Fleurs fleurs fleurs2014/02/03 00:00:29

先月、お誕生日にといただいた小さなブーケ、今日もまだ綺麗なまま。大きな花がぷぅわんんっとふくらんで、どこまで開くのかなと見ているのだが、まあるくぷぅわんとふくらんでからが長い。日持ちのいい花だ。周りのスイートピーも全然、花色を衰えさせずに咲いている。お値打ちだなあ。
ブーケには、京都でも屈指のフローリストの名前があった。洗練されたアレンジメントで一躍有名になった店だが、実は花屋の値打ちは、アレンジよりも、いかに「上質の」花を「安価で」仕入れてくるか、にあるのだ。花も青果と同じで鮮度と品質が命だもんさ。切り花が長持ちしなければせっかくのおっされーな花束もすぐみすぼらしくなるのだから。


ところでこれは我が家のアロエである。
物干しにおいてあるもんだから、毎朝見てるんだけど、アロエってカッコいいね!
メドゥーサの頭のようでもあり、千手観音のようでもあり。
でもさ、気づいてくれた? 真ん中にすっくと立っているの、花だよ。花をつけてんのよ。
祖母の代からあったこのアロエ、花をつけるの、初めてだよ。
いったいアロエちゃんに何が起こったの?(笑)


上の写真は、実はまだ去年のうちに撮ったのよ。
で、今日(日曜日)の朝。
花が開いてますわよアナタ。
なんか、なんかに似てるやん? この細長い筒みたいな花の恰好! なんやったっけえー??? うーん思い出せへんっ
でもでもとにかく、綺麗よ、アロエちゃん!


ひとつひとつの花の、やる気なさげなうなだれポーズあるいは微妙な高さをキープしてみせる心意気、に近づきたく……
ううう(感涙)色っぽいわ美しいわ。素敵よアロエちゃん♪
みなさまもそう思われませんこと?
この花のかたち、なんかに似ているんですけどなんでしたかしらね。


アロエちゃん、なんて書いてたらホームベーカリの焼き上がりブザーが鳴った! ので取り出したんだが、私としたことがちょいと油断して、服の袖口とミトンの隙間にのぞいていた手首に、まだ熱々のパンケースを……

ジュッ

と、あててしまったあああああああああつあつ熱ううううううっっっ

そんなわけ、で噂をしていたばかりのアロエの葉を一本ちぎってきてむいて、火傷の手当をしちょるのであった。
これが効くんだ。
アロエの薬効ってすごいのよ、マジ。
あちちちちっと火傷したら時間をおかずにすぐにアロエエキスを塗る。初動が肝腎! 我が家の場合はダッシュで物干しに駆け上がりアロエの鉢からできるだけ肉厚の若い葉をざりっとむしり取り、表皮を剥いて剥いて剥いて、内側の、ジュレのようなぷるぷるを患部に充てる。ぷるぷるは場合によってはすぐ乾くのでそしたらまた表皮を剥く剥く剥く。そしてまたぷるぷるを患部にあてる。
続けて数回繰り返したら、それで火傷は完治する、わけではなく、というよりそんなんあり得ないが、しかし何もしないで放置するとかまたは胡散臭い市販薬を塗るとかしてると、痕がついたり、治る傷も治らなかったりするってよく聞く。


異国の地で自炊生活をしている我が娘も、火傷なんざあしてねえだろうな……とふと心配になる。アロエ、世界中の道端に生えてたらいいのにな。でも世界中の道端にこれがやたら生えまくってたら怖いな(笑)。

では、おやすみなさい。

Santé!2014/02/09 02:56:57

ちょっとさ。
お祝いしたいことがあってさ。
ハーフボトルの安ワイン買ってきて、ひとり乾杯♪
ポータブルプレーヤーで観ているのは『潜水服は蝶の夢を見る』。
ああ、好きだ。マチュー・アマルリック。
20年くらい前に、映画祭で会ってるんだよね。いや、会ったとは言わないな、会場にいたのを見た、だな。全然ちゃうやん(笑)。
アマルリックはまだ若かったけれど、演技派としてすでに定評を得た俳優だった。面食いの私は彼の面立ちにあまり関心が高まらず、「あんまりハンサムじゃないよね」などと不遜なことをつぶやいたら、一緒に取材で来ていたフランス人は「お前な、知らんやろ、めちゃめちゃええ役者なんやぞ、どんな役やっても完璧やし、脚本も書くし監督業にも進出しそうやねん、ホンマの映画人やねんで」ともし関西弁やったらこんなんであろうという勢いでまくしたてたのだった。

あ、そうなの?

その時の映画祭出品作品、つまりアマルリックの出演作は、彼が主演だったわけではなかったが、面白かったと感じた記憶がある。このときからアマルリックの名は私の中にしっかり刻印された。駄作だろうと失敗作だろうとヘタレな役だろうとダニエル・オトゥイユは無条件に好きだが、マチュー・アマルリックのことは「お手並み拝見しようじゃないの」といういささか根拠のない上から目線な気持ちで見守ってきたのだった。といってそんなにたくさんは観ていないけど。でも、観るたび、年を追うごとに、彼は美しくいい男になっていく。去年かおととしに観た『チキンとプラム』なんて映画そのものはマンガチックで好きじゃないけど、マチューは素敵だったわよ、アンタ!!!!

彼のように才能にあふれ、それを発揮する機会をうまくモノにした人は素晴しい。アタクシも、才能はないけど、かくありたい。

Bon anniversaire ma chérie!2014/02/13 22:10:07

世の中、セントヴァレンタインズデー直前とやらで賑やかだが、セントヴァレンタインズデーの前日である2月13日は私の娘の誕生日である。

産婦人科医院の院長は予定日を2月14日ですと言った。バレンタインデーですね、もし男の子なら、誕生日とバレンタインデーが同じというのはいいのかなよくないのかな、わっはっはなどとぬかしておった。その次の健診から院長の担当ではなくなって、週1の当番で来ている医師に代わったが、彼は、すくすく育てば予定日より早く出てきますよ、ま予定日なんてのは予定以外のなにものでもないのであってね、と言った。
サンヴァランタン(フランス語ではこう発音する)の日を待たずに陣痛が起き、娘は胎内でたいへんよく育ちすこぶる元気に産声を上げた。18年前の2月13日午後6時頃。
18歳を迎えるというとても意味のある記念すべき誕生日に、なんと娘は親から離れて異国にいる。初めて二人で過ごさない娘の誕生日。私の誕生日は、とくに近年は私の帰宅が夜中だったり、帰宅後疲労困憊してバタンキューで寝てしまったり、でまともに祝えたことはないのだけれど、娘の誕生日のほうはサンヴァランタンと準備することが微妙にかぶるので、外すことなくお菓子をつくり、そんなわけで私も贈り物の用意も怠りなく。
なのに今年の誕生日には娘がここにいないのである。
いない。
いないのだが、この大きな不在を、さして気にしていない自分がちょっと可笑しい。べつに人間の器ができているわけでもないし、親として分別臭く気取っているわけでもないし、ましてや娘のいないことが寂しくないはずがない。
けれど、なんつーか、ここに私が昨日やおとといと同じように生きているように、彼女も今日を昨日やおとといと同じように迎え、今日を無事迎えた喜びや充実感と同じ思いで明日もあさっても生きていくだろうと確信できるのである。
そのことが、娘の不在の生む空虚感や寂寥をいくぶんか和らげる。不在は不在に過ぎないのであって喪失ではないから、私はそのことを喜ばねばならない。
私の母にいたっては「今日は何の日?」の問いに「さあ?」とまるで思い出すふうでなかった。人に尋ねられれば孫がいなくて寂しいと答えるが、毎日自分の身体を動かすことだけでいっぱいいっぱいだから、はっきりいって、セントヴァレンタインズデーも孫のバースデーも、さしたる重要事項ではないのだ。だからといって孫に会いたくないはずはない。毎日無事を拝んでいるが、いくつもいくつも考えたり行動したりしていたうちの、今はほんの数パーセントしかできなくなっているような状態だから、孫の誕生日を忘れても仕方がないだろう。
だいいち先月の私の誕生日だって、見事にころりと忘れていたのだ(笑)。


身ごもった時から、どういうわけか私には確信めいたものがあったのだ。私の産む子は手段や方法はどうあれ、世界に何らか寄与する人間になる、と。そして私の産む子が、そのまた後続世代を育てることに大きな役割を果たすと。だから私は迷わずこの子を産むのだと。産むことにはっきりと反対した人も、間違っていると断言した人もいたけれど、18歳になった彼女を見ても同じことを言うだろうか。言わない。絶対。
私はこの先も、身ごもった時に覚えた確信を、たとえば彼女が20歳になった時、職業人として自立した時、伴侶を見つけた時、親になった時などに、都度都度、再確認して噛みしめるだろう。
そう願いたいし、そう在らねばならない。私の娘という稀有な存在を産み落とした親として。

誕生日おめでとう!