C'est quelque chose pour la vie...2013/01/10 18:38:51




『辰巳芳子 スープの手ほどき 和の部』
辰巳芳子著
文藝春秋(2011年1月)

料理の本である。でも、基本タテ組み、料理の手順を示す写真の横に時折ヨコ組みで説明が入る。書体は基本、明朝体。細明朝、太明朝、見出し明朝とヴァリエーションをフル活用しているが、ゴシック系のサンセリフ書体は皆無。アルファベットのあしらいも一切ない。アラビア数字は随所に使用されているけれど……材料の分量を表記する際くらいである。なんとも潔い、日本語の本。


料理本の多くはヨコ組み、左開きの体裁だ。人数分や、材料の分量、また1、2、3……と作りかたを箇条書きにする場合、ヨコ組みのほうが誌面が落ち着く。昨今の、レシピサイトや料理ブログ大流行りとあいまって、まるでウエブサイトをそのままもってきたような、ページを繰ると著者のブログをスクロールしているような、そんなつくりの料理本もはびこる。
そして多くの場合、料理本は写真にモノをいわせる。器、クロスなどとともに美しくあるいはセンスよくスタイリングされた料理写真満載の本は、レシピの記載が多少不親切だったり、料理じたいに新味なくありきたりであったりしても、よく売れる。
でも辰巳さんの本は、記憶する限り、すべてタテ組みだ。

タテ組みであっても、レシピが読みづらいとか、手順がわかりにくいといったことはまったくない。それは、辰巳さんの文章が必要十分であるからだ。余計なことを言わないけれど、辰巳さんの想像を超えて現代人は料理を、食を知らないので、そうした初心者の心をわしづかみにする「ツボ」を押さえるひと言がさりげなく添えられている。


「レシピ」なんて外来語は使わない。レシピってどこからきていつの間に料理の作りかたを指すようになったのか。語源の英単語はrecipe。調理法のほか、医療用語の処方箋の意味もある。日本では「処方箋」を指す外来語はドイツ語のRezeptを「レセプト」と読んで採用しているけれど。ちなみに仏語では調理法はrecette。recipeはラテン語由来のようだけど仏語にはない。いちばん綴りの近い語「recipient」は「容器」のことだ。
話が逸れたが、つまり今さら和訳不可能な用語をカタカナ表記する以外には(たとえば「スープ」ね)、氾濫し蔓延るけったいなカタカナ語は用いないのである。したがって、調理上注意を促す必要のあるプロセスについても、「ここがポイント!」なんて表現はしないのである。
なんと「かんどころ」である。ブラヴォ!

いつか辰巳さんのエッセイ本について書いたことがあるけど、とにかく現代人の食生活に危機感を覚え、日本人の食文化の衰退を憤っておられる。時の流れは残酷なほど人間に変化を強いる。人間は変化に抗ったり応じたり、一緒に変わってみたり頑固に変わらなかったりして、生き延びている。そのことを辰巳さんは否定しない。ただ、間違ってはいけないというのだ。
《文化のなかには手放してよいものと、
 頼らなければならないものがある。
 伝えなくてもよいものと、
 伝えなければならないものがある。》(32ページ)


「わきまえ事」である。
人が人であるために、なによりもわきまえておかねばならないことがある。
ずっと昔、当時の男(仏産)に「人間は自然に生かされている」と言おうとしたことがある。それを、このままの日本語ニュアンスでどうしても言えなくて、文法的には「自然のおかげで生きることができている」というような言いかたになったと思う。するとその仏産の男は言下に否定した。「それは違うな。人間は自然を制御しなきゃな」。もう記憶が曖昧だが、その時彼はcontrolerという動詞を「支配する」「制圧する」という意味でなく、「管理監督する」「操る」「うまく利用する」という意味で用いたんだなと、その時の私はとっさに解釈したんだが、のちに、そいつとの月日に幕を引くと同時に、さまざまな発言や文献を見聞きして、やはりあの時彼は「人間が自然を支配する」と言ったのかもしれないと思った。私たちは、土にも石にも水にも樹木にも稲穂にも神が宿ると思っているが、奴らの神はイエス・キリストただ一人。地面とか海とか山とかは、人間が住みつき切り拓き、知恵を絞って有効に使い、支配下に置くものだと考えているのである。
フレンチもイタリアンもおいしいけど、その料理の根本にある姿勢に、「いのちをいただく」といった精神は全然ないように思う。「食べてやる」という気持ちのほうが強いと感じる。
そのことが悪いというつもりはない。人の心身は風土でつくられる。日本人には日本の風土において形成された心身が、西洋人には西洋のそれがある。それでよいと思う。



辰巳さんのスープづくりにおける信念は、「いのちをはぐくむ」ことだ。動植物の命をいただき、人の生命に活力を吹き込むための、かけがえのないひと口のためのスープ。愛する人の命を育み、はばたかせ、永らえて、やがて迎える終焉にも穏やかに寄り添うことのできる、スープ。
和食における料理のイロハ(だしの引きかたなど)をきちんと押さえてあるので、レシピ本としてとても応用の利く一冊。加えて、自身の、家族の、地域の、社会の食生活・食文化を見つめ直すにもよい本である。
本書は東日本大震災の起こる前に出版された。
もはや、日本の「食」は取り返しのつかないところまで退廃しているといっても過言ではないが、私たちが「健康に」「生き延びて」「時代へ伝える」ために、知っておかなくてはならないことの、いくつかが書かれている。
子どもたちのために、そして私たちの親世代のために、読みたい本である。

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