「書くということ」の崩壊(2) ― 2010/06/13 22:48:55
お隣の国だというのに私はまるでハングルを知らないが、その説明を聞いてほんとうに(欧米系の彼らじゃないけど)なるほど納得、という気分だった。
前エントリで九楊先生の短い寄稿コラムをわざわざ写して掲げたのには、いくつか理由があって、ひとつは、漢字の点画がアルファベットの文字に相当するという、その九楊先生の指摘が、20年近く前の「ハングル体験」を呼び起こしたからだ。私は当時彼女たちのプレゼンに感心したが、では漢字が同様の「文字=語」であるかどうか、自問してもみなかった。韓国人の彼女たち自身も、もはや韓国には漢字は存在しないかのような、漢字にはまったく触れずのプレゼンであった。
ハングルを発明した人のことは知らないけれども、その人はきっと、漢字の成立パターンや構成を、しゃぶりつくすように研究したに違いない。
もうひとつ、さらに古い記憶が甦ったのだが、それもハングルがらみだ。まだ駆け出しの頃にどこかで観た韓国の芸術家の展覧会。彼の作品にはハングルがびっしりと描き込まれていた。その彼が画家を名乗っていたか書家を名乗っていたかが思い出せない。図録を買ったはずなのに見つからないし。
ただ、作品はハングルの読めない私たちにも鬼気迫る勢いで韓国の被支配時代の苦難を訴えていた。ハングルの文字ひとつひとつが、人にも顔にも声にも見える。文字として読めない私たちにとってそれはやはり書ではなく絵であった。あったが、文字が書かれているという前提が、観る者の心に声なき声をつかみとろうという意図を生むこともまた事実だった。
そういういろいろなことを抜きにしても、その展覧会は、作品の美しさがものをいって非常に盛況だったと記憶している。ああ、なんで覚えてないんだろう。
私はグラフィックの世界で生きていたので、若い頃は文字をデザインするという仕事をさんざんやった。漢字の点画を部分的に太くしたりはみ出させたり、セリフ体の欧書体のヒゲを伸ばしたりカールさせたり。
「口」や「日」の第二画の下ろしかたには本来違いがあるなんて、今回九楊先生のコラムを読むまで(さんざん白川静先生の辞書にお世話になっているのにさ)知らなかった。けれども、それは血肉のように私の中にあったのは確かだ。「口」のときは少し左下に、「日」ではまっすぐ下に。それはお習字通い始めのごく初期に先生から何度もいわれることである。学校の国語の時間にも、習字の授業でも、いわれることである。私たちの体の中に当然のように流れ込んできた漢字の点画の在りかたは、現在、意識する人も教える人もほとんどない。子どもたちの体には漢字の血が流れていかないのである。
文字を思い切り崩して遊んでみる、ロゴデザインの仕事ではそういう作業が必要だが、見る者が文字として読めなければ意味がない。その最低ラインのところで仕事ができるかどうかは、その血が流れているかどうかが問われるところだろう、と思ったことが、九楊先生のコラムを取り上げた理由の二つめ。
今はデザインワークがコンピュータ化されてしまったので、手描きでレタリングするなんてことはもうないのだろう。
文字の血を失ってしまったら、つまり、文字文化の基本情報を習得しないままで文字で遊んだりデザインしたりなんて作業はいずれにしても不可能だから、もうそれはそれでいい、ということなんだろう。
2Bで、とはいわないが、鉛筆で紙の上に字を書くという時間を、子どもたちのためにもっともっと無理矢理にでも増やすべきだと、真剣に思う。