WBC(ダブルビーシー)って何の略? ワールドベースボールクラシック。えっワールドベースボールカップとちゃうの? という会話が懐かしい。侍ジャポン、おめでとう♪の巻 ― 2009/03/24 17:52:32
梅田香子 著
河出書房新社(1986年)
よく行く定食屋には巨大画面のテレビがあって、いつもは昼のワイドショーをガンガン鳴らしているのだが、高校野球のシーズンは例外なく高校野球中継をつけている。今日、高校野球のカードはどこどこだったっけ、なんて思いながらその店に入ると、店奥のテレビのまわりはもう食べ終わったとおぼしきオヤジたちが、黒山ならぬ黒ところどころハゲの山をつくっていた。黒ところどころハゲ山の向こうはとても高校野球には見えない派手なユニフォームが映っていて、ようやく私は、あ、今日がWBCの決勝だったと思い至ってこの店の混雑を納得した。女将が「みんなテレビ目当てやねん」と繁盛にもかかわらず疲れきった表情で苦笑いを見せた。
食事が終わっても試合は終わらない。めったに注文しない食後のコーヒーを頼む。ゆっくり味わって、飲み干しても、まだ終わらない。残念ながら昼休憩はタイムアウト。その頃には同様に仕事に戻らなければならないオヤジたちも多くいたと見えて、黒とこ(以下省略)はもうあとかたもない。私は駆け足で職場に戻りウエブで速報をチェック。便利な世の中だなあ、今どき「一球更新」なんてあるのね、と感心しながら。
歓喜の優勝シーンの映像は観られなかったが、長いこと野球の実況なんて見聴きしていないので、久々に興奮した。※仕事中でしたが(笑)
いつかも書いたかもしれないが、私は野球バカである。実況を見ていると人が変わる(と思っているのは自分だけかもしれないけど)。日本のナショナルチームがオリンピックで負けようがWBCで優勝しようがどうでもいいし、地元の高校が甲子園で勝てなくても問題にしないけど、試合を見始めたらどっちの味方をするでもなくただただ見入ってしまう。選手たちの一挙手一投足につい叫んでしまう。投げて、打って、捕るという動作そのものが好きである。ピッチャーセットポジションから投げました打ったああーーー三遊間抜けたああーーーサードコーチャーの手が回るランナー三塁を蹴ってホームイン!という実況中継アナウンスを聴くのが好きである。審判のストラッカウト!と告げるポーズがいろいろあるのも好きである。
野球は好きだが巨人というチームは幼少時から大嫌いである。別に巨人のどこそこが嫌だったというのではない。中学生のときには午後の授業をサボって高田繁や定岡正二のサイン会に百貨店の屋上へ行ったし、王さんがアーロンを抜いて世界記録を達成したときには感涙にむせいだ。単に私は、テレビをつければそれしか映っていない、という状況にあるチームの味方はしたくなかったのである。まったくどいつもこいつも巨人の話ばっかしおってからにぃセリーグは6球団、プロ野球は12球団あんだぞぉ巨人だけ巨人と呼ぶな読売と呼べぇ。というような屈折した少女心理にぴたっとハマったのが川上巨人V10なるかという年にそれを阻みペナントを獲った与那嶺中日であった。
昭和49年の中日ドラゴンズ優勝は、「中日優勝!」ではなく「V9常勝巨人V10ならず」という勝ち組視線の文言で語られ、長島引退というビッグイベントに完全にかき消されていたが、少ない情報の中から私は星野仙一や高木守道や木俣達彦の名前を引っ張り出して脳にインプットし、中日追っかけ人生を始めたのであった。
『勝利投手』はフィクションである。しかし主人公の野球少女は中日ドラゴンズに入団する。そこに登場する、少女の恋の相手となる選手以外は、すべて実在のプレイヤーや監督、コーチである。
そう、これは女の子がドラフトで指名されて中日に入団し、プロ球界にデビューするという話である。本気で水原勇気に憧れていた野球バカにとってはワクワクものの小説だ。本屋で見つけて飛びついて買ったことを覚えている。あの単行本、今も我が家の書架にあるだろうか。もしかして、置き場所に困って泣く泣くいくつかの本を処分したときの、古書店行きのダンボール箱の中に入れてしまったかもしれない。今見ればレトロ感昭和感たっぷりの、当時の中日のユニフォーム。それを着た少女投手の、キュートなイラストが表紙であった。
小説は、星野仙一が監督をしていた頃の中日が舞台である。実名を使っているが、きちんと取材を重ねたのだろう、小説の人物が実在の人物にきれいに重なり、読んでいて違和感もイヤミも覚えなかった。もちろんそれは私が中日ファンだったからに過ぎないのかもしれないが。女の子がプロ野球選手になるのは野球規則で禁じられている(いた?)ので、少女投手は、もし男であれば存在もしない幾つものハードルを、越えなければならない。何とか勝ち星にたどり着くシーンに、素直に感動した記憶がある。
野球に夢中になり始めたのは星野がエースだった頃だ。彼よりいい投手はいくらでもいたけれど、彼ほど観る者の心を熱くしてくれた投手はいなかった。彼の次に中日のエースナンバー20番をつけたの小松辰雄で、私は彼が星陵高校にいたときから大ファンだったが、それでも20番をつけた小松には違和感を覚えた。それほど「中日のエース星野・背番号20」に入れ込んでいたのである。
星野が率いたチームがオリンピックで負けた時、寄ってたかって誰もが負けを彼のせいにしていたけれど、何も知らないくせにこいつら、と私はひとり毒づいた。何も知らないくせに。現役時代の星野の渾身の投球を、知らないだろお前ら。
原辰徳については、東海大学附属相模高等学校野球部のときから巨人に輪をかけて大嫌い×無限大(笑)であったが、泣き虫なので大目に見てやることにする(笑)。よかったな、侍ジャポン(と、あえてジャ「ポ」ン、といってみる。笑)。決勝打はイチローで、MVPは松坂で、けっきょく大リーガーたちに全部持ってかれてしまったのがなんとなく悔しいけどな(笑)
PS:『勝利投手』、ありました。今度写真見せます。2009.3.25