雨が降ったり止んだりして、暑いしうっとうしいし、仕事も捗らないと、古い記憶が鮮明に蘇るモンなんだねという話(下)2009/07/28 17:07:24

傍で見ていた(見ていたら、の話だけど)クラスメートたちはどう思っただろう。チャイムが鳴ったとたん、
さささっ「由美っぺ!」
たたたっ「由美ちゃん!」
と、ふたりが由美っぺの机にダッシュする。
何より、由美っぺは本当に困っていたことだろう。
頻繁に班替えや席替えがあるので、由美っぺの席から遠くなると不利になる。また、終業のチャイムが鳴っても、担任に呼ばれたりする(おい、あとで職員室にノート取りに来い、とか、学級日誌書き直せ、とか)と、アウトだ。劣勢に甘んじる日々が続くと、辛い。

しかし、そんなことは長く続かなかった。
というのも、私は放課後遊びに興じるようになったからである。
四年生の終わり頃から私は、それまでのデブでノロマで無口なキャラから、体育会系のオネエへと知らずイメチェンを遂げていて、ボール遊びやどろじゅん(団体鬼ごっこ)やろーぜと男子から誘われることが多くなり、リカコちゃんと由美っぺの取り合いするよりはそっちのほうがはるかに面白いということに気づいてしまったのである。
男子七、八人と私ひとり、というメンバー構成だった放課後遊びチームはそのうち女子がひとり増えふたり増え、やがて総勢二十人をゆうに超え(学年の総児童数は五十人余であった)、六年生に進級してからは五年生も混じるようになった。遊びはドッジボールやどろじゅんでは飽き足らず、ボールゲームや鬼ごっこのヴァリエーションはもちろん、騎馬戦までやった。私は背が伸びつつあり、もともとガタイがいいのでいつも小柄な誰かを背負い、十歳を過ぎた頃からいきなり足が速くなっていたので動きも素早く、早い話が騎馬戦では無敵だった。

そんな放課後遊びメンバーに、いつのまにか由美っぺもリカコちゃんもいた。
由美っぺはおとなしい女の子だった。体育が苦手なわけではなかったが、パンツが見えるのもお構いなしにボールを蹴り上げたり、男子の前で鉄棒の前回り・逆上がりをしたりするような女の子ではなかった。リカコちゃんは、はっきりいって動きの鈍い子だった。口はあんなに立つ癖に、けっ、と私は当初何度も内心毒づいた。
けれど、彼女たちも含め外遊び苦手組の子らもいつのまにか参加して、狭い校庭を下校時間まで走り回るようになっていた。騎馬戦では幾度も由美っぺやリカコちゃんを背負った。背負った子の手の温みを肩に感じたり、手つなぎ鬼ではしゃぎ過ぎて手をつないだまま転んで折り重なったときの友達の重み。そんなことを、いまでもかすかに覚えている。

であるからしていつのまにか、由美っぺ争奪戦なんてなくなってしまったばかりでなく、私はリカコちゃんと二人で話すことが多くなっていた。話してみるとリカコちゃんは私よりずっと「大人」だった。彼女には少し歳の離れたお兄ちゃんがいて、その影響をものすごく受けていた。

いつか書いたが、私は六年生になってデヴィッド・ボウイと衝撃の出会いを果たしている。しかし、私はボウイ以外の海外ミュージシャンへのアクセスはできないでいた。その私の前に道筋をつけてくれたのが、リカコちゃんだった。リカコちゃんは、おにいちゃんのレコードだから気をつけてね、といいつつ、私にビリー・ジョエルの新譜を貸してくれた。生涯最高のマイ・ミュージシャンとの運命の出会いは、なんと、一時は天敵とさえみなしたイケスカナイ女の子、のはずの、リカコちゃんによってもたらされたのだった。私はビリー・ジョエルの『ストレンジャー』に脳天をかち割られたような衝撃を受け、心の底から感動した。
すごくよかったよありがとう、といってそのレコードを丁重に返すと、気をよくしたリカコちゃんは次から次へと、英米の名だたるミュージシャンのレコードを貸してくれたのである。

リカコちゃんとは、中学校まで一緒で、高校では離れ離れになった。
しかし、どういうわけか、元天敵の私たちは学校が離れても時々会い、自分のもつ音楽情報を交換したりした。
リカコちゃんのお兄さんは日本のミュージシャンなんかミュージシャンじゃないと言い切っていたそうで、リカコ家では日本の歌手のレコードを買うなんて論外なのだった。じっさい、リカコちゃんも日本人をバカにしていた。

そこで(上)の冒頭の会話である。

でも、私は知っていた。いわゆる「ニューミュージック」系の幾人かのミュージシャンに対して、リカコちゃんが関心をもっていたのを。
私はそれとなくいった。「山下達郎の『FOR YOU』、買ったよ」
リカコちゃんは間髪いれずにいった。「貸して」
そしてこう付け加えた。「ELO、貸したげるからさ」



なぜ、こんなことを思い出したかというと。
私は、いっときほどではないけど相変わらずマイケルの楽曲をたまにPCで鳴らしている。今日も、いつかリンク貼ったこれを聴きたくなって。↓

http://www.dailymotion.com/video/x26tma_mickael-jackson-they-dont-care-abou_fun

で、マイケルを聴き終わってぼーっとDailyMotionの画面見てると、懐かしいタイトルが目に入った。↓

http://www.dailymotion.com/video/x21d8b_elo-dont-bring-me-down_music?from=rss&hmz=706c61796572

ムチャ、古い(笑)
リカコちゃんはけっきょく、私に三枚のELOを貸してくれた。その内の一枚が『ディスカヴァリー』(この↑曲の収録アルバム)だったことは覚えている。もう一枚は『タイム』。なんとこれはまだ我が家にある。あと一枚がなんだったか思い出せない。
私の貸した、山下達郎の『FOR YOU』は、リカコちゃんが持ったままだ。

リカコちゃんは高校卒業と前後して、なんと、エホバだったかモルモンだったかなんだか忘れたけどへんなのにひっかかっちゃって、洗脳されてしまったのである。
「活動」のために遠くの町へ行ってしまい、志を同じくする人とその町で結婚した。避妊とか中絶とか一切許されないそうで、したがって七人か八人の(!)子のお母さんになっていると聞いた。

こうして、リカコちゃんはある日突然いなくなり、私はELOのレコードを返しそびれたのだった。そして山下達郎返して、という機会をも、逸してしまった。
由美っぺは、リカコちゃんと音信を交わしていて、その出奔のいきさつやだんなさんとの馴れ初めとか種々のエピソードを私に教えてくれた。結婚式には出てないけど、その数日後のお披露目には招ばれたそうだし、子連れになったリカコちゃんとも会ったそうだ。数年前には、生まれた故郷のこの町に移ってきたリカコちゃん一家の新居も訪ねたという。

小さな頃に仲の悪かった私とリカコちゃんだが、十代の数年間、ミュージシャンの話を通じてかなり親密につきあっていたつもりでいたのだけど、彼女はけっきょく私には一度も近況を知らせてくれることがなかった。このELOのアルバムに関するやりとりが、ふたりだけで交わした会話の最後の記憶だ。

(どうでもいい話で失礼。完)