目から鱗2007/02/07 10:42:58

へとへとに疲れて帰宅したある晩。
娘と一緒に入浴中も、目は半開き、体は重く沈み込む。娘がいなければ本当に頭まで沈没するところだ(浴槽が小さいので二人で入っていると沈めないのである)。
いつもならあっち向いてホイとかどんじゃんけんとかにらめっことか指相撲とか数限りない手遊び指遊び顔遊びに耽るのだが、その元気なし。

「ごめん、今日はお遊びお休み」
「なんでそんなに疲れてるの?」
「……」
「あっちこっち取材に走り回ったの? おっちゃんたちのつまらない会議に何時間もつき合わされたの?」

なんで君はそんなに親の仕事を熟知しているのだ。

「ううん、一歩も外に出なかった」
「だったらなんでそんなに疲れてるの?」
「……パソコンの前にずっと座っていた」
「ずっと座ってたのに、疲れてんの?」
「それがいちばん疲れるのよ」
「だったら、時々立てばいいんじゃないの?」

ほよ。
ほんとうだ。
君は正しい。
目から鱗とはこのことだ。

「そうだね。そうすればいいんだね! いいこと聞いた!」
「いつも頭もっと使えって言うくせに。自分こそもっと使えっての!」

憎まれ口をたたく君の、思いがけないひと言には結構いつも救われる。ありがとうよ、ありがとう。

そりゃトイレにもたつし、お茶を淹れにキッチンにも行く。来客もあるし。
でも、それ以外に動くかといえば、動かないのだ、たしかに。
取材に出たり顧客先へ行ったり、ということに追われる日が多い一方、それがないときは原稿の締め切りに追いかけられてパソコンに貼りつくという結果になる。こういう日こそ、目も肩も背中も瀕死で助けてえといわんばかりのくたくたへとへとしょぼしょぼ状態になるのである。

娘が「時々立て」と言ってくれてから、私は30分おきに腕や背中を伸ばすようにし、1時間おきには必ず席を立って用事がなくても社内をうろつきながらふくらはぎのストレッチなんぞをこっそりするようになった。また、昼食はキー打ちながらコンビニパンをぱくつくということは止めるようになった。食事は食事としてきちんと摂り、食後はできるだけ会社周辺を歩く。
ちょっとしたことだが、案外できないのだ。だからいつも娘の声を思い出せるように、彼女が描いた猫の絵をデスクの前に貼り、「時々立て」と猫がいっているように吹き出しをつけた。さて、これ書き終えたらストレッチ♪

(余談)
目から鱗が落ちる、とはとても日本的な諺だと思っていたら、広辞苑によると聖書に由来するという。イエス・キリストの奇跡によって盲目の男が見えるようになったという話で、鱗は魚のじゃなくて蛇の鱗らしい。

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