Je t'aime, Pedro! ― 2013/12/09 16:19:44
私が好きな映画って、たいてい小規模館のみの上映で、あっという間に終了するし、そもそもここ数年子ども向け青少年向け映画しか選択肢に入らなかったので、観たい映画、そそられる映画はいつもレンタルに出てから、しかも新作でなくなってから(安くなってから)借りて、子どもが寝てから深夜にこっそりと観る、という……。でもね、そんなことのできる日が何回あったことかしら。おまけにウチの近くのしょぼいレンタルショップには、ハリウッドと日本のメジャー作品ばかりでヨーロッパの粋な小品のラインナップがほとんどない、ときてるし。
そんなキビシイ条件下でも、素敵な映画と出会おうと思えば出会えるのである。好きだ好きだ好きなんだよ~と言ってれば向こうから呼んでくれるのである。これはほんとよ。ったく何にもねえなあこのショップと思いながら棚を眺めていても、私に「観てくれ!」とビビビ光線を投射する背表紙があったりする(笑)。そういうのは、聞いたこともないような監督の聞いたことのないタイトルのもの、とくにいつもは一瞥するだけの邦画の棚でよく出会う。
ま、今回はどうしてもペドロの作品が観たくて、レンタル中でないものがこれのほかには『ヴォルヴェール』だけだったのでこっちを選んだのである。といっても、ペドロ作品のDVDはあと『トークトゥーハー』『オールアバウトマイマザー』しかなかったけど。『タロンエギーユ』『マタドール』もDVDにしてほしい~~~。それにしても、ペドロの映画って、同性愛(オトコ)ものかマザコン(母×娘、母×息子)ものに限定といっても過言ではないのに、よくあれもこれもとさまざまに撮れるものだ。
タマネギをスライスし終えて、鍋に投入。強火で数分、山盛りあった12個分のオニオンスライスのかさが少し減ったところ。


30分ほど経過。徐々にとろりんとしてくるタマネギ。映画のストーリーはどんどん進んでついていけなくなりかけているわたくし。

主演のガエルくん。でも、この子より……

相手役のフェレくん。この子のほうが好み。それに、この子のこの役のほうが存在感あったんだけどな。

40~50分経つと色づいてきて、ようやく、ああ炒め続けていてよかった、という気持ちになる。ここからさらに長いけど。この辺まできてようやく中火に火力を落とすのよ。それまでずっと強火なの。そやからアンタ、画面観てる場合じゃなくてさ(笑)。

1時間超経過。焦げつかないように水を差しながら。楽しい。映画はもうBGMになっちゃっています~。

さらに20分くらい。もう1秒も目を離せません! すぐ焦げついちゃうからさっ

ここまで来ると、ねっとり感とか色味とか、好みでいつやめてもいいみたい。火にかけてから1時間40分くらいでござる。

コンロのあるところは暗いのできれいに見えないんだけど。バットにラップを敷いて延ばし、割りやすいように筋を入れたところ。きれいなブラウンでしょ。

翌朝のスープ用に大さじ2杯分、とりわけましたの。おいしそうでしょ。おいしかったわよーアンタこれ、おすすめよ!

そんなわけでもう一度最初から。

Fils unique, fille unique ― 2013/12/19 18:11:55

『ひとり暮らし』
谷川俊太郎著
新潮文庫(2009年)
「華の40代」(笑)が残すところあと1か月を切ってしまった。早いもんだなー。40歳になった年のあるとき、小学生の娘と地域のお料理イベントに参加した。みんな母と子の参加で、子どもに料理のイロハを体験させるイベントのはずだったが、子はほとんど遊ぶばかりで、けっきょく母親たちが切って刻んで混ぜて煮て炊いて、と全部、わいわいいいながらつくっていた。そんな母親たちを、子ども同士に飽きた子どもらが取り囲んで、俺の母ちゃんこれー、うちのお母さんこのひとー、あたしのママはこれーと口々に母紹介&母自慢。
「ひろくんのお母さん何歳? 35?」
「ゆきちゃんのお母さん何歳? 33?」
「まーくんとこは? なっちとこは? 36? 37?」
「お母さん、お母さん、勝ったで! お母さんがいちばん年上やで」
「見て見て、ウチのお母さん、もう40歳やのにこんなに元気やで!」
……以上はすべてウチのさなぎのセリフである……。(子どもの呼び名は仮名)
私の記憶が正しければ、そこに参加していた子どもたちの9割がひとりっ子だった。小学校低学年のイベントだったので、子どもたちは7〜9歳。その時点でひとりっ子だったら、その後二人めが生まれている可能性はあまり高くないだろう。当時から今に続いておつきあいのある家庭は数えるほどしかないが、見事に子どもたちはみんなひとりっ子である。
ウチの子もひとりっ子、甥っ子もひとりっ子。保育園から一緒の幼馴染みもひとりっ子。ともに陸上に打ち込んだ同級生もひとりっ子。放課後、学童保育に連れだって通った少年たちふたりも、それぞれひとりっ子。
先述したように、32歳で娘を生んだ私は、当時は年かさのほうだった。周囲はやはり20代で第一子を生んでいるひとが圧倒的に多かった。今、30代後半で初産はちっとも珍しくない。やっと赤ちゃんを授かり予定日の近づいた若い友人は、39歳だ。私の髪をいつも切ってくれる美容師は、同じ高校の3〜4年後輩なんだが、40歳で授かった娘を玉のように愛でている。
非婚が進み、晩婚が当たり前になり、それでもし、しぜんに子宝に恵まれればめっけもんだ。たいしてほしいと思わない夫婦はそのままふたりの暮らしを楽しむだろうしなんとしてもほしいカップルは不妊治療にトライする。医療も進んだし、成功率は低くないし。でも、ひとりが精一杯だろう。私の周囲に不妊治療の末の妊娠は片手を超えるが、みんなひとりっ子だ。
私が子どもの頃は、ひとりっ子は稀有な存在だった。
といっても、きょうだいの数は2人か3人、それ以上の例はなかった。
私の父は4人兄弟(ひとり夭逝)、母は8人兄弟姉妹(2人が夭逝)。
今年、なんと初めて村上春樹の小説を読んだ。初めて読んだのは『国境の南、太陽の西』で、これは「ひとりっ子」が物語を通徹していた。その後すぐに、発売されたばかりの『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を、友人から譲り受けて読んだ。そのあと短編集『東京奇譚集』だったっけ?を読んだ。思うに、主人公の男は、名前をはじめ生い立ちなど設定は少しずつ変えてあるものの、全部、けっきょく同一人物だ。水泳が趣味とか、好んで聴く音楽や好きな料理が同じだ。……というようなことは今、どうでもいいのであった。話を戻すが、最初に読んだ『国境の南、太陽の西』では、主人公の精神がひとりっ子コンプレックスに満ちていて、奇異にさえ思える。述べたように、私の世代にもひとりっ子は珍しくて、たしかにひとりっ子にはなにがしかのレッテル貼りを周囲はしたものだ。しかし、村上春樹の主人公のように、クラスで自分が唯一のひとりっ子だった、みたいなことはなかった(と思う)。親戚にも町内にも学校にも、ちょこちょことひとりっ子はいた。少数派だけど、ひとりっ子はたしかに一定数いて、ある種のプロフィールを形成していた。たぶん、こうした私の幼少の頃からひとりっ子はだんだんとその数を増やし、やがて市民権を得て(あなたもひとりっ子なのね、私もよ)、今や多数派となった(え、君ってきょうだいいるの? へーえ)のである。
村上春樹の時代に奇異で希少種だったひとりっ子は、私の父の時代にはいったいどれほど貴重な存在だったであろうか。昭和の初め、女の仕事はただ子を産むことであったのだ。
谷川俊太郎は父と同い年だ。
感性にまかせて詩を書き、要請に応じて詩を書き、ままならぬもどかしさや表現の苦しみに、ひり出すように言葉と言葉の鎖をつないで詩を書く。詩人としての生を貫いたら、結婚も離婚も3回になった。彼はひとり息子として母親に溺愛された。おそらく、方法は違っても、同じ深さでひとり息子を溺愛している。息子の賢作さんとの数々のコラボレーションの洒脱さはよく知られるところだ。
タートルネックのセーターにジーンズ。よく写真で見る谷川俊太郎のいでたちだが、父と同い年とは思えない。同じ年に生まれたというのに彼我の違いはいったいなんなんだろう?
父はいつも兄と弟に挟まれ、喧嘩もし議論もし、飲み、食い、助け合い、つねにかかわり合って生きていた。よくも悪くも血縁に依存し縛られてその生涯を終えた父。荒野にひとり、凛とたたずむひとりの男、一度手をつなぐもすぐ離し、ひょうひょうと風下へ、吹かれるように歩むひとりの男、荒野にはいつしか花が咲き始めていて、彼は空を見、花を見、詩をしたためる。谷川俊太郎。こんなイメージ、逆さにしても裏返しても父にはならないというところが、私にとっては奇跡だ。奇跡のひと、谷川俊太郎。
谷川俊太郎の詩が好きだが、それほど彼の詩集を丹念に読んでいるわけではない。幼少から私はなぜか「詩」や「ポエム」が好きだった。書く(詩などと呼べる代物ではなかったにしろ)のも、読むのも好きだった。そんな私のアンテナにかかったひとりの詩人にすぎなかった谷川俊太郎が、けっきょく私の中ではいちばん存在感をもって、詩人として在る。
詩作というのは、想像するだけなんだけど、つねに表現の限界への挑戦を強いられているような、心にある画(え)を言葉に置換し、というより言葉で描きなおしながら、しかし言葉しか解さない人に心の画を伝えるという高難度技への挑戦であるように思われる。
しかし、谷川俊太郎は舗道を歩きながら、野に出て花の香りを嗅ぎながら、しゅるしゅるっと言葉を紡ぐ(たぶん)。
その谷川俊太郎のエッセイをまとめたのが本書だ。
やはり彼は詩人であって、文章書きではないな、というのが、読後感だ。
素直すぎるのである。
飾りがなさ過ぎ。
ストレートに、吐露され過ぎ。
熱すぎない彼の表現は淡々と筆が運ばれているようでいて、実はドクドク動く生の心臓を突き出されたような、なまなましいブリュットな文章。
覆いもなく箱もない、むき出しの状態の谷川俊太郎の心が並んでいる。
それなのに、オブラートに包まれたようにしか感じられないもどかしさを強いられる。
それが本書である。
ひとりっ子の彼は、どこまでもひとりである。ほかに比較しようがないから、彼はひとりっ子を楽しみ、謳歌している。干渉もなく依存もない暮らしを貫く、孤高のひと。
と、なんだか持ち上げ過ぎたような気がするんだけど、早い話が、あまり面白くない一冊であった。言葉を使って仕事をしているひとだけど、技巧にまかせて凝った文章づくりをしているわけではない。シンプルだ。そして、意図が伝わらないわけではない。むしろ、よくわかる。でも、やはり谷川俊太郎は詩を読むに限る。彼に限らず、詩はイマジネーションをあおる。しかし谷川俊太郎の文章は、イマジネーションをあおらない。
谷川俊太郎は詩を読むに限る。
Joyeux Noël !!! ― 2013/12/24 22:48:41





Trop beau pour moi...!!! ― 2013/12/25 23:09:36






Peu m'importe si tu m'aimes ― 2013/12/31 23:27:38

谷川俊太郎著
新潮文庫(2009年)
石川さゆりが『津軽海峡冬景色』を歌っている。ああ、やっとまともな歌が聞こえてきた(笑)。おお、続いて我が美輪明宏だ。今年もナイス選曲。
もう少しで年が明けてしまうのだな。
さて。
少し前、上掲の本について書いた。
谷川俊太郎を原野にたたずむ孤高の詩人、などと勝手なイメージでまつりあげておいて、でもエッセイは面白くないなんてこれまた手前勝手な印象だけで書き捨ててしまったが、面白くないということは、彼が意味のないくだらないことを書いているということとは違う。むしろその逆で、まことにそのとおりである、と泣きたくなるほど核心を突き、それ以上語りようがないほどに、まっすぐで、真実で、虚飾がなく正直なのである。人間とか自然とか生と死とか営みとかの本質に迫り、というより本質を匙のようなものでくるりと掬い、紙の上にとんとんと落として文字、文章にしたような、そんな生々しさを感じて居心地が悪いのである。彼の詩は、そういう生々しさはない。オブラートに包むのではなく、彼の詩の場合、きちんと舞台用の衣装を着ているということだ。心の叫びがそのままではなく、ちゃんと居住まいを正し、その場所にふさわしいなんらかの羽織りものを着たり、その舞台(詩集)のための飾りをつけて、つくり手(谷川俊太郎)の意図したように読み手に伝わるように小道具も持たされて、そこに在る、というのが谷川俊太郎の詩だ。それは、選び抜かれて、練られて、咀嚼されたり調味料足されたりした作品としての言葉の羅列である。それに比べたら、エッセイや日記やコラムの文章はどれも「そのまんま」なのである。
《食物をもとめて氷原を移動していていよいよ食料が尽きたとき、エスキモーの老人はみずからその場に座り込み、他の人々もまた老人を残して移動をつづけるという。ゆとりという言葉の入りこむ隙もない老人のそういう生きかた、あるいは死にかたに、かえってゆとりが感じられるのは何故だろう。》(18ページ「ゆとり」)
《私のからだが母親のからだから出たように、私の心も母親の心から別れ始める。そして私は母親の代わる存在を求める。
恋とは私のからだが、もうひとつのからだに出会うことに他ならない。自然と違って人間はからだだけではないから、からだと言うとき、そのからだの宿している心を無視できないのは勿論だが、心とからだはただことばの上で区別されるだけで、本来はひとつのものだ。しかしまたひとりひとりの独自な心は、人間特有のものであり、その心を支配し、それに支配される万人に共通なからだは、人間を超えた自然に属している。その矛盾を生きるのが人間であるとも言えよう。》(22ページ「恋は大袈裟」)
《すべての絵かきがそうだとは思わないが、自意識などという余計なものに邪魔されずに、自分で自分をリアルにみつめる目は、どうももの書きより絵かきのほうがもち易いような気がする。》(52ページ「じゃがいもを見るのと同じ目で」)
《勝新太郎さんがどこかでこんなことを言っていた。おれっていう人間とつきあうのは、おれだって大変だよ。でも、おれがつきあいやすい人間になっちゃったら、まずおれがつまらない。私はすっかり感心した。自分とつきあうのが大変だなんて考えたことがなかったからだ。(中略)
ほんとは誰でも自分とつきあうのは大変なんじゃないか。ただ大変なのを自分じゃなく、他人のせいにしてるだけじゃないか。大変な自分と出会うまでは、ほんとに自分と出会ったことにならないんじゃないか。上手に自分と出会うのを避けていくのも、ひとつの生きかたかもしれないけれど。》(57ページ「自分と出会う」)
《死ぬってことは、辞世の句とも遺言とも、葬式とも関係ないなあと私は思い、どんな死にかたをしたって、死の本質に変わりはないという感慨にとらえられた。》(72ページ「単純なこと複雑なこと」)
《それなのに何故私はいまも書き続けているのだろうか。書くことしか自分に能がないからか。長い間書いてきてそれが習慣のようになっているからか。いずれにしろいますぐ書くことを止めてもいいのに、それが出来ないのはどうしてなのか。》(81ページ「とりとめなく」)
《昔からスポーツもやらないし大酒も飲まず徹夜もほとんどしなかったから、若いころに比べて体力が落ちたという嘆きはないが、四十代から老眼、乱視だし、歯も惨憺たる有り様だ。老眼鏡や入れ歯を受け入れることにまったく抵抗がなかったと言えば嘘になるが、私には老いにあらがう気持ちは薄い。老いには老いの面白味があって、それを可能な限り楽しみたいという気持ちの方が強い。だが老いを楽しみ面白がるのはもちろん、からだのほうではなくこころのほうである。》(107ページ「からだに従う」)
私たちふつうの人々が日々の雑多に紛らして言わずに済ませていることを、あるいは言い表しかたの術や言葉そのものを忘れてしまったり、見失ってしまったりいることどもを、するするっと、しれっと、たりらりとぅるとぅると書いてしまって読者を突き放す。
彼のいうとおり、「心とからだはただことばの上で区別されるだけで、本来はひとつのものだ」。だけど、老いてくると心と体の遊離が始まり、本人も気づかぬうちに少しずつ進む。苦しいと感じるひともあるだろうが楽しんだほうが得策だ。「老いを楽しみ面白がるのはもちろん、からだのほうではなくこころのほうである」から、楽しんだからといって若返ったり、分離しかけたからだと心が同一になるわけではない。とはいっても、「どんな死にかたをしたって、死の本質に変わりはない」ならば、きっと、老いて心と体のアンバランスに悩まされたとしても、それも、これも、わたしなのであり、その終焉のときにはつじつまが合うのだろう。
あなたは、あなたの一年でしたか。
わたしは、わたしの一年をたっぷり生きました。
誰のものでもない、このカラダにいるこのココロをわたしと呼ぶわたし自身の、時間。
誰かのために知恵をしぼり、力をふりしぼり、心をしぼりきって費やしたとしても、あなたがあなたでいる限りそれはあなたが生きた時間。
……というようなベタなことをつい書く気にさせる、谷川俊太郎の『ひとり暮らし』。
空が落ちてこようと大地が裂けようと
それがなんなの あなたを愛してるわ
美輪明宏には来年の紅白でぜひこの曲を!(笑)
HYMNE A L'AMOUR
Edith Piaf
Le ciel bleu sur nous peut s'effondrer
Et la terre peut bien s'écrouler
Peu m'importe si tu m'aimes
Je me fous du monde entier
Tant qu'l'amour inond'ra mes matins
Tant que mon corps frémira sous tes mains
Peu m'importe les problèmes
Mon amour puisque tu m'aimes
J'irais jusqu'au bout du monde
Je me ferais teindre en blonde
Si tu me le demandais
J'irais décrocher la lune
J'irais voler la fortune
Si tu me le demandais
Je renierais ma patrie
Je renierais mes amis
Si tu me le demandais
On peut bien rire de moi
Je ferais n'importe quoi
Si tu me le demandais
Si un jour la vie t'arrache à moi
Si tu meurs que tu sois loin de moi
Peu m'importe si tu m'aimes
Car moi je mourrais aussi
Nous aurons pour nous l'éternité
Dans le bleu de toute l'immensité
Dans le ciel plus de problèmes
Mon amour crois-tu qu'on s'aime
Dieu réunit ceux qui s'aiment
*
意図不明の当ブログに今年もお越しくださり、ありがとうございました。世界が少しでも幸福に向かうよう、来年も考え続けます。みなさま、佳いお歳をお迎えください。