チェチェンニュースからの転載 もう1件2010/03/25 10:55:34

4日前に配信された分です。ズレててすみません。
お近くにお住まいの方、ぜひお運びくださいませ。
来週金曜日のイベントです。
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Sun, 21 Mar 2010
チェチェンニュース #331(転送・転載歓迎)
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■『アンナへの手紙』上映会 in 練馬
 チェチェンとロシアを巡り、静かな感動を呼ぶ映画、『アンナへの手紙』が、練馬区で再び上映されます。チェチェン音楽や、写真のパネル展示なども予定されており、練馬に「小さなチェチェン」が現れるとのことです。ぜひとも、足をお運びください。

日時 2010年4月2日(金)19:00~21:30(くらい?) 開場18:30
会場 大泉学園ゆめりあホール
http://www.neribun.or.jp/oizumi/

参加費 一般1,000円 高校生以下500円
主催  市民の声ねりま
(チケット申し込み、お問い合わせは)
練馬区東大泉5-6-9 池尻成二事務所 03-5933-0108
siminnokoe[at]nifty.com

ドキュメンタリー映画「アンナへの手紙」
2008年 スイス ドキュメンタリー 83分
監督:エリック・バークラウト
作品提供: Refugee Film Festival (難民映画祭)
日本語字幕:日本映像翻訳アカデミー

プーチン大統領が54歳の誕生日を迎えた2006年10月7日、ロシア政府をもっとも厳しく批判し続けたジャーナリスト、アンナ・ポリトコフスカヤは、モスクワにある自宅のエレベーター内で暗殺された。娘に子どもが生まれることを喜んでいた矢先の悲劇だった。
彼女は、一党独裁に近づくロシアの各地を歩き、格差の広がる地方の人々の声を拾い集めた。そして、世界から見捨てられた、チェチェン共和国への軍事侵攻の実態を暴き、弱者に常に寄り添ってきた。
一人の女性の人生を辿りながら、ロシアの闇に切り込むドキュメンタリー。彼女の死から3年。決して忘れられてはならない人が、ここにいる。

上映後、トークイベント開催!
対談
 寺中 誠(アムネスティインターナショナル日本事務局長)
 大富 亮(チェチェンニュース)

●アンナ・ポリトコフスカヤとは
ロシアのジャーナリスト。1958年生まれ。1980年、国立モスクワ大学ジャーナリズム学科卒業。モスクワの新聞「ノーヴァヤガゼータ」紙評論員。1999年夏以来、チェチェンに通い、戦地に暮らす市民の声を伝えてきた。「ロシアの失われた良心」と評され、その活動に対して国際的な賞が数多く贈られている。2004年、北オセチアの学校占拠事件の際、現地に向かう機上で何者かに毒を盛られ、意識不明の重態に陥った。回復後、取材・執筆活動を再開する。
2006年10月7日、モスクワ市内の自宅アパートで凶弾に倒れた。著書に『チェチェンやめられない戦争』(NHK出版)など。

●チェチェン戦争とは
ロシア南部に位置するチェチェンは、19世紀にロシアが併合した地域で、先住民族のチェチェン人が人口のほとんどを占めている。1991年のソ連邦崩壊の際、チェチェンは独立を宣言したが、1994年、ロシア政府は武力侵攻を開始した。この戦争によって、人口100万人のうち、すでに20万人の民間人が犠牲になったと言われている。

●ロシア社会の状況
1991年にソ連邦が崩壊し、共産党による一党独裁の時代が終わり、ロシア社会は民主化に進むかに見えた。しかし、1994年の第一次チェチェン戦争を経て、軍や連邦保安局(FSB=新KGB)をはじめとする武力省庁が権力を拡大。その象徴が、1999年のプーチン大統領(FSB元長官)の就任と、第二次チェチェン戦争の泥沼だった。

現在、チェチェンでは親ロシア派のカディロフ大統領による傀儡政権が、民間人を誘拐・違法処刑するなど、チェチェン人同士が争い合うように仕向けられ、平和への見通しは立っていない。

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コメント

_ 儚い預言者 ― 2010/03/28 09:33:21

 元来は違いが愛の喜びだった。
 それが今はどうだろう。
 争い差別そして虐殺。
 人が人であることが
 これほど特異になったのはどうだろう。
 人は神の性質をそのまま持っているのに
 それが破滅という方向へまっしぐら。
 学びということがこれほど闇であることが。
 忘れるということがこれほど過重であることが。
 背いてはいけない。
 しかし入り込みすぎてもいけない。

 この今一番大切なこと。
 争いをやめる事。
 それにはどうしても突破しなければいけない事がある。
 自分の本質であり、
 生きる事の根本であり、
 人が宇宙の中での認識である。
 「我」の問題がすべて。

 エゴは殻である。
 だから外なる世界は
 知らない世界であり、
 かつまた怖れの世界でもある。
 ここにこそ愛の問題が浮上する。
 何も空虚でない(エゴから言えば正に虚無)。
 何も嘘でもない(エゴから言えば真実、嘘八百)。
 論理や理性、概念の問題でもない(エゴから言えば問題なる事項にならない)。
 それは不可思議なのに、いつでもどこでもあるという
 逆説的な矛盾を堂々と突きつけるのである。
 だからエゴは無視するのである。
 そして主張が始り、争いが始るのである。

 何を為そうと愛の中である。
 逆説的にエゴの行為は愛には見えないである。
 そしてここにこそエゴが余りに暴走する闇が発生しているのである。

 ここまで継続的循環する世界の流れを断ち切る
 文明の暴走の問題点は、愛のそれに尽きるのである。

 あなたは聞くであろう。それではどうしたらと。
 私は解決策を持たない。持てない。
 ただ「私」という「いのち」が愛に輝くにはどうすればいいか、
 という個人的な問題が
 本当は普遍的な人類の行き先になるという
 「エゴ」と「愛」の微妙な問題になることを
 それは「私」と「わたし」(大いなる私)の関係であること
 そして遠大なる宇宙の物語にも連なる
 魂の故郷からの囁きを聴くことであると。

_ midi ― 2010/03/28 16:31:23

預言者さま
毎度ご贔屓にありがとうございます。律儀にこまめなコメント、恐縮です。
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