今年はどうしようかな、クリスマス……と思いながら借りた本だったけどな、の巻2009/12/16 17:27:58

たいへん昭和なガラス障子の向こうに光るは我が家のツリーの電飾。


『クリスマスツリー』
ジュリー・サラモン著 ジル・ウェーバー絵 中野恵津子訳
新潮文庫(2000年)


クリスマスの朝にサンタクロースからのプレゼントが枕元に届く。この慣わしが途切れなく続いたのは小学校6年生の冬までだった。その贈り手の正体にある日突然気づき(友達のあいだではかなり遅いほうだったと思う。笑)、その後私は、クリスマスに関したいへん醒めた中高生時代を送った。中一だった年の12月12日に祖母が亡くなったので、その冬をきっかけにツリーを飾る習慣は廃れた。中三になると私はまじめな受験生へと変身したので、その冬は文字どおりクリスマスどころではなかった。だが子どもの気持ちとは関係なく母は、本当は七面鳥を食べるらしいけれど、といつも前置きして、毎年クリスマスには鶏料理を出した。鶏嫌いの母の手づくりではもちろん、ない。出来合いのローストチキンは、なじみの商店街の今は無き鶏肉屋さんで買っていたと思う。ひどく、おいしくなかった。鶏にしろケーキにしろ、いつもの晩御飯がちょっと派手になっただけだった。子どもが小さいうちは単純なことで喜ぶので、きらきらした飾りやケーキがあるだけでワクワク感を醸し出すことができただろうが、子どもも成長すると同じ手は使えなくなってくる。といって夜遊びするほど大人ではない中途半端な青少年期、クリスマスの食卓というのはただ不機嫌な顔でその場をやり過ごす夜だった。なんでクリスマスを祝うんだろう? 祝うんならなんで祝日にしないんだろう? 私は、イデオロギーとは関係なく、クリスマスの存在意義に形にならない疑問符をつけていた。

だが私に突然転機が(笑)訪れる。雑誌『オリーブ』の創刊である。ファッション雑誌はアンアンかノンノしかなかった(と思っていた)し、両方ともなんかちょっと違うと感じていた私は『オリーブ』に飛びついた。当初この雑誌にはボーイズ系の趣味を私たちも、というノリだったように覚えている。バイクでのツーリングとか、オーディオ機器の揃え方とか、そんな特集が多かった。ところが一年も経たないうちに、いつのまにかキャッチコピーというか読者ターゲットが「夢見るオリーブ少女」になり、それはつまるところちょっとハイソな都会のミッション系女子高生のことで、地方都市の二流美大生ではなかった。あれ、この頃オリーブなんか違う……と、なんとこの時は「思わなかった」のである。私と親友の小百合は、この雑誌のノリに大いに乗った。そこには私たちが欲しがっていたヨーロッパの香りやテイストがてんこ盛りだった。そして冬、『オリーブ』にはこんな見出しが躍った。「オリーブ少女はクリスマスが大好き!」

大好きになりましょうじゃないの。通っていた大学はまちの北の果て、山の中に建っていたので、冬場は通学路が雪でエライことになることしばしばだった。だがクリスマスを楽しむにはうってつけだ。どうしてもバイトの都合のつかないヤツを除き、イヴの夜は制作室をクリスマスデコレーションで、といっても私たちふうだが、飾り立て、作りかけのオブジェや窓ガラスにスノーパウダーをスプレーし、ラジカセを持ち込んでクリスマスソングを鳴らし、スパークリングワインやビール、ケーキ、お菓子、おつまみを買い込んで、窓の外の雪をかぶっても凛と立つ常緑樹を眺めながら、意味もなくわけもなく語り明かした。
私は毎年、その日のための雪の結晶模様のセーターや樅の木色(つまり緑)のカーディガンを編み、クリスマスイヴという名のゼミコンパの夜に最初に着た。いうまでもなく『オリーブ』の誌上でオリーブ少女が着ている服の模様や形を真似て編んだものだった。

当時、私たちは知らなかったが世の中はバブリーだった。12月を待たず町はクリスマスイルミネーションできらきらになり、クリスマスの演出に役立つ小物がやたら売り出されるようになり、怪しげな団体がクリスマスパーティーと銘打ったお見合い企画なんかを、当時絶好調だったディスコとかでよく催していた。お見合いならまだましで、けったいな布教活動のこともあったみたいだ。とにかく飲んで踊って遊ぶのがヨシとされていたので名目はなんであろうと人は集まった。
そういうのはともかくとして、友達どうしであれなんであれ、パーティーをしないなんて、あるいは招ばれても参加しないなんていおうものなら、変人扱いされたものだ。人も世ものぼせ上がっていた罪な時代。けれども、幸い大怪我をしなくて済んだおおかたの人びとの胸にきらきらしたクリスマスの記憶は、そう悪いかたちでなく残っているのではないか。

大学4年の冬、初めてヨーロッパを旅した。ドイツのミュンヘンに友達を訪ね、彼らに連れて行ってもらった街外れのビアホールに向かう途中、雪景色の中に凛と立つ木を幾つも見た。旅行の時期は全然クリスマスではなかったが、その木々はまさに、子どもの頃によく絵に描いた、てっぺんがとんがってギザギザとしたシルエットの、クリスマスツリーであった。ああ、クリスマスツリーだ、などとつぶやくナイーヴきわまりない私に、「そうそう、山から切り出されてツリーとして売られるのはあれと同じ木だよ」と解説してくれた友達。

本書は題名のとおりクリスマスツリーが主役である。大都会の真ん中、毎年世界中の話題をさらうクリスマスツリーがある。もちろんツリーは天然木を切り出して運ばれてくる。大役を担う木を探し、木の持ち主と交渉し、飾りつけまでのいっさいを天職として手がける男がいる。ある年、田舎の修道院の庭に素晴らしい木があった。気高く、まっすぐ天に向かい、伸びた枝は弾力がありそうだ。孤独な少女の話し相手であり心の友であり、時に父や母の代わりであった木。この木とともに育った今は老尼の元少女と男が出会う。

アメリカに植わっている多くの樹木は、開拓民たちが故郷から持ち込んだものが多いらしい。クリスマスツリーとして重宝されるのはトウヒ(唐檜)という名前のマツ科常緑樹であるらしい。それにも多種あって、本書にはドイツトウヒが最高である、というようなくだりがある。ドイツトウヒはもちろんドイツ系移民がその昔持ち込んだものなのだろう。

ドイツの田舎道の車窓から見た、雪をかぶった常緑樹はドイツトウヒだったのだな。
私は本書を読んで、ただ、そう思った。

大学4年の終わりにヨーロッパを旅して以来、わずかずつだが、世界のありようを理解し始め、世界支配被支配勢力図とキリスト教勢力分布図が重なることに、わずかずつだが、嫌悪感を抱き始めた私がクリスマス嫌いになるのにそう時間はかからなかった。というより、なんにでも影響されやすいというか、得た情報に毒されやすいだけといってしまえばそれまでなんだが。
西洋における宗教行事のひとつとしてのクリスマスは盆正月と同じであるから、尊ぶ気持ちはもちろん、ある。それは、それ。子どもが生まれたら周囲がこぞってクリスマスプレゼントをくれるしサンタクロースもちゃんと来る(笑)ので、また毎年ツリーを飾るようになって十三年。それも、それ。

本書は、『クリスマスキャロル』と並ぶクリスマス本として米国では大人気らしい。書店のクリスマス特集に本書は絶対に欠かせない一冊だそうだ。
しかし、本書や、本書と同時に図書館から借りた『お騒がせなクリスマス』(ジャネット・イヴァノヴィッチ著、細美遙子訳、扶桑社2003年)などを読むと、ストーリーとは全然関係のないところで、やはりクリスマスというイベントの罪深さは人類史上最大かもしれない、なんて思うのである。