Donc..., il faut changer les idées, c'est sûr. ― 2011/01/29 00:31:14
18ページ〜【WORLD●情報カプセル】より
19ページ「次期冬季五輪開催地のソチが既にマフィアの巣窟に」
(以下記事全文を引用)
二〇一四年の冬季五輪開催地、ロシア南部のソチが、全土から集まったマフィアに乗っ取られつつあると地元当局がプーチン首相に泣き付いている。既に抗争も起きており、一〇年十一月の一カ月間だけで確認された死者は十人を超えた。
ただ、中央政府の警戒はマフィアよりもテロに向けられている。グルジアや、チェチェンが、五輪を標的にしたテロを仕掛ける事態をモスクワは恐れている。マフィアのような「チンピラのケンカ」は地元が自力で潰せという態度だ。
結果としてマフィア対策は万全ではなく、五輪に注がれる大事業費の利権に群がっている。一八年のサッカー・ワールドカップ(W杯)もロシア開催が決まり、しばらくマフィアが潤いそうだ。
(以上引用終わり)
「お母さん、マフィアって何」
「うーん……やくざみたいな感じかな。違うかな」
「やくざって、吉本によう出てくるやつ?」
「吉本に出てくるのはチンピラレベルやけど」
「でもここにはマフィアのようなチンピラ、って書いてある」
「プーチンから見たら何でもチンピラやろなあ……」
「なんでやくざとかチンピラとかがソチに来んの?」
「お金が動くしちゃうかなあ。ほら、お金貸すとか、もうけを横取りするとか、業者そそのかして要らんもん売りつけるとか」
「ほんで、金返せーって言いにきゃはんの?」
「そうそう、市松模様のスーツ着て」
「ローテーショントーク、とかゆって?」
「しゃあないなあ、これで最後やで、ミュージカルトーク!、とかゆーねん」
「ウチ、ソチオリンピック、観に行くわ」
「オリンピック始まる頃にはやくざはもういいひんで」
「もしいても、競技場には来いひんし」
「来たりして。ロシアのマフィアが市松模様と赤と青のスーツトリオで出てきてローテーショントークとかしてくれたらちょっとぐらいロシア好きになるわ」
「ウチ、《お邪魔しますか?》でも好きになるかも」
……というような母娘のばかばかしい非生産的な会話を紹介するためにこの短信を引いたのではない。私は『選択』が大好きなのでずっと定期購読しているのだが、ロシア関係の記事の扱いだけは気に入らない。プーチンは空手だか柔道だかの心得があるとかで、部分的親日家のようだし、だから日本人にもプーチン好きがいてもおかしくないから、そういう類いの人が『選択』編集部にいたとしても何ら不思議ではない……とどうでもいいことを勘ぐりたくなるほど、本誌は「親露的」である。この短信のようにその社会情勢を揶揄することはあっても、チェチェン=テロリストであり、ロシアはチェチェンをはじめとするカフカスのテロの脅威につねにさらされている、という図式が基礎基本基盤として記事執筆および編集方針の根底にある。いや、あるように思われる。数年前にも、上記のような短信ではなくて数ページにわたる長い記事(ルポではなく論説だったと思う)のなかで、チェチェンのレジスタンスを過激な行為でいわれのない脅迫を中央政府に対して続けるイスラム原理主義者集団のような書きかたをしていた。その記事は、チェチェンの独立運動が主題ではもちろんなくて、まったく別の件でのプーチン大統領(当時)を論ずる文章だったが、プーチンを時折刺しに来る蚊のごとき目障りなものとして、「チェチェン人のテロ」に触れられていた。いくら何でもあんまりだと思ったので「アンタたちもうちょっと調べてからもの書きなさいよ」と抗議したことがある(笑)。私もアホだが、「貴重なご助言、今後の参考にいたします」なんて箸にも棒にもかからん返事をよこした編集部の担当者も相当アホであった。だけど、もう『選択』なんか読まないぞ、と決意するには、ロシア関係の記事は少なすぎて、ほかの記事は面白すぎるのであった。というわけで現在に至る。
ソチのオリンピックもロシアのマフィアもどうでもよいが、〈グルジアや、チェチェンが、五輪を標的にしたテロを仕掛ける事態をモスクワは恐れている。〉なんて一文をすーーーっと、まるで世界の常識のように、わずか1ミクロンの躊躇すら見せない筆致で書かれると、全身の力が抜けて、なけなしの気力さえもスライム化していく自分を感じるのである。
もしそれらが無ければ世界は破滅するかのように。
無礙なる自由を選択するのは、世界への無謀な挑戦であるかのように。