである。
そして、ここ二、三年、そんな借り方をした本は、決まって第二次世界大戦がからんでいた。評伝であれ、小説であれ、批評であれ。わりと最近の人物伝を読んでも、その祖父母や曾祖父母の戦時の記憶を本人がきちっと受け継いでいる、とか。現代を舞台にした小説であっても家族に戦争の記憶が残っていてそのことに皆が苛まれる、とか。ある種の論文や学者の著作を追うと必ずあの大戦に行き当たり、それなしではこの研究は成り立たない、とか。
そうしたものを読むたび、あの戦争がもたらしたものは今もこの地球上に長々と横たわり、寝返りをあっちにうったりこっちにうったりして、下敷きにされている者たちを解放しないのだということを思い知らされる。そして、その度合いはヨーロッパのほうが、アジアよりも大きいように思う。
いや、それは間違いであろう。わたしが大陸もしくは東南アジアの一市民であれば、おそらく天上から連綿と続く侵略の記憶の鎖から逃れることはできなかっただろうし、自分の子どももその鎖につないだであろう。
横たわったまま立ち去らない記憶の重さと大きさはヨーロッパのほうがアジアを凌ぐ、と思うのはわたしが日本人だからで、日本では国を挙げて記憶をリセット(初期化)することに注力してきたからだと思う。
もうひとつは、幸いにも身内に戦没者がいないということがある。わたしたちの町が戦火を逃れただけでなく、世代的にエアポケットにあったのか、親族は誰も兵隊にとられなかった。父たちは極貧を味わい、母も疎開をしたが、致命傷はなかった。わたしに戦争が語られることはなかったし、私も語るべきものが何もない。
だから、記録や書物から事実を知るより方法がなかったので、そうした場合に陥りやすいが、好んであるイデオロギーよりの書物をつい選んでしまい、その結果視界や思考を水平に保てなくなる。若い頃、わたしはよくそういう状態になり、尖った角をやたら出したが、出す方向もやたら変わったものだ。
学生時代、日本の台湾支配の遺産として彼の地に残る日本語の語句の在りさまについて研究していた友人がいた。調べるほどに、胸をえぐられるといっていた。泣きながらキーを叩いた、とも。そして、「それでも私は泣けば済むんだよね、この修論書き上げればね」と自嘲した。私はフランスの植民地支配後の振る舞いについて論文を書いていたが、自分は楽なほうに逃げてるよなあという思いはいつも持っていた。自国の侵略行為に向き合う覚悟は、とてももてない。いまだに、そうだ。
行き当たりばったりに読んだ本に、ナチスだとか、アウシュヴィッツだとか、ノルマンディー上陸だとか、ヴィシーだとか、そうした語が出てくるたびに、これは誰かがわたしに日本人として日本のやってきたことに向き合いなさいといっているのだと、思えてならないのだけど、なんというか、まだ全然、わたしは成熟していないのである。
コメント
_ 儚い預言者 ― 2008/05/30 09:19:48
_ midi ― 2008/05/30 13:39:56
いけないのではないでしょうか。
負うというとしんどいけれど、現在のこの時間に得た「生」を精一杯生きることの辛さやよろこびを、めいっぱい体で知るために、かつて地上に注いだ苦しみや悲しみがあったことを「知る」。それは必要だと思います。
_ コマンタ ― 2008/05/30 15:34:46
_ midi ― 2008/05/30 17:38:58
同じではありません。しかし、知れば、負い続けてへとへとになっている人のその背の荷物を少し持ってあげようか、せめてこの道の次の角まで、というような気持ちになるのではないでしょうか。負ってみないとその重さはわからない。重すぎてとても背負えなかったら下ろせばいいんですよ。想像して背負った気になるだけでもいい。
こういうときに想像力を働かせなくていつ働かすんだい、想像力の踏み台として知るってことがあるんだよ、それはすんごく大事なんだよ、ってついいつも子どもにゆってしまいますが。
_ おさか ― 2008/05/30 21:09:02
なんというかただただ圧倒されています
このひとは確かに、レイテの戦場でたたかった兵士たちの命を背負ってる、と思いました
私は背負えるか?
わからない
戦争に関するいろんな話を見聞きするとき、涙がこみ上げることは何度となくありますが、何かこう、失礼なような、浅薄なような気がして泣けません
号泣した(できた)前総理は、ちょっとコドモですね、やはり(笑)というかわかりやすいパフォーマンスをしてみせたんでしょう
オトナならその事実をわが身に受け入れてかみ締めたいもの
泣いてスッキリしてしまったらいけないですよね
_ コマンタ ― 2008/05/30 22:35:50
_ 儚い預言者 ― 2008/05/30 22:41:46
そうですね、知るとは経験ではないが、負うとは今の体験になるかもしれない。そうすれば、知る上では、経験できなかった、体験という大きな経験が出来る。
はてさて、経験は過去でありますから、体験という今には永遠に追いつかない。私の求めているその永遠なり、リアリティーは、いまここという体験であることです。
だから経験則は通じない。いやもっといえば、体験と経験は本質的に生と死の違いみたいなものになってくる。
私も何を言いたいか、不明で錯乱してきましたが、いつかあなたを口説くといいながら、口説くのにいつか絶対、と思うような、歯痒い思いって言えばいいのでしょう。
_ midi ― 2008/06/02 19:31:03
『レイテ戦記』、私もいずれ読もうと思っている一冊です。でもいつのことやら(泣)。
ご意見に同感です。戦争のことではたやすく涙を流せない。テレビや映画に感動しているのとはわけが違うんだから。『火垂るの墓』の実写版が公開されるそうですが、見たくないですね。映画の出来とか兄弟愛とか戦争とは関係のない要素で落涙しそうで。
コマンタさん
なんにしろ、「背負わないといけないかも」気持ちになるにも、年齢を重ねる必要がありますからね。この先多感なティーンエイジの波に乗る彼女に、私の言葉や気持ちがどこまで残ることやら(笑)。
預言者さま
経験が何の役にも立たないこともあれば、何も知らなくても成し遂げてしまえることもありますし。
口説きにいらっしゃるならいつでもどうぞ(笑)事前連絡くださればご指定の場所に参上いたしますですよ。でも、忙しいですもんねえ、お互いに(ためいき)
_ ろくこ ― 2008/06/02 20:03:19
とりあえず
エコバックもって買い物に行ったりしてますー
小さなことからちょっとずつ地球に近寄って行こうって思うのでありますー
_ コマンタ ― 2008/06/02 23:10:13
先日仕事で話す(日本語)機会があったアメリカ人留学生が、いまは大学院で社会福祉を勉強しているそうなのですが、それまで学部時代(いずれも日本の大学)は社会学を専攻していたそうです。社会学は自分の興味のある現象を(理論的に)分析してそれで終わりなので学問として価値がない(現実に働きかけていないから)、というようなことを言っていました。
理論的にうまく切り取れれば、現実は二の次と考える傾向のぼくはなにか反論したい気がしました。背負わずに助けて逃げる、逃げたい。それは理想的にいった場合ですが、それでも後ろめたい人生にちがいありませんから、隠れてやりますけど。
_ midi ― 2008/06/03 20:30:14
おひさです。エコバッグ、もらいまくってたらいっぱいになってしまいました。25年くらい前、初めてヨーロッパへいったとき、ドイツ(の田舎町)では買い物カゴと生成りの手提げバッグ持参が当たり前でした。飲み物はリターナル瓶でしか売っていませんでした。ゴミ分別なんて国始まって以来そうしてますよというくらい、生活に根ざしてました。フランス(の地方都市)ではゴミはなにもかも一緒くた、レジ袋や空き缶空き瓶、ペットの糞、吸殻が落ちていない道路はありませんでした。のちに、なぜか留学先をフランスに選んでしまった私。
コマンタさん
>理論的にうまく切り取れれば、現実は二の次と考える傾向のぼくは
えっそうだったんですか。例示しておられるのはあまりサンプルとしてよくないかもしれないと思うのだけど、コマンタさんはむしろその反対じゃないかと、私は思うんですが? 目の前にあるものに合わせて理屈やイメージや想像そのものを微調整していくような。その後そこからまた飛躍されるのが常かとは思いますけど。
_ コマンタ ― 2008/06/04 09:52:05
たとえば、理解できない殺人事件というようなものを起こした人間について、彼女なり彼なりがどうしてそんなことをするにいたったか、が理論的に解明されたら、それでぼくは満足なんです。でもその彼女なり彼なりを更正させる責任のある人はそこで満足できない。あるいは、最初からアプローチが違ってくるのかもしれませんけど。彼らは人間を相手にしますから。
_ mukamuka72002 ― 2008/06/04 17:37:41
毎日コメント一太郎で下書きするけどボツ。
かなり長文書いてるのに……。
_ midi ― 2008/06/04 18:28:53
なるほど、少しわかりました。でも、事件って解明されずに風化することが多いので、さぞかし欲求不満なのではないでしょうか?
mukamuka72002さん
なんかさー来るたびそういうことゆってません?
ボツにしないでコメントしてくださいよお。または、「掌」にエントリとしてアップしてください(笑)
逃避とは何からのそれであろうか。
経験と体験は、ただ時系列の置き方であるかもしれない。
今生きるとは、過去からの積み重ねである。
本当にそうだろうか。
生死存亡の危機に、人は何をする。
こうしなければとか、こうならなければ
という経験則が働くにはどうすれば。
悲しみと苦しみは、対極である喜びと楽しみの
連れ合いであれば、何と悲しいことか
生きるとは何も規定されない自由の喜びでありたい。
が、それを知るにはこの世の歴史という悲しみを
負わなければいけないのだろうか。