Couturière tu dors? ― 2012/11/12 05:21:07
家事や身だしなみにかける時間を削って(=朝食と弁当以外の食事の準備はしない、風呂以外の掃除をしない、部屋に散らかったままの服を繰り返し着る、化粧をしない)、べつにサボっても命とられやしないってわかってんのに、山積する会社の仕事をしている。つくづく自分はアホやと思う。残業手当というものは存在しないのに。
そんな状況だから私も生活を切り詰めないといかんのだが、どういうわけかそんなに生活蝕まれているのに、食う時間と寝る時間を削って、なぜか夏から受講した翻訳講座の課題を訳している(笑)。痛い出費だったが、課題の消化は、いかに私が全然フランス語をわかっていないかをあぶりだしてくれている。こんな程度でダリ君の本を訳してしまった。ごめんよ、サルヴァトール。
でも、課題文があまり面白くないので正直言うとイマイチ本気で取り組めない(言い訳ですけども)。だから、食う時間と寝る時間を削って、と書いたが、じっさい、「削る」ほどには時間を割いてない。というか、割けない。私の道楽半分の翻訳学習よりもはるかに重要な案件が私の目の前には堆く山となっているからだ。
それは、これ。
トゥシューズのトゥ部分を補強加工すること。

上の写真は昨日つま先を仕上げたところで、あとはリボンとゴムの縫いつけをしなくちゃなんないが、つま先補強&修理はとてもしんどく厄介な作業なのでこれが済んだら90%済んだも同然だ。
革を貼り、周りをかがるようになって5足目かな。娘は文字どおり「履き潰す」まで使ってくれる。が、馴らし損なうと、補強加工云々とは関係なく足にフィットしなくなるので早々とお払い箱。それでも、ほかの生徒さんたちに比べたらけっこう長期間、1足のシューズを使うほうじゃなかろうか? ま、でも数足並行で使って、2~3か月かな。
履き潰したシューズ。
先がボロボロでしょ。

補強加工して新たにおろしたシューズも、



冒頭の写真を再掲。

ちなみに、革を貼らないと、つま先のサテン布の損傷が激しく、つま先そのものを立ち潰す前に不細工な状態になる。

もちろん、革を貼るようになったからといってこの作業が免除されるわけではない。寿命が近づくと、すり減った革は布よりも薄くなってぺろんぺろん、しなやかさがなくなってぱりぱり。それでも、「このシューズで舞台に立つ」と決めたシューズの場合は、無残なつま先を手当てして何とか延命を図るのである。
そもそも、縫うだけでは、ない。
新しいシューズを買うと、中にニスを流し込んでまず内側からつま先を硬く補強する。以前はこれだけをしていたが、革を貼るようになったので、最初に革貼りをする。というのも、革を貼る接着剤が完全に乾くのに三日を要するからだ。ニスは乾くのに丸一日かかる。したがって:
1)シューズ、革、リボン、ゴムを揃える。
2)シューズのつま先と、革の全面に専用接着剤を塗り、10分置く。
3)生渇きになったところで貼り合わせて、(あれば)木槌などで(私はないのでジャムの瓶の底で)押さえつけるように叩く。かなり強く叩く。やめてえっっというシューズと革の悲鳴が聞こえるくらい叩いてしっかり貼りつける。
4)一日放置。
5)内側にニスを流し込む。ポワントハードナーという名前で売られている、シューズ専用のニス。ティースプーン1杯くらいを、シューズの外側に付着しないよう気をつけて中に垂らし、まんべんなく行き渡らせる。
6)ニスが乾くのに丸一日かかるので、また放置。
7)翌日、ニスがからからに乾いていたら、また流し込む。
8)ニスの流し込みを三回(つまり三日)繰り返す。この頃にはつま先の革の接着剤も乾いて強固に貼りついている。
9)革の周囲をかがる。両足の内側を決め、内側のみ往復かがる。そのあと革の周囲を一周する。
10)リボンを長さに切り、ほつれ止めのために端をライターで溶かす。
11)位置を決めてかかと側にリボンとゴムを縫いつける。
1)から8)までで最短でも4日かかるのだが、じつは9)から11)の工程で1週間以上かかる。だって、毎晩疲労困憊してるから、ひと針も縫えないこともあるんだよねー
それにさー、雑巾縫うのとはわけが違うし。
だから新品を買ってから娘に渡すのに20日くらいかかったこともあった(笑)。
さてさて、昨日は友達とシャガールを観にいった。

シャガールをいいなあと思ったのは、だけどとても古い記憶だ。今春、パリオペラ座の天井画を観てきたが、そしてそれはもちろん素晴らしかったが、それがたとえばピカソの作品でも、ゴッホやマティスやセザンヌや、スーラやピサロやマネやモネ、ミレーやゴーギャンやドガやルノワールでも、コクトーであってもロートレックであっても、それなりの出来映えの天井画がはめられ、時とともに愛されてきただろうなと思わせたのだった。ああ、すごいわ、さすがシャガールね、という感慨ではなく。
さてさて、文博の今展には「ダフニスとクロエ」のための連作がすべて展示されていた。ひとつひとつは大きな絵ではなかったが、むせかえるようなシャガール香の感じる絵であった。ダフニスとクロエってハッピーエンドストーリーだったのね。
収穫だったのはエッチング作品のシリーズと、黒インクのシリーズ。シャガールの絵は青くて緑で、中央に象徴的な赤い色もしくは花束、のようなイメージだったので、モノトーンの作品がこんなにあるなんてと驚いた。繊細な線による描きこみ(または掻きこみ)がシャガールならではといったらそれまでだけど、それらの作品からはシャガール香ではなく、画材の匂いを感じた。美大の版画室のあの匂い。漫画を一生懸命描いていた頃の自分の部屋に満ちていた、ペンと面相筆と墨汁と黒インクの匂い。
ベラルーシ生まれの画家は、一度パリで名声を得て帰国、そのとき戦火が広がりすぐにはフランスへ戻れなくなる。数年のちに再び西進するが、ナチスの台頭で追われる身となりニューヨークへ亡命。戦後ヨーロッパへ帰還するが、故郷の村は焼き払われていた。
最初の妻ベラはニューヨークで早逝した。ニューヨークに滞在中、シャガールを支えたのはヴァージニアという人だった。アメリカを後にしたシャガールはフランスに居を構えて同じユダヤ人のヴァランティーヌと再婚。最後は南仏で、97歳で亡くなったそうだ。まあ、そんなに長生きだったなんて知りませんでした。
シャガールの作品を観ていると、自身がどこに在ろうと、ユダヤ文化と故郷の風景を愛し抜いて描き続けていたことがわかる。19世紀から20世紀の作家は舞台人をよく描いているが、シャガールの作品も、劇場の壁画の仕事等に恵まれたこともあったろうが、役者や踊り子を生き生きと描いたものが多い。
娘も描かれる踊り子になってほしいな。
世紀の巨匠の作品を展観しても、思いは我が子にしかゆかない普通の母でありましたの巻。