Vous savez, il y a pas mal de gens qui pensent beaucoup aux Japonais en cette période de commémoration.2012/03/11 23:59:59

今日、一日中、大量の洗濯物をいくつかに分けて何回も洗濯機を回しながら、『ニュー・シネマ・パラダイス』を観ていた。大好きな映画だ。封切りで観て以来、いったい何度観たことだろうか。何度観ても、面白いし、感動するし、胸が温かくなる。

洗濯物を干しに、何度も階上へ上がって、降りて、止めていた映像をまた再生して、コーヒー入れてマグに注いで、みたいなことを繰り返す。昼過ぎまでは天気がよかった。乾き具合がもうひとつだった昨日の洗濯物を取り込み、今日の分をまた干していく。今日は8時30分に京都マラソンの号砲が鳴ったはず。私の友人諸氏も無事スタートを切ったはず。今頃どのへん走ってるんだろう、天気よくてよかったな。ゆるい陽射しに少し気分をよくしながら、久しぶりに洗ったぬいぐるみも干していく。

好きだからという理由で同じ映画を、くりかえし見る。かつてはビデオテープ、そしてDVD、今は動画配信なんつうもんが発達したおかげで、映画は衰退したと言われて久しいが、よい映画はそうした方法で生き残り、いつまでもわれわれのような映画大好き人間を楽しませてくれる。
昔むかし観た映画も、感動するシーンは昔とは微妙にずれてきて、若い時には何とも思わなかったシーンが、今観ると妙に切なくこころにしみたり。

『ニュー・シネマ・パラダイス』のラストシーンは有名だからもうここには書かないでおこう。
アルフレードの残してくれたフィルムを観るサルヴァトーレの何ともいえない感激した表情は、最初に観た時は単に亡きアルフレードとの約束や思い出が甦ってきての表情だと思ったけれど、私も青かったな、てことだな。中年になったサルヴァトーレの胸に去来するものはシチリア時代だけではなく、故郷を後にしてからの30年間でもあっただろう。いまだに初恋の人を忘れられずにいるサルヴァトーレだけど、長いローマ生活の間におびただしい数の恋愛を経たはずで、そのひとつひとつは、女の名前は思い出せないけど唇の感触は忘れていないとか、あるいはその逆というふうに、何らかの記憶を刻んでいたことだろう。
アルフレードの形見は、古傷もいいも悪いも思い出は何もかも、過ぎてしまえば走馬燈に描かれた絵に過ぎないということを、突きつけているようだ。


生きているうちは、生き抜くしかないのである。
生きて、生きて、命ある限りは、命あることを祝福する。私たちの道はそれしかないのである。

いつまで経っても、心のうしろのほうが疼く。
居合わせた以上はこの疼きから逃れて生を終えることはできない。

たくさんの人々が私たちのために祈ってくれている。
だから私たちも、世界のために祈ろう。

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