On ne parle jamais de la vérité, surtout de la Tchétchénie, en Russie. ― 2011/01/27 00:13:37
Date: Wed, 26 Jan 2011
チェチェンニュース #357
■「ロシアで起きたテロ」のブラックジョーク
本当に、ロシア政府の行動はすばやい。
テレビでは、爆破現場の映像が、もう公開されている。爆発現場に、監視カメラが、偶然設置してあったに違いない。
そして、もう「チェチェン共和国出身の3人の男」が、犯人の可能性が高いと、発表している( http://tinyurl.com/4ogqtqj )。
アンナ・ポリトコフスカヤ殺害事件を、4年以上放置して、いまだに犯人の目星もつけられないロシア政府とは、到底思えないほどの、きびきびとした捜査能力に、ついため息が出る。
モスクワアパート爆破事件の犯人も、事件から12年間、つかまる気配すらない。もっとも、彼らは連邦保安局のオフィスで、国のために精勤しているのかもしれないが(詳しくはリトビネンコの『ロシア 闇の戦争』光文社刊を参照)。
そういうわけなので、発表ものには、注意しましょう。
なお、読売新聞の社説は、大体、まともだと思いました。
ロシア空港テロ 憎悪の根を絶つ努力も必要だ(1月26日付・読売社説)
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20110125-OYT1T01090.htm
では次の話題を。
昨日、1月25日の東京新聞朝刊には、モスクワ・ドモジェドボ空港での爆破事件に関連して、「ロシアで起きた主なテロ」という表が掲載されていた(写真参照)。この手の事件があると、同様の年表がいろいろな新聞に載る。
http://d.hatena.ne.jp/chechen/20110125
この年表は、『チェチェン人がどれだけロシア人を殺してきたか』を説明する資料であり、その逆ではない。
こういった表での犠牲者数を合計しても、今まで、チェチェンによる「テロ」で死んできたロシア市民は1,000人を越えない。しかし、ロシア軍による対チェチェン軍事侵攻で殺されてきたチェチェン人の数は、 20万人以上にのぼる。1人のロシア人が死ぬ間に、チェチェン人が200人死んできたという事実は、こういう表からは、どうしても読み取れない。
犠牲者の数が1,000人と20万人だから、ロシアの方が悪いなどと言いたいわけではない。一つ一つの事件が、どのような文脈の中にあるのか、正確な理解ができなくなってしまう恐ろしさを、どうか知ってほしい。
このように、テロの脅威を、現地政府・治安当局の視点に立って宣伝する姿勢は、ロシアにおける日本の新聞社、通信社の支局だけの問題ではなく、日本国内でも、記者クラブ制度を通じて、政府と一体化した報道しかできない、あるいはしようとしないマスメディアの姿を浮き彫りにしている。
たとえば、「モスクワ劇場占拠事件」での犠牲者129人が、ほとんど全員、ロシア治安機関が使った毒ガスで殺されたことを、なぜ事実どおり書かないのだろう。この年表が、それをどのように隠蔽しているか、よく見てほしい。「特殊部隊が人質を解放したが、129人死亡」・・・。ブラックジョークだろうか。
「ベスラン学校占拠事件」の犠牲者330人も、ロシア政府の交渉の拒否と、きわめて強引な地上部隊の突入によって死亡したことを、まるでチェチェン人の責任であるかのように書くのも、犯罪的ではないだろうか。
他の西側メディアはどうだろう。下は、イギリスのテレグラフの年表だ。逐一翻訳する時間がないので、日本の報道と、際立って違う部分だけを訳してみよう。
せめてこの程度の基礎的な事実を年表に加えれば、ロシアとチェチェンの間に横たわる問題への見方は大きく違うはずだと、以前からチェチェンニュースで伝えているつもりだが、何度見ても「日本式=ロシア式テロ年表」がなくならない。記者の方々には、このことをよく考えてほしい。
(大富亮/チェチェンニュース)
英紙テレグラフより「モスクワ空港爆破事件:ロシアにおける攻撃の記録」
Moscow airport attack: timeline of attacks in Russia
A suspected suicide bomb attack kills at least 31 people at Moscow's Domodedovo airport. The following is a timeline of big attacks on Russian soil over recent years:
1994-1996 - Tens of thousands of people are killed in the first Chechen war.
1994-1996 - 第一次チェチェン戦争で、数万人の人々(ほとんどがチェチェン市民。訳注)が殺された。
June 1995 - Chechen rebels seize hundreds of hostages in a hospital in the southern Russian town of Budennovsk. More than 100 people are killed during the rebel assault and a botched Russian commando raid.
Sept 1999 - Bombs destroy apartment blocks in Moscow, Buynaksk and Volgodonsk. More than 200 people are killed. Moscow blames Chechens who in turn blame Russian secret services.
1999年9月 モスクワ、ブイナフスク、ヴォルゴドンスクで集合住宅が爆破され、200人以上が死亡する。ロシア政府はチェチェン人を犯人だと非難したが、逆にロシア治安機関が犯人だと反論を受けた。
Aug-Sept 1999 - Hundreds of Russian soldiers killed battling Chechen militants in the mountains of Dagestan. The second Chechen war begins and Russia bombs Chechnya. Tens of thousands are killed in the war. Russia re-establishes direct rule in 2000.
1999年夏 第二次チェチェン戦争が開始され、ロシア軍はチェチェンを爆撃。数万人が殺害される。翌年、ロシア政府はチェチェンに直轄統治を導入。
Oct 23-26, 2002 - 129 hostages and 41 Chechen guerrillas are killed when Russian troops storm a Moscow theatre where rebels had taken 700 people captive three days earlier. Most of the hostages are killed by gas used to knock out the Chechens.
2002年10月、モスクワ劇場占拠事件で、129人の観客と、41人のチェチェンゲリラが殺される。殺害された観客のほとんどは、ロシア治安当局が劇場に注入した毒ガスで死んだ。
以下略(続きは http://tinyurl.com/4zrwrqa )
*********************************************************************
以上転載でした。
正義という危うさは、いつも事実と思惑、生物的限界に挑戦させられる。