しつこいようですがありがとうございます ― 2010/03/04 12:39:37
http://book.asahi.com/review/TKY201003020167.html
(リンクが効かないみたいなので、asahi.comから◎エンタメ⇒BOOK⇒書評と進んでくださいませ)
これで、掲載誌を購読しているしていないにかかわらず書評をお読みいただける。便利な世の中になったもんである。
ただ、同じ内容にもかかわらず、新聞紙上で読むほうが読みやすく、感動も大きく、評者の言わんとしていることがよくわかると思えるのはなぜだろう。今回の場合、私は当事者でもあるし、先に新聞のほうを読んだし、という事情がかなりモノをいっているのは事実であるが。でもやっぱり、新聞は新聞で読むほうが好きである。私は日本の新聞屋さんのサイトには全然行かない。
まあいいや。
気のせいか、アマゾンさんでのランキングも急上昇しているのである。
最近みんな簡単に本を買うし、読んだら売るし。売れてる本は中古市場もすごい。そんなんだと新品での売上の数字をどの程度評価していいのかわからなくなっちゃわないか?
まあいいや。一度でも手にとって目を通してくださったみなさまがたに心から御礼申し上げます。
ほんとうにありがとうございます。
発行元の担当者さんから、仲介者さんを経由して「購入した方の感想」なるものが送られてきた。
ダリの好きなかたって、けっこういる。 これこれこういう本を訳してんのよ、と話をすると、へえーいいな、私ダリ好きなんだーという答えが多くてびっくりした。
ダリを好きな皆さんはこれ、ご存じだろうか?
アメリカ製の、何年か前のショートフィルムの、これは予告編なんだけど。
訳出作業中はとにかくやたら調査しまくるので、こんなものもひっかかったのであったが。
鍵が皿に落ちるシーンがあるので、製作者(か、脚本家)は拙訳『ダリ・私の50の秘伝』の原書『DALI 50 secrets magiques』の英語版『50 secrets magic craftsmanship』を参照したことが窺える。
でもでも。
演じてる俳優、ダリじゃないよー(泣)
ちがう、ちがうよー
違いすぎるよーーー
コメント
_ 儚い預言者 ― 2010/03/06 22:16:09
_ midi ― 2010/03/09 06:43:42
毎度ありがとうございます。
くたくたでございます。なんなのよこの疲労回復にかかる時間の長さはって感じです。
寒いですねえ、また今頃になって。
お互い身体に気をつけて、子どものために頑張りましょう。
秩序と混沌は、出(いずる)ことなく、また連なることなく、それでいて無碍に存する。意味の意味は、存在理由の無限に遡る果てない知の地平に轟く稲妻が、永遠を切り裂くように、魂の喜びという第一義の宇宙の煌きで現すのだ。それは且つ路傍の花の一輪にも無限の価値に等しい。
影は形には執り付かない。それは等しい象限であって、裏表ではないからだ。余りにもそれは自由であるから、自ずからという意思を携えているのだ。
理性は儚い。いつも分かつことで夢を見るからだ。その論理の実証には、公なる想いだけが必要なだけで、森羅万象を束ねることが出来るのである。
世界は一つだけでない。想いの数だけある。それは無限にあるに等しい。
悲しみの跡に道があった。喜びの先に道がある。掌が握る小さな空間が、無限の慈しみで応える。知らない道も知る道もすべて非であり、そして肯くのである。
新しいというときめきの朝はいつも心が騒ぐ。魂の奥に在る無限の木霊に酔うように。
ときめきに
きらめくおもい
ひとひらの
いのちのゆめの
ふたりひとつと
ふと見やることの奇跡は必然の躊躇いを誘い、なお逡巡は自然の生業を超えなかった。美しい瞳に映る宇宙の輝きは、私のすべてを掬い、あなたのきらめきに包まれる。愛しさが風になって、あなたの髪を靡かせ、偶然を装う仕草に宇宙の理を覚るのだった。
纏う愛をあなたに遷して、そして力という意志を飛翔させるのだ。それは地に深く根ざした宇宙の理の開闢であり、創造という二元の、一元への回帰でもある。
栄枯の果てには、愛がある。そしてそれが変転の仮姿で舞いをする。どうしてもという心持ちはいつもあなたという愛を求める。